人生相談を、ラジオでよく聞く。
すると、いつも思うこと・・・
「苦しむって、本当の自分になりたいということ」
・・・ではないか?
どういうこと?
苦には、無限の種類がある。
夫の浮気で苦しむ妻も、
その形式は、多種多様、千変万化。
一人一人の妻によって、全部違う。
個人の悩みとは、そういうものであって、
皆、「自分は、自分特有の悩みで苦しんでいる」
と思っている。
いや、
人間は、「自分自身になりたいから、
苦しむのではないか?」
妻になるという喜び・・・
3年くらい経つと、次第に飽きてくる。
で、妻Aから女・山田よし子になるために、
夫の浮気を苦しむ妻になる!
本当は、男の浮気はかなり、当たり前のことだ。
男にとって、女は、ある種トイレだ。
性欲をもらすトイレだ。
だから男は、女に言い寄られると、断れない。
顔なんか、どんな女でもかまわないのだ。
性器さえ、ついていればいいんだ。
それをわかっていて、妻山田よし子は悩む・・・(ふりをする)。
妻の演技を捨てて、自分自身になるためだ。
・・・そういう構図ではないか?
人間とは、圧倒的に「自分自身になりたい生き物」
なのではないだろうか?
夏目漱石の『こころ』
主人公は、田舎に帰る。
田舎の人は言う。
「東京帝国大学に行ってる秀才なんだから・・」
でも主人公は、言う。
「でも東大も、500人もいるんだからね・・・」
その気持ち、すごくわかる。
主人公は、「500分の1」であることに、
耐えられないのだろう。
オリンピックで金メダルを取って・・・
最初はうれしい。
でも、そのうち「金メダルを取ったA」になる。
世間はそう見るからだ。
ステレオタイプで、金メダルを見る目だ。
金メダルを取ったから、世間は自分に愛想がいいのであって、
本当の自分は、全然愛されていないのではないか?
・・・・
そう言えば、体操の加藤沢男は、金メダル8個取った・・・
ノーベル賞も同じ。
最初、飛び上がるほどうれしい。
でも、そのうち、およそ850人が過去に、
ノーベル賞を取っていることに気づく。
な~んだ・・・850分の1か・・・
作詞家のなかにし礼は、
最初、自分の曲を、銭湯で他人が歌っているのを聞いて、
とても、うれしかった・・という。
しかし次第に、ヒットするのが当たり前・・・
そのうち、ヒット曲を出すこと、
それがプレッシャーになる。
美人もそうだ。
皆から美人と言われると、
もはや、うれしいよりも、苦痛にさえ感じることもあるだろう。
それでいて、不機嫌になると、
「美人なので、気取っている」と言われる。
「美人なので、態度がデカイんだろう」とも陰口。
美人なんか、やってられない!
・・・美人薄命という意味は、そういうことなのだろう。
芸能人は、よく自殺する。
「売れた芸能人」は、虚構だ。
整形手術をして、年齢ごまかして、
好物も、趣味も、適当にウソを言い、
ドラマや歌では、偽の演技を演じる・・・
そのうち・・・本当の自分がわからなくなる。
本当の自分になるために、自殺する。
そうやって・・・芸能人は自殺する・・・
本当の自分になるためである。
自殺が最後の「自分になる方法だったとは・・・」
どんなに有名になっても、
どんなに金が入っても、
人間は、「自分になりたい」生き物らしい。
いや、そもそも有名になるということ自体が、
「有象無象の大衆」から自分を際立たせるためではないか?
しかし有名人の中では「無名無力の自分」。
元来、幸福の種類は、とても似ている。
そもそも、「皆が褒める栄誉」は、
「皆が褒める」・・・という意味において、
ステレオタイプにならざるをえない。
じゃあ、以上述べた悪循環をどうやって断ち切るか?
結論を言おう!
「自分の幸福を見つければいい!」
「自分に合った幸福を見つけるしかない!」
「皆で仲良く」・・・は、ある種、
地獄の思想だったのだ。
「皆で仲良く」・・・は、実のところ、
最も戦争を産み出す思想だったのだ。
「本当の自分の幸福を見つけなさい!
あなただけの!あなた特有の!」
・・・これが、世界を平和にする方法だったのだ!
そして、不幸にならないための、
唯一の思想だったのだ!
どうか、あなた自身が自分流に輝く「何か」を、
見つけてください!
でないと、不幸の落とし穴が、大きな口を開けて、
直ぐそこで、あなたを待っていることでしょう!
「あの人」の幸福のマネをしてはいけない!
そこからは幸福どころか、
地獄が生まれることでしょう!