私はかつて純愛に近いものを、女性に捧げたことがあります。
そのときは、その女性の幸福を心より願い、
彼女のためなら、自分は、かなり不幸になってもいいと思いました。
また万が一、彼女が病気になり、身体が不自由になっても、
彼女のシモの世話も、一切できると思いました。
つまり、私の日々は「彼女第一」でした。
彼女が喜ぶことなら、何でもしたかった・・・というのが、正直な気持ちです。
もちろん、こういうことを言うと、
肉欲とか、独占欲などについての質問が飛んでくるでしょう。
前者について言えば、私はほとんど考えなかったです。
ゼロではないですが、あまり考えなかったことは確かです。
少なくとも、優先順位の第一にも第二にも考えませんでした。
彼女の精神を愛しているのだと思っていました。
ただし、独占欲はありました。
彼女が他の男性のものになることは、耐え難かったですね。
つまり、その点では、私の愛は「純愛に近いもの」であって、
純愛ではありませんでした。
それが私という人間の限界ですが、
でも、いざ、彼女が他の男性のものになってしまうと、
大きなショックはあったものの、「ま、いいか」と思いました。
彼女も、私のことをいろいろ考えていたことはわかっていたし、
悩んだ末の結論なのですから、私も、彼女の幸福を願うしかないと思いました。
(私は4歳の時、大好きな母と別れたので、
そういう別れにも我慢ができるようになっていたのかもしれません。)
現在、彼女はネットでブログを発表していますので、一年に2度くらいそれを覗きます。
正直、ほんのチラリと、「彼女、離婚しないかな?」とは思います。
「離婚したら、今度こそ、私が・・・」、と少しだけ夢想します。
でも離婚しても、何も起こらないと思っています。
ところで・・・
・・・・よく、男性が、女性・・・特に若い女性にやさしくすると、
「エロじじい」とか「体が目的」などと言いますが、
それは間違っています。
男性の心の中には、女性への純愛は間違いなく存在すると思います。
「体が目的」を否定はしませんが、
少なくとも、女性に対してやさしくしたい気持ちという思いは、
半分以上?はあるでしょう。
もちろん、どんな女性かによって、全然違います。
また男女の年齢によっても違うし、どんな環境に住んでいるかによっても違います。
既婚未婚の別もあります。
ストレスの多い仕事をしていたら、
そのストレスを肉欲で、紛らわそうとする気持ちも多分に起きるでしょう。
それは、ある程度、仕方がないと思います。
女性に関して言えば、私は、
男性を拒否する女性に対して、やさしくする気持ちは、さすがに起きません。
でも、普通の常識的な女性であれば、男は女性に対して、
やさしくしたいのではないでしょうか?
そういう気持ちは、ほとんどの男性は持っていると思います。
それはなぜかと言えば、神様が男と女を作られたからでしょう。
男は女を求めます。女は男を求めます。
ただし私の場合、
純愛を捧げたくなる女性は、できれば、女性を演じない女性がいいですね。
背伸びをせず、他の女性と自分を比べることなく、
自分の与えられた仕事を、きちんと誠実にこなし、
あとは、タップリ休息をとり、好きな趣味をしながら、
困った人がいれば、進んで手を差し伸べられる女性は、
皆、美しいと思います。