自然と風景、スナップと鉄道模型・鉄道写真

自然と風景と鉄道を愛し撮影にでかけたときの写真の紹介と、時々スナップ撮影と鉄道模型の写真もあるブログです。

築城400年を越え、当時の姿を残す明石城の三重櫓

2025年01月17日 21時39分37秒 | 城、城跡

 

築城400年を越え、当時の姿を残す明石城の三重櫓

 

 

 

JR山陽本線経由で大阪から明石、姫路方面に向かう都度、明石駅のホーム越に眺めていた明石城。

訪れやことはありませんでしたが、今回は姫路に出掛けた帰路にたずねてみました。

明石城は、今から400年以上前の元和4年(1618)、徳川二代将軍秀忠が命じて築城させたとあります。

天守は建てられませんでしたが、長さ380m、高さ20mを超える石垣の上に本丸を取り囲む四隅に三重櫓が勇壮を誇りました。

櫓の名称は方位を表し、現存する2基の櫓は、本丸の南西に坤(ひつじさる)櫓、巽(たつみ)櫓は南東にあります。

 

 

 

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坤櫓(ひつじさるやぐら)(左)と、巽櫓(たつみやぐら)(右)

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天守台からは、眼下に明石の市街地と明石海峡大橋を望みます。

 

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今秋最後の紅葉見物は大阪城公園のイチョウ並木

2024年12月24日 19時22分51秒 | 城、城跡

 

今秋最後の紅葉見物は大阪城公園のイチョウ並木

 

 

 

今秋の紅葉は短い期間で終わりましたが、晩秋の紅葉の色づきほそこそこ良かったようです。黄葉

12月の半ば過ぎ、今秋最後の紅葉見物には大阪城公園の外周道路沿いに植えられたイチョウ並木の黄葉です。

天守閣前の樹齢約300年とされるオオイチョウは、葉を落としていましたが外周道路沿い約1kmのイチョウ並木は黄色に染まっていました。

 

 

 

外周道路両脇に植えられたイチョウの並木道。黄色に染まる光景です。

 

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外周道路を走るロードトレインもイチョウに溶け込んでいます。

 

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堀の石垣や天守閣周りの紅葉は少なめです。

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モミジやハゼの樹の赤色も鮮やかでした。

 

 

 

 

 

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ブルーにライトアップされた大阪城天守閣

2024年12月11日 14時27分49秒 | 城、城跡

 

ブルーにライトアップされた大阪城天守閣

 

 

 

毎年12月10日から16日までの一週間が「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」と定められています。

啓発運動の一環として、大阪城天守閣が運動のシンボル・ブルーリボンにちなみ、12月10日にブルーにライトアップされました。

 

 

 

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現存天守12城で国宝5城の一つ、国宝天守の松江城

2024年07月12日 17時47分15秒 | 城、城跡

 

現存天守12城で国宝5城の一つ、国宝天守の松江城

 

 

 

日本各地に残されている城のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現在まで保存されている天守を

現存天守と呼ばれ、全国に12基しかありません。

現存天守は需要文化財とかに指定されているものを含め、国宝の天守を持つ城は5基だけで、島根県の松江城

も国宝5天守の一つです。

松江城の天守は2015年に国宝に指定され、一番最後に国宝となりました。

初夏の晴れ間、汗ばむ時期に見学に訪れ、天守に入り5階の望楼から水都松江の市街地を眺めました。

 

 

 

 

外観4重、内部5階、地下1階の望楼型天守。

 

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望楼からは松江市街地を望むことができます。

 

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史跡高松城跡(玉藻公園)

2022年12月06日 14時45分47秒 | 城、城跡
 
史跡高松城跡(高松市立玉藻公園)




四国の予讃線鉄道旅行に出た際に、高松駅で列車待ち時間が

あったので、30数年振りに高松城跡を訪れました。


高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていますが、万葉集で

柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに

因んで、城あたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによる

といわれています。

城跡は玉藻公園として整備され、国の史跡に指定されています。





内堀からの見る建物。左から、月見櫓・水手御門・渡櫓です。



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訪れた日には、月見櫓内部が公開されていました。櫓窓から瀬戸の海が眺められます。


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かつて、城の南側の桜の馬場にあった大手門の跡に建てられ旭門です。
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