私はひょんなことから、20歳ころ、水商売を手伝いました。
そこはとても有名なナイトクラブでした。
場所は新宿歌舞伎町。
歌舞伎町で一番有名なクラブの一つでした。
ホステスさん(業者用語では「社交さん」と呼ぶ)は、
100人くらいおられました。
私は備品係長でした。
どんな仕事かというと、
電飾のチェック係。
一番の仕事は、ミラーボールのスイッチを入れること。
そのスイッチは天井裏にありました。
そこに行くには、
ホステスさんの広~い更衣室を横断するのでした。
何十人というホステスさんが着替えていました。
そう。
私は毎日、
多くの下着姿の女性たちの中を
通らなければなりませんでした。
抗議をする女性は
一人もおられませんでした。
断っておきますが、
私はそれを些かも楽しんでいたわけではありません。
仕事と割り切り、勤めを果たしていただけです。
「性が大らかだったころの話」としか言い様がありません、ハイ。
話は変わりますが・・・
私の実家の裏は、芸者の置屋さんでした。
芸者さんたちは、夜に働きますので、
昼間は休んでいます。
夏などは暑いので、窓は開けっ放し。
そして彼女たちは皆、スッポンポン。
それが私の家の2階から丸見えでした。
これも「性が大らかだったころの話」でしょうね。
さらに話は変わりますが・・・
私の実家は温泉地にありました。
大きなホテルが5つあり、
そこの大浴場は、すべて混浴でした。
当然、高校生の私は毎日、
合法的に混浴に入っていました。
女性の裸体は4歳の女児から、80歳の御婦人まで、
女子高校生も、20代の女性も、
すぐ眼前にありました。
これも、大浴場が自然とそうなっているので、
仕方ありません。
これは経済上の問題かもしれませんね。
(なお現在は、男女が完全に別になっています)
ちなみにフィンランドのサウナなども、
少し前までは、「混浴」だったそうです。
・・・・さらに話は更に変わりますが、
私の子供のころは、蒸気機関車の中で、
女性は乳房を出して、赤ちゃんにお乳をやっていました。
それは極めて自然で、しかも尊い行為であり、
それがおかしいという人は、誰もいませんでした。
さらに話は変わりまして、
江戸時代は一時期を除き、ほぼずっと銭湯は混浴。
外国人が道を通ると、銭湯から、
多数の男女が全裸で、外に飛び出し、
外国人を眺めにきたそうです。
また往来の外国人の見えるところで、
女性は平気で全裸で行水もしていました。
そういう話は、
いろいろな本に出ています。
ところで、明治時代になると、
「夜這い」の話が、そこここにたくさん出てきます。
かくして、梅毒が大流行り。
大衆の2人に1人が、梅毒だったそうです。
(下層民は95%が梅毒)
少し前のベートーベンが難聴だったのは、
梅毒のためということです(ただし諸説あり)。
楽聖シューベルトも梅毒でした(こちらは確実)。
大阪の売春婦の平均寿命が、
性病の為、23歳だったという説もあります。
聖書によると、
人類がエデンにいたころは皆全裸。
ところが知恵を身につけると、
急に恥ずかしがり、
陰部を隠すようになりました。
そのうち、「猥褻」という言葉も生まれました。
古代中国の名著『荘子』によると、
「警官が生まれたから、泥棒も生まれた」とあります。
ところで・・・
現在ヨーロッパの多くの若い男女は
陰部の毛を全部、あるいはほとんど剃っているそうです。
なぜそういうことをするのは、
私には皆目、理解できません。
アイム、ソーリー。
多分、ヒマなんでしょうか。
性欲がないと、人類は滅びる。
でもありすぎると、また犯罪や苦労も多い。
性欲に悩み、苦労の多い人生を歩みます。
志賀直哉の自伝小説『大津順吉』によると、
「何でも我慢できるが、性欲だけはできない」
と書いてあります。
そこで青年は太ももに錐(きり)を刺したりしています。
今でも・・・
一年に一度、混浴に入っていた昔の夢を見ます。
エデンの園を体験しているわけです。
私にとって、年を重ねて良かったことは、
性欲を自在にコントロールできるようになったこと・・・でしょうか。
本来、女性の裸体は美しいと思います。
ですからラファエロを初めとする絵画にも、
多数描かれています。
性の桎梏を上手にコントロールして、
残りの人生を、心豊かに歩みたいものですね。
最後は上品にまとまりました?