![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/90/c462b96025e49a52fe69da78ab375035.jpg)
御言葉を聞くだけで感動し、気付かないうちに、いつの間にか涙を浮かべているときがある。
これは何なのか?
自分にとっては、良いことのように思えるが、はっきりとは解らない。
本当にこの御言葉に出会って良かったと思えるし、ここまで諦めずに信仰を続けて来て良かったと思える瞬間でもありました。
御言葉も含めて、真実を知って、それを皆に広めていくことだけでも大きな喜びを得られる。
イメージで言うと、
以前の生き方は、サタンの提供する悪のOS(PCのオペ―レーティングシステム)をインストールされて、
その中で少しずつ正しいと思われるアプリをインストールしていた感じで、何一つ満足のできない自分の存在や、人生を生きていた。
この御言葉を知ってからは、
善のOSをクリーンインストールし直して、毎日毎日新しいアプリをインストールしている感じがしている。
だから、その涙なのかもしれない。
新しいアプリをインストールされた喜びの涙なのかもしれない。
サラリーマン時代、メーカーに勤めていた関係で、どうしても新しい製品を作るイメージで考えてしまうのは仕方ない。
神様が人間を創られたのだから、成長し、どこまでも次元を上げていけば、限りなく神様に近づけるように作られているはずである。
そのH/W(ハードウエア)に御言葉というS/W(ソフトウエア)を加えることで、限りなく神様に近づけると考えるし、
だからこそ、神様の設計思想通りに生きることで、それぞれの個性を発揮できるし、喜びと希望を持って生きられるようになる。
神様の設計思想通りに生きることは、決して画一的な人間を作ることではなくて、
神様の与えた一人ひとりの個性を自分自身で探し出すことになるし、
そして、その個性を磨くことによって、人々の前で輝くことが出来、
そして、それを人々にまた、伝えていく、即ち伝道も自然に出来るようになるということである。
これらが理解できるようになれば、本当に希望と喜びの中で生きられるようになる。
これが本当の幸せなのではないだろうか。
聖書の言葉(コリントの信徒への手紙一 12章28節)
神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。
第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
皆が使徒であろうか。
皆が預言者であろうか。
皆が教師であろうか。
皆が奇跡を行う者であろうか。
皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。
皆が異言を語るだろうか。
皆がそれを解釈するだろうか。
あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。
第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
皆が使徒であろうか。
皆が預言者であろうか。
皆が教師であろうか。
皆が奇跡を行う者であろうか。
皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。
皆が異言を語るだろうか。
皆がそれを解釈するだろうか。
あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます