弥右衛門の暇つぶし

写真、動画での旅行記、ビックリ仰天記事など。

スペイン,カタルーニャ・ハッピーアイランド “イビズ” 地中海の宝島

2021-06-04 16:12:31 | ユーラシア大陸横断旅行
10月6日、2018、滞在したアパートを朝9時少し前に出て空港に向かう。バルセロナノ・カタルーニャから約一時間のフライトでイビザ島に着きます。バルセロナも気候は良いのですが、ここに着くと解放感を感じます。ハッピーアイランドとしての触れ込みがあるからでしょうか。ウキウキしてきました。空港で少しタクシーを待ちましたが、乗り合わせたタクシーの運転手は気さくな人で、私が日本人と分かると、肩に書いたタツーを見せて、「日本の刺青と同じだろ」自慢してました。ここは親日の人が多いようです。それにしてもタッーをしてる人が多いです。
今回、泊まったアパートメント・ホテル。海岸に面した、良いロケーションでした。前のビーチでは海水浴は出来ませんが、中庭があり、そこにプールがある。プールサイドでiPadが使えるので、重宝しました、古い表現だけど、リーゾートホテルは良く客ニーズに答える設備が整ってる。部屋も広くはないですがキッチンユニットがあり、バスタブもあり助かりました。近所のパン屋でロシア料理のピロシキみたいな、肉詰パンを買ってきて、ビールとサラダの昼食、テラスで食べると、美味しいです。


地中海の中の島ですから、雰囲気は南のリーゾートでしょうか。とにかく北ヨーロッパは一年中寒いですから、このカラット晴れた気候は彼らには一番の魅力でしょう。

ビーチで日光浴、昼間はウトウトしながら日光浴して、夜中のクラブライフに備える。そんな感じですかね。

市内の高台には旧市街、”ダルト・ビラ”があり、要塞になっている。”エイヒッサ聖堂”など世界遺産に登録されている。遠く海岸線からダルト・ビラを見ると、白い街並みが印象的です。





"Izakaya"と書いてあるので、居酒屋だと思い入ってみたら、ホテルのレストランでした。ゴロがスペイン語と同じだったようです。近くのクラブで働いてる女の子とのツーショットですが、暗くて写ってない、残念。
ナイトクラブの入り口です。真夜中からの営業なので、早めに寝て夜明かしに備える。
下の写真が有名なナイトクラブ”Pacha"のステージ、一万人収容できる広さがあるようです。




三泊イビザに滞在後、早朝出発便でマヨルカ島の空港で飛行機を乗り換えグラダナにむかいます。 やぁ、それにしても良い長旅の末の休息でした。残念ながら有名なディスコやナイトクラブはすでに終わってましたが、営業してる、港近くのナイトクラブにも行き、サンミンゲルビールを飲みながら、久しぶりにディスコを楽しみました。ベーチで一日中日光浴を楽しみ、まことに良いブレイクでした。これからグラナダに3日滞在、その後、バスでマドリッドまで移動し、4日滞在して、それからパリのドゴール空港を経由して帰国します。9月5日に成田を出て、上海、西安それから中央アジアを経由しての長旅も、いよいよ最終コーナーです。
6/04.   2021      弥右衛門

下にyoutubeの動画を貼り付けました。よろしかったらどうぞご覧ください。





























































ドラキュラ伯爵のブラン城と古都ブラショフ・ルーマニア

2021-05-29 17:24:00 | ユーラシア大陸横断旅行
ルーマニアと聞いても、えぇ、それって何処の国、と言う反応が一般的でしょう、正直あまり知られていない国です。でも「ドラキュラ伯の国です」、と言えば「何処だかわからないけど、そーなんだ」、てな感じでしょうか。バルカン半島の南、ブルガリアとハンガリー、東は黒海に面してます。そして、あの”ニコラエ・チャウシェスク大統領”、1989年、12月25日、革命軍の手によって公開処刑され、ショッキングなニュース写真が世界中に配信されるました。現在はルーマニア共和国としてEUに加盟する、旧ソ連圏の東ヨーロッパの国です。
首都、ブカレストからドラキュラ伯の物語の”ブラン城”、と古都ブラショフを周るツァーで出てます。片道約140キロ(東京/静岡の距離とほぼ同じ)を一日で往復するので、かなり強行軍ですが、見どころのある良いツァーでした。
このブラン城、小高い丘の上にあるのですが、ヨーロッパにある他の城に比べるとかなり小いさく、内装も特に豪華でもなく、質素な伯爵の居城、こんな印象でした。ドラキュラ伯の物語が先行してるようです。それにしても、それはそれは沢山の観光客でにぎわってました。

ドラキュラ伯を演じるショウの俳優さんが中庭の歩いてました。













ブラン城からブラショフまでは約30キロの距離で、到着したのが午後3時近く、旧市街は歩いて回れる程の広さの町で、一周してやっと昼食です。ツァーの参加者は全部で7人、一人旅はフランス人、インド人と私。インド人と一緒に食事。彼はYouTuberで、インドではかなりの数のFollower数を持ってる。YouTubeのアドレスを交換して、お互いにFollowerになる。
12世紀ごろからドイツ系の人達が発展させた街で、いまだにに中世のの雰囲気を醸し出している古都です。スファトゥルイ広場を中心にゴシック様式の建物が、中世そのままの姿で残っている。
1989年の革命の時も、ここブラショフから抗議運動が始まり、全国に拡散していった。人口30万人弱であるが、ルーマニア第二の都市です。
























午後6時近くにブラショフを出発、ブカレストに着いたのは9時近くでした。
忙しい行程でしたが、見聞を広める良いツァーでした。


5/29,    2021        弥右衛門

スペイン・グラナダ、そしてアルハンブラ宮殿

2021-05-27 20:38:55 | ユーラシア大陸横断旅行
表題の絵画はグラナダ開城、ナスル王朝からアラゴン王国へ。1492年

スペイン、コルドバ、セビーリヤと、このグラナダは8世紀から長い間イスラム教徒に支配されていた歴史があり、特にグラナダは8世紀から約800年間その支配にあった。そして最後の王朝”ナスル朝の時代に昇華した、イスラム文化、建築、彫刻を施した見事なアルハンブラ宮殿が街を見下ろす丘陵の上にその栄華を残している。
”アルバイシンの丘”、街にはグラナダ大聖堂など世界遺産に登録された、数々の見どころがあります。また、ここは”フラメンコ”の発祥の地としても有名で、これも楽しみの一つです。
これは、アルバイシン、ニコラス広場から見た、アルハンブラ宮殿の夜景です。
この裏のレストランで地元で有名なフラメンコダンスを観賞しました。
そこのタパス料理です。オリーブの実、コロッケのような揚げ物、ビールと一緒にとてもあいます。

街中のバルも気取らない店が多く、この店は海鮮専門のバルで、地元の人に大人気。

今日の食材が店の入り口の冷蔵ショウケースに入れてある。居酒屋です。
イタリア、スペイン、ポルトガルと回りましたが、同じラテン系の人達でも、やはり住むところによって、気質が違うことがハッキリと分かります。詳しくは申ませんが、マドリッドと、ここアンダルシアの人、バルセロナのカタルーニャの人、違います。でも、これはどこでも同じですね。日本でも薩摩の人と会津の人は違いますよね。
世界旅行もそこに住む人々の気質、違った気候風土から作られた生活習慣を見てくるのも一つの楽しみです。
「和をもって貴しとなす」と言う国は世界広しといえど、これはわが国だけでしょう。
外国を見て歩いて感じることは 『日本に生まれて、本当に良かったです』

5/27,   2021          弥右衛門

「ドナウ川の真珠」ブダペスト・ハンガリー

2021-05-21 15:33:10 | ユーラシア大陸横断旅行
表題の写真はセーチェーニ温泉
2019年9月30日、ルーマニアのブカレストから空路でブダペストに入る。一時間の空路距離だが、同じ東ヨーロッパでも大分街、住人の様子が違う。
滞在宿は今回はアパートで、東駅の近く位置し、近所に大ショッピングモールがあり、この中にフードコートがあったので助かった。一人旅で一番困るのは食事。レストランで一人で食事をするのは抵抗がる。そこでこの日は食事付きの夜のツァーに入る。
レストランは街から少し離れたところの、昔ワインセラーであった所を利用した民芸調に飾ってある。

正面の舞台では民謡をを演奏していて、なかなか良い雰囲気です。フロワーでは即席料理の実演、そしてお客の中から選ばれた女の子がシェフからワインのラッパ飲みするパーフォーマンスなど、楽しませてくれる。


舞台のフォークダンスに誘われて踊る。でも、ジルバを踊るのに丁度良いリズムなので、途中で踊り子さん相手に、”ハマジル”を踊る、相方の踊り子さんもよく乗ってくれて、リードすると何回も回わってくれて、大喝采を受けた。ハマジル、ずいぶんと古いのですが、私の学生頃、各大学の同好会の主催のダンスパーティでよく踊られてた、普通ジルバは4拍子ですが、これを2拍子で早くおどるのが流行りました。”ツイスト”が流行る前です。まぁ、どうでもいいのですが、楽しい一夜でした。
ブダペストではボランティア・ガイドのDonaさんに半日、ドナウ川の東側、ペスト地区を案内してもらいました。このボランティア・ガイド組織は”Like Local"と言サイトが運営している組織で、専門のガイドさんでなく、旅行好きな人たちがお互いに自分が住んでいるところを案内し合おう、と言うコンセプトです。こんどDoraさんが東京にくれば、私が案内することになります。Doraさんは中学校の先生でテキパキした明るい女性でした。

建国以来、の国に貢献した人物の銅像がある。
聖イシュトヴァーン大聖堂

その内部

国会議事堂

セーチェーニ鎖橋、ペスト方面
ブダ城
ブダ城夜景ドナウ河のナイトクルーズが定番なのですが、私はもっぱら歩いて回りました。

国会議事堂夜景

ブダペスト東駅

セーチェーニ鎖橋、ブダ方面の夜景
街中のカフェー
東欧で一番の都市ですが、人口が約170万人、落ち着いた良い街です。ハンガリー人の先祖は中央アジアの遊牧民だると言われている。ハンガリー人の8割を占めている”マジャール人”の馬術ショウをハンガリー大平原で見たいと思ってます。彼らの多くは我々と同じ、生まれたときに”蒙古はんてん”を持っている。ユーラシア大陸は面白いです。早く自由に旅行できるようにシテもらいたい、ものです。

5/21,  2021     弥右衛門


ブカレスト・バルカン半島のパリ

2021-05-14 21:04:00 | ユーラシア大陸横断旅行
2019年の9月、ワルシャワから空路ルーマニア・ブカレストに入る。先駆者のブログやYouTubeでの街の評価は,治安が悪いとか,かなりネガティブのものが多かったので、2泊の滞在にした。でも、見ると聞くとでは大違い、バルカンのパリと言われた街なので、ロココ調の由緒ある建物が続き,綺麗な街並みを醸し出している。だけども,残念な事にスプレーのいたずら書きがひどく,例外なく,全ての建物にこれがある。古都もこれは艶消しです。まぁ,しかし旧市街の繁華街も治安も良く,夜遅くまで楽しめます。バルカン半島の代表的な国ですので時間をかけて見て歩きたい街でした。
 




喜劇上演館のポスター、映画よりむしろ演劇が盛んのようです。