ギリシャの哲学者であるヘラクレイトスの思想は、
万物流転として有名です。
「同じ川に2度足を入れることはできない。」
日本人はこれを聞くと、
鴨長明の方丈記
「行く川のながれは絶えずして、
しかも本の水にあらず」
を思い出します。
なんとなく平家物語の
「祇園精舍の鐘の声、
諸行無常の響きあり」
と同じ感じで
諸行無常の仏教の教えを
言っているんだろうな、
と思っていました。
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方丈記を最後まで読むと、
面白いことが分かってきます。
仏教の教えは、
執着を捨てよ
ということです。
鴨長明もそれは分かっているんです。
でも、
四季の自然は美しいし、
子供と遊べば楽しいし、
人里離れた庵(いおり)
「方丈庵」にも愛着が湧いてくるし、
(執着を捨てるために移り住んだのに...、)
全然この世への執着を
捨てられないことが
嘆き調で書かれています。
そこでの書き方は、
嘆き調ではありますが、
鴨長明がこの世への愛着を
本心から嘆いているようには思えません。
鴨長明は
執着を断つという
大切な教えを
理解しつつも、
大乗仏教、
中論の思想である
現実肯定
つまり
現実から縁起を見ていく
という
ものの見方 をしています。
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思想としての日本の仏教は、
聖徳太子から始まったと
わたしは考えています。
現存する日本最古の書籍は
何でしょうか?
それは古事記や日本書紀ではなく、
聖徳太子が書いた
『三経義疏(さんきょうぎしょ)』です。
法華経、勝鬘経、維摩経の
三つの経典を聖徳太子が解説した書籍です。
法華経は有名ですね。
勝鬘経、維摩経は、
在家信者のお話です。
(勝鬘夫人は、王様の娘さんです。
維摩さんは、成功した商人です。)
聖徳太子は、山に籠もって
座禅を組むような修行とは、
距離を置いています。
在家での仏教信仰は
大乗仏教=中論の現実肯定
(目の前のことから始めよう)
が理論的な柱になっています。
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維摩経では中論の主要な論点である
「去るものは去らない」
「来るものは来ない」
に触れられていて、
読んでいてとても印象深く感じられました。
(この論点は前回説明しています。)
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聖徳太子の時代から
だいぶ時は経っていますが、
鴨長明も中論の思想を
踏まえていると思います。
悟りの境地を理想としながらも、
目の前の現実から
少しずつ前に進むしかないことを
(悩みながらも)
書き留めているのでしょう。
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さなぎが
蝶になるように
いっきに悟りの世界へ
飛び立つのではなく、
蛇が
古い皮を
一枚ずつ脱いでいくように
少しずつ成長することを
むしろ大切に
感じているのではないでしょうか。
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インドとギリシャの思想は
交流がありました。
(ミリンダ王のお話が有名です)
特にギリシャ(マケドニア)の
アレキサンダー大王の東方遠征で
それが進んだのは間違いありません。
(アレクサンドロス3世像 イスタンブール考古学博物館 ウィキペディアより)
ガンダーラの仏教芸術も
その表れですね。
(ガンダーラ美術 仏陀直立像、東京国立博物館。1 - 2世紀 ウィキペディアより)
アレキサンダー大王の
家庭教師だった
アリストテレスの思想は
とても重要視されていたはずです。
インドのナーガールジュナ(龍樹)が
アリストテレスの影響を受けていても
何の不思議もありません。
アリストテレスの思想が、
龍樹、鳩摩羅什、聖徳太子を経て、
鴨長明やいろは歌の作者に
伝わっていたと考えると、
とてもうれしくなります。
(中宮寺 菩薩半跏像 ウィキペディアより 中宮寺は、聖徳太子が母后のために創建した尼寺です。)
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アリストテレスは
自然言語の文法規則や
単語の使い方を
大変重視した哲学者です。
その意味で、
言語的転回を経た
現代の哲学に通じる
とても偉大な哲学者です。
その偉大な先生の哲学が
日本の思想の底流に流れている
なんて、
考えるだけで楽しいです。
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方丈記の出だしを
もう一度味わってみましょう。
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ゆく河の流れは 絶えずして
しかももとの水に あらず
淀みに浮かぶ うたかたは
かつ 消え かつ 結びて
久しくとどまりたる
ためしなし
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まるで
歌のようですね
日本では
大切なことを
歌に歌います
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