私の評価は、人によって、さまざまだ。
私の文章は、誤字とか誤認が少ない。
なぜ?
数学や統計を真面目にやったので、
「客観的真実」にうるさいんだ。
また校正も学んだことがある。
日本語教師養成校の研究科では、漢字もかなり勉強した。
また私は、「化学物質」や「腐敗」には、うるさい。
洗剤は、粉石けんを使い、
腐りかけたものは、食べない(これは誰でもそうか?)。
昔アパートを借りたとき、
出て行く際に、
借りる前よりも、きれいにした。
敷金は全額返還。
かつ、「ハウスクリーニング代も、一切払わなくていい」・・・
そう、大家に言われた。
ところが、私はある面では、かなりズボラだ。
整理整頓は、得意じゃない。
部屋は、決して、整ってはいない。
私の手帳なども、
適当なページに、走り書きだ。
ただし社会的ルール・・・
これだけは一応、守る。
ごみの分別は、ほぼカンペキだ。
しかし、ヤクザや公務員などの不正や横暴には、
かなり激しく抵抗する。
公務員と口論したことは、
数知れない。
案外、社会派の私です。
案外、行動派の私です。
ま、私のことは、このくらいでいいだろう。
他人を見てみよう・・・
すると、几帳面な人は、別の面では、とてもズボラだ。
またズボラな人も、ある面では、とても几帳面だ。
人間とは、そういうものだ。
両方兼ね備えているんだ。
ただし、怖いことがある。
マスコミ(新聞、雑誌)などで、
「アイツは、こういう奴だ」
と書かれたら、世間の人は、
それを信じて、一巻の終わり?
30年以上前、
大相撲で、ある横綱が負けたことがあった。
輪島という力士だ。
スポーツニッポンは、
「しょんぼりしていた」
と書かれていた。
日刊スポーツは、
「さばさばして、元気だった」
全く逆の記事だった。
私は思った。
失敗したとき、
「悔しい」と同時に、「ま、いいか」と思う。
逆に、「仕方ない」と思っても、
「残念だ」と悔やむ。
だからスポーツニッポンも日刊スポーツも、
両方正しいのだ。
ところが片方の新聞しか読まなければ、
読者は、判断を誤る。
ある小説家の文章が、入学試験問題になった。
その小説家は、問題の答えを読んで、驚嘆した。
自分が考えもしなかったことが、
答えになっていた。
私は小説を書くが、
「私小説」は書かない。
なぜかって?
「自分はこう思った」とは、書けないからだ。
「こう思ったが、実は逆の思いもあった」
が真実だと思うのだ。
女性を好きになったとき、
「大好きだ」と思う反面、「ああ、面倒だ」とも思う。
これは女性にも言えるだろう。
男に愛されるために、
化粧や無駄毛の処理をするのは、
楽しい反面、すっごく面倒だろうな。
冠婚葬祭も、シチ面倒臭せぇ。
その気持ち、わかるぜ、ダーリン!
正直言おう!
私は「私小説なんか、全部、ウソだ」と思っている。
「人間の心は迷いながら、死んでゆく」・・・これが真実だ。
もちろん、人間なんか、信じない。
そんな私が信じられるのは、神様だけだ。
だから失恋で自殺する奴は、バカだ・・・と思っている。
だから他人を憎む人は、ペーペーの未熟者だ・・・と思っている。