仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

61.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その9  「蜻蛉の臀舐」も「空から見れば分かるはず」

2024年07月20日 | 和歌 短歌 俳句
「蜻蛉(あきづ)の臀舐(となめ)の如くあるかな」
日本を形容した神武天皇の言葉です。

神々が日本をどのように形容したか、
という話の続きです。
初代天皇の神武天皇が、
大和の国の形を
「トンボが交尾している姿」と呼んで、
それが、本州を秋津洲と呼ぶ始まりだ、
と日本書紀には書いてあります。

日本書紀の書き始めのほう、国生みの時は、
イサナギのミコトとイザナミのミコト
の時代から呼ばれていたような
書きぶりだったのに、どうしたのでしょう。

本州の形がトンボの形だと言われれば、
正面から見て左右に羽を広げた姿を想像して
私のイメージからはしっくりきます。


一方、「トンボが交尾した姿」と言われて、
ピンとくる人がどれだけいるでしょう。

「トンボが交尾した姿」と言われれば、
まず、
雄雌が上下でハート型につながる姿
が浮かびます。
けれども、それは、本州に似てません。
下になっている雌の胴体だけ見れば、
折れ曲がっているので、
ぎりぎり本州の形に見えなくもありません。
オニヤンマの交尾 | 野鳥写真日記 自分用アーカイブズ

オニヤンマの交尾 | 野鳥写真日記 自分用アーカイブズ

近所の畑奥の沢オニヤンマが交尾キビタキのオス

野鳥写真日記 自分用アーカイブズ

(オニヤンマの交尾 : 野鳥写真日記 自分用アーカイブズ より写真を引用させていただきました。

前後の文章もおかしな単語を使っているので、
悪ふざけをしているのだと思っていました。

おそらく悪ふざけはしているのですが、
それだけでも無いようです。

この段は、神武天皇が奈良盆地を
平定した後の話です。
トンボが交尾した姿というのは
奈良盆地を指す名前だと思えば、
あながち悪ふざけだけとは言えないと
思い直しました。

なぜなら、神武天皇の時代には、
まだ奈良湖、大和湖が残っていた
可能性があるからです。
  太古の奈良県は湖の底に沈んでいた?万葉集のミステリーを調べてみた | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

太古の奈良県は湖の底に沈んでいた?万葉集のミステリーを調べてみた | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

ダムの建設などによって、故郷の村や町が湖の底に沈んでしまった……。現在も各地でそのような話を耳にすることがあります。しかし、かつて湖の底だったところに、いま多くの...

和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

(千田正美『奈良盆地の景観と変遷』柳原書店、1978年)…「大和湖の水面は、六〇〇〇年ほどまえには七〇メートルの辺であったが、その後、だんだん低下して、二五〇〇年以前には、五〇メートル辺まで低下するに至った」…。

標高50mから70mのところに
奈良湖があったとのことです。
例えば、標高60mまでを青く塗り、
山地になる90m以上を赤く塗ると
次のような地図が出来上がります。


この地図とオニヤンマが交尾している写真を
比べてみましょう。

人が住める平野を緑色に塗ってあります。
湖と山に挟まれた緑色の平野は、
オニヤンマの交尾している姿に
そっくりです。


神武天皇は、国見をした時、その国を評して
「蜻蛉(あきず_トンボ)の臀舐(となめ)の如くあるかな」
と言いました。
奈良湖の中の西よりの島が、
お尻を舐めているトンボの顔にも見えます。

日本神話を読み進める上で、
空から見た視点がいかに大切か
よく分かります。

「空に見つ」
「空から見れば分かるはず」
です。

残念なことに、先程の引用からすると、
奈良湖の水面が60mだったころは、
神武天皇が奈良に来るより
だいぶ前です。
水位の低下がもう少し遅かった
のかもしれません。

もしくは、一昔前から言われていた譬えを
神武天皇がなぞったのかもしれません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それぞれの神様は、
自分に縁の深い地域の地形を
示す言葉を残したのだと思います。

「日本(やまと)は浦安(うらやす)の国」
イザナミのミコトがお亡くなりになり、
縄文海進がストップした段階では、
内陸部まで入江または湾が
入り込んでいました。
外洋から遠く離れた、湾の最奥部では、
波は静かで、まさに「浦安」という形容が
ピッタリだったのではないでしょうか。

ディズニーランドがある千葉県の浦安は、
新しく付けられた名前だそうですが、
東京湾の最奥部にあります。


木曽川と長良川の河口にある
三重県桑名市長島町浦安は、
伊勢湾の最奥部にあります。
町のほとんどがナガシマスパーランド
になっています。




鳥取県東伯郡琴浦町浦安は、
有名な大山(だいせん)の
麓の海沿いの町です。


加勢蛇川という土砂災害の多い
河川流域にあります。


土壌の堆積が厚い典型的な三角州です。


蛇の字の付く地名は、
土砂災害や洪水が多い場所だと
言われています。
地盤も火山性で脆いようです。

広島市の三角州の例では、
年10mm程度の堆積が起こります。
6000年で60mになります。

縄文時代の海岸線を想定すると、
次の図の水色のところまでが海です。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国」
イサナギのミコトは、
「水戸のまぐあい」にちなむ
茨城県の鹿島や霞ヶ浦周辺に
いらしたことがあるのかも知れません。
尾根と谷を水平に切り取ると現れる
矛の形の海岸線を表した言葉です。



当時このような地形の海岸線は、
日本のあちらこちらにあったと思われるので、
この言葉で日本全体を指そうとしていた
のかもしれません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)の国」
埼玉県の浦和のように
海岸線が円形になった磯も、
日本全国あちらこちらに
たくさんあったのかもしれません。


そのすぐ上で行われていた
棚田による稲作が印象的だったはずです。

特集「波打ち際に迫る棚田」 | 棚田NAVI

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春になり田んぼに水が張られると、その青く揺れる水面がどこまでも広がる青い海と空に溶け込んでいく絶景がみられる棚田があります。

棚田NAVI | 全国棚田(千枚田)検索サイト

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「玉垣の内つ国」
大国主命は、
南北の玉垣のような形の
海岸線や谷に挟まれた
出雲や宍道湖(しんじこ)周辺を
このように表現しました。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「蜻蛉の臀舐(となめ)の如くあるかな」
神武天皇は、本州全体ではなく、
奈良盆地を指して言った言葉のようです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「虚空《そら》に見つ日本《やまと》」
饒速日命が空から本拠地だった奈良盆地を
見た光景かもしれませんし、


日本中にある盆地を指して
この言葉を使ったのかもしれません。


また、これ以上東に
陸地が無いことを示すために
「日本」の漢字を使ったのかもしれません。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それにしても
「トンボがお尻を舐める形に似ている」
なんて、

ふざけたお話だと思いませんか?

日本書紀や万葉集には、
時々とてもふざけたお話がでてきます。

同じテレビ局で、ニュース番組もあれば、
スポーツやバラエティの番組があるように、
日本書紀を一つの番組としてではなく、
一つのメディアだと考えれば、
おふざけのターンがあっても良いと思います。

万葉集のふざけたお話として有名なのは、
腋の匂いのきつい人と赤鼻の人の口喧嘩です。
赤い鼻がイジりの対象となるのは、
今の感覚だと分かりにくいのですが、
クリスマスの歌でも
トナカイさんがイジられていますね。


平群朝臣(へぐりのあそみ)がからかった歌
万葉集 3842
 
童(わらわ)ども
  草はな刈りそ
    八穂蓼(やほたで)を
 穂積(ほづみ)の朝臣(あそ)が
   腋草(わきくさ)を刈れ

【訳】
子供たち 蓼の草なんか刈らないで、
穂積おじさんの 腋に生えている
草を刈ってやってくれ
(腋が臭(=草)いから)

穂積朝臣が答えた歌
万葉集 3843

いづくにぞ
  ま朱(そお)掘る岡
    薦畳(こもたたみ)
 平群(へぐり)の朝臣(あそ)が
   鼻の上を掘れ

 ※「ま朱」赤い顔料の元になる水銀
 ※「鼻の上を掘れ」平群の朝臣の鼻が赤いので
  そこに赤い顔料の原料があるというイジり

【訳】
赤い色の原料を採掘するのは、
どの岡がいいのだろう
そうだ、
平群のおじさんの鼻が赤いから
そこを掘ればいい

(鼻を岡に喩えるのは一般的だっようです。)

国家が関与していると思われる歌集で
このようなおふざけがまかり通っています。

国が免許を与えている放送局で
お下品な番組が放送されているのと同じですね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本書紀の「トンボの臀呫」の部分を詳しく見てみましょう。

皇輿巡幸 因登腋上嗛間丘 而廻望國狀曰
姸哉乎 國之獲矣 雖內木錦之眞迮國
猶如蜻蛉之臀呫焉。

「すめらみこと 
巡(めぐ)り幸(いでま)す。
因(よ)りて腋上(わきがみ)の
頬間丘(ほほのまおか)
に登(のぼ)り」

「腋」の字を使っていることで
先ほどの万葉集のふざけている歌を
思い出します。

岩波文庫の解説で偉い先生方が、
場所を特定しようとしています。

腋上村(明治時代の命名)
本馬(頬間から転じた)山
とまじめに考察していますが...、

ここはおふざけのターンではないでしょうか。


「而廻望國狀曰」:国状を廻り見て曰く
ここで神武天皇は、国見をしています。
国見をする有名な山は
万葉集の二番歌に出てくる
「香具(かぐ)山」です。

「頬間丘」:頬の間(あいだ)には丘に喩えられる鼻があります。

「腋上」:これを、「腋を上げる」と読むと、

腋を上げて、鼻で何をしますか?

「嗅ぎます」ね。


(ふざけているんですよ。)

で、国見をしています。

「腋上頬間丘」は、
  ↓
「嗅ぐ山」、
  ↓
「香具山」です。

ふざけているでしょ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お茶目な神武天皇がふざけている話の続きです。

トンボの交尾について天皇がおしゃべりしています。

雖內木錦之眞迮国、猶如蜻蛉之臀呫焉

「内木綿」は岩波文庫では
「うつゆふ」と読んでいますが、
「うちゆふ」=「宇宙」ではないでしょうか。
「宇宙」という言葉は、日本書紀の中で
何回か使われている言葉です。
(一般的には「あめのした」と訓読みします。)

本州の形について話しているのですから、
壮大な言葉を使って良いところです。
八紘一(為)「宇」という言葉も
神武天皇が言ったことに由来しています。

「宇」は屋根で
「宙」は家の真ん中にある柱だそうです。
「宇宙」は元々家の中の空間を指して、
外の空間と区別して
「内側の空間」を意味しています。


「無限に広がる大宇宙」という言葉は
語原からすると変な言葉で、
「宇宙」というのは何かしらで
限定されている空間を言います。

人間が認識できる範囲という
限定された空間を宇宙と言っているのです。
けれども、現代の科学的な宇宙観では、
神様の世界や死後の世界などの
外の世界はないものとして考えているので、
宇宙は、全てを含む壮大が感じがします。



「宇宙」の元々の意味は外の空間に対する
内側の空間の意味です。
「内木綿」は狭いという意味や
「こもる」というの言葉の
枕言葉になっているそうです。

「綿(わた)」は、
布団(古語で衾_ふすま)の内側の
狭い空間に詰めるものなので、
「狭い」、「こもる」に掛かるのは自然ですが、
それに加えて、内側の空間を意味する
「宇宙_うちゅう」に掛けているのでは
ないでしょうか?

(真綿=絹の原料を布団=衾に詰める話を万葉集で見つけることができました=万葉集3354。木綿=ゆふを布団の間に詰めたという事例は見つけることができていません。どなかたご存知な方はいらっしゃらないでしょうか?同じ「綿」の字を使っているので、同じ用途があっていいと思います。)

日本書紀の記述を訳すと、

「宇宙(=世界)の中で日本は、
正(まさ)き国=真っ直ぐな国である。
それであるはずなのに、
体を真ん中で折って交尾する蜻蛉ように曲がった形をしているんだな。」

という意味に取れます。

(「雖」は逆説の接続詞です。)

「木綿_ゆふ」は、今の木綿(もめん=コットン)ではなくて、楮(こうぞ=和紙の材料)などから作る布のようです。

和紙を漉く前の水の中でふわふわしている状態を見れば、綿(わた)のような用途があったのではないかと考えています。


少し下品な話になりますが、

内木綿ということは布団の中ということです。
布団の中でまっすぐなものが、
曲がってしまうということが書いてあるのです。

後は想像にお任せします。

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60.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その8 玉垣の語源

2024年07月09日 | 和歌 短歌 俳句
万葉集の始めの歌、雄略天皇の歌、『こもよみこもち』に出てくる「空に見つ」は、日本書紀にその由来が出ています。

物部氏の始祖、饒速日命(ニギハヤヒのミコト)が空飛ぶ磐船に乗り、次のように言います。

「虚空《そら》に見つ日本《やまと》」

今回は、神々が日本をどのように表現したかの続きです。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、3つの呼び名で呼んでいます。
「日本(やまと)は浦安(うらやす)の国」
「細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国」
「磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)の国」

島根県の出雲が本拠地の大国主のミコトは、次のように呼びます。
「玉垣(たまがき)の内(うち)つ国」

奈良盆地の大和を勢力下に置いたばかりの神武天皇は次のように呼びました。
「蜻蛉(あきづ)の臀舐(となめ)の如くあるかな」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
大国主のミコトの言葉を解読します。

「玉垣の内つ国」

「玉垣」とは何か

神社の周りの垣根です。薄い灰色の石の短い柱を間隔を空けて立てていくものを言います。
写真は、家の近所の聖徳太子を祀った聖徳宮の玉垣です。


石の玉垣の施工例です。

「玉垣工事」 | 千葉県の八柱霊園の運営会社よりお墓にまつわるエトセトラをお伝えします

なか川石材株式会社

(なか川石材株式会社様HPより)

玉垣を木で作る場合もあります。

玉垣改修工事|飛鳥建築の社寺建築・伝統建築

飛鳥建築は埼玉県狭山の宮大工集団です。本堂、庫裡客殿、山門、御堂などの新築、改築、建て替え、改修、設計や屋根、地震対策はお任せ下さい。私たち飛鳥建築は、自社工場...

飛鳥建築

(株式会社飛鳥建築様HPより)

四角い柱なので、丸い「玉」の要素は一切ありません。辞書を見てもネットで検索しても、「玉」は美称だとしか書いてありません。美称だと言われるものの多くが、だいたいにおいて、分からないから逃げているだけのような気がします。

「たま」には、もう一つ意味があります。日本書紀に出てくる用法です。

高皇産霊尊(タカミムスビのミコト)のお子さんの少彦名命(スクナビコナのミコト)が高天原から落ちてくる場面でのことです。一寸法師のような小さな神様で、高皇産霊尊の手のひらからこぼれ落ちます。

「手間(タマ_手の指の間)より漏(ク)き堕ちにし(漏れ落ちた)」と表現されています。狭い指の間を通って落ちてきたという意味です。

指の間の空間を「手間(たま)」と呼びました。

私の手と玉垣を見比べてみてください。





形を見れば分るということだと思います。

玉垣は、「玉」という漢字を使っていますが、
「手間(たま)」のように間を空けた垣根という意味です。

少彦名命(スクナビコナのミコト)は、大国主命(オオクニヌシのミコト)の相棒です。神話によると、この二人で豊かな国造りを進めました。

その相棒にちなんだ言葉を使って大国主命は、何が言いたかったのでしょう。

これも「空に見つ(空から見れば分るはず)」です。

いつものように国土地理院地図の自分で作る色別標高図を使います。関東平野が海だった場所に合わせて、標高15mまで青と水色に色付けしました。


陰影起伏図の方が分かりやすいかもしれません。


昔の海岸線に垂直に長さと幅の揃った谷が並んでいます。
この谷が並んだ様子を玉垣になぞらえたのではないでしょうか。
イザナギのミコトが、
「細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国」
と呼んだ地形と比べてみます。

(国土地理院地図 茨城県霞ヶ浦付近)

こちらは、海岸線に対し谷が斜めに入り込んでいて、河口が広がっているため、尾根が矛(ほこ)のような形に見えます。

「玉垣の内つ国」とは、
北側は島根半島の山地、
南側は中国山地のそれぞれにある
玉垣のような地形に挟まれた
出雲平野と宍道湖(しんじこ)
周辺の地域を指した言葉です。
ウィキペディアの宍道湖のページを見ても
緑との対比で谷の形が玉垣のようです。


大国主命は、自分の本拠地をこのように表現したのです。

イザナギのミコトとイザナミのミコトが一緒に日本列島に来た時には、北海道を除き一つの大きな島が横たわっていました。
イザナミのミコトが誘う津波を伴う海流の進入が瀬戸内海を作り、それにより大きな島が大きく3つに分かれました(本州、九州、四国)。今から一万年前のことです。

縄文海進の最盛期には、島根半島が本州から切り離されます。今から6000〜7000年前のことです。

イザナミのミコトがお亡くなりになり、縄文海進が終わると、河川による土壌の堆積あるいは、人為的な干拓により、出雲平野が現れ、本州と島根半島は再び繋がります。

その時代に活躍したのが、大国主命とその相棒の少彦名命です。

高皇産霊神の手の指をすり抜けてきた少彦名命は、ガガイモ(カガミクサ)の実の小さな鞘(さや)を船にして潮水に漂っていました。

北の島根半島の山々か南の中国山地の高い場所(高天原)から、玉垣のような谷をすり抜けて現在の宍戸湖あたり、当時はまだ海または、海辺の湿地帯だった場所にたどり着いた様子を表しているのかもしれません。

その時代に二人で国造りをしたということは、おそらく浅瀬や湿地帯の干拓を行うことで農耕のできる平野を広げていったということだと思われます。出雲平野は二人の干拓により生まれた土地なのかもしれません。

あるサイトにあった図を見ると、それは今から4000年前の出来事のようです。

(おおだwebミュージアム より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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59.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その7 大和の枕詞 そらにみつ 空から見るとたくさんのことが分る

2024年07月07日 | 和歌 短歌 俳句
物部氏の祖先の饒速日命(にぎはやひのみこと)が日本を「虚空(そら)に見つ日本(やまと)の国」と呼びました。
日本書紀の同じ段に色々な神様が日本を色々な呼び方で呼んでいます。

まず伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が3つの呼び名で呼んでいます。
「日本(やまと)は浦安(うらやす)の国」
「細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国」
「磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)の国」

大国主のミコトは、次のように呼びます。
「玉垣の内つ国」

神武天皇は次のように呼びました。
「蜻蛉(あきず=とんぼ)の臀舐(となめ)の如くあるかな」

「浦安の国」から考えます。

伊弉諾尊は、揺蕩(たゆた)う潮の流れ=凪(なぎ)の神様です。伊弉冉尊(イザナミのミコト)は、荒ぶる潮の流れ=波(なみ)の神様です。
(イザナギのミコトは、ギリシャ神話の海流の神様オケアノスに相当します。)

イザナミのミコトは、縄文海進に伴う大きな津波が頻発していた時代の象徴です。
イザナミのミコトがお亡くなりになり、
かつてほどは大きな津波が来なくなった状態を

イザナギのミコトが
「浦安」と表現したのではないでしょうか。

次の
「細戈(くわしほこ)の千足(ちだ)る国」
は「空から見れば分か」ります。
戈=矛は、このイラストのような形です。
このような形がたくさん見られる国だと行っているのです。


縄文海進から海退に移り変わる時期は現在の標高15mくらいの陸地が海でした。
国土地理院地図で標高15mまでを青と水色に色付してみます。




細い矛のような形がたくさん並んでいるのが分かります。
山々の尾根に急激に海が入り込んだ結果、
海岸線がこのような形になりました。

更に詳しく見ていくと、それぞれの矛の形をした海岸線は、更に小さい矛の形をした海岸線が連なってできていることが見て取れます。




図形を拡大していくと同じ図形が現れるというフラクタル図形のようです。
「細戈(くわしほこ)」という言葉がこの地形のイメージをよく表しています。

〜〜
あるサイトの解説によると、海辺に棚田を作っているのはほぼ日本だけだそうです。
特集「波打ち際に迫る棚田」 | 棚田NAVI

特集「波打ち際に迫る棚田」 | 棚田NAVI

春になり田んぼに水が張られると、その青く揺れる水面がどこまでも広がる青い海と空に溶け込んでいく絶景がみられる棚田があります。

棚田NAVI | 全国棚田(千枚田)検索サイト

特集「波打ち際に迫る棚田」 | 棚田NAVI

このサイトに出てくる海辺の棚田を見てみましょう。








以上4つの海の棚田は、
ずんぐりした半島状の場所にあります。

前に埼玉県の「浦和」の語源を考えたことがあります。
縄文海進または縄文海退の一時期、現在の標高5mくらいのことろが海だった時期があり、その時に海と陸の境界が見事に輪っかの形をしていました。下の図は標高5mまでが濃い青色です。


海に視点を置いて見ると、浦が丸い形なので、この形を「浦輪」「浦和」と呼ぶことができます。
同じ地形を陸に視点を置けば、磯の形が輪っかになるので、「磯輪(いそわ_しわ)」と呼ぶのではないでしょうか?
福岡の有名な宗像では、アルファベットの「W」の形をした海岸を海から見て「胸形、宗像(むなかた)」と呼びます。一方、陸から見て三叉の銛を表す「勝浦」と呼んでいます。これと同じ発想です。

きれいな輪っかではありませんが、ずんぐりした半島付近に棚田がある光景はとても印象深かったはずです。世界中でほぼ日本にだけ見られる光景です。

その特徴を捉えてイザナギのミコトは
「磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)の国」
と表現したのではないでしょうか。

「秀真=穂褄(ほつま)」とは稲穂や粟や稗の穂の先っぽのことです。

水田は棚田が先にあって、その後平地での水田耕作が始まったという考え方があります。平地での水田耕作は、高度な灌漑技術が必要だからです。

縄文時代からの神様だと思われるイザナギのミコトが棚田を見ていた可能性は十分あります。
たとえ水田ではなくても、海辺の斜面に粟や稗を植えていた状況を指してこの言葉を使ったと思います。

実は先ほどの海辺の棚田のサイトの筆頭にあげられている能登輪島の白米千枚田という棚田は半島状の地形にありません。一方で白米千枚田の沖合には、島があります。


沖合の島は津波の際の防波堤になると言われています。東日本大震災時の塩釜と浦戸諸島との関係がその例です。
(《塩竈市ホームページあの日、浦戸の島々は〝自然の防波堤〟となった

半島状の地形では、陸との付け根の方向を除き、ほぼ360度のどの方向にでも棚田を作ることができるはずです(理屈の上でですが)。
津波の来る方向が分かっていれば安全な側に棚田を作ることが可能です。
棚田を作る時に、津波の災害を避けるため、防波堤になる島の後ろか、半島状の地形の安全な側の斜面に作ったということではないでしょうか。

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58.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その6 大和の枕詞 そらにみつ 俯瞰して何が見えたのか?

2024年07月05日 | 和歌 短歌 俳句
「空に見つ」についてもう少し掘り下げます。

空から見て分かることとは何でしょう?

日本書紀によると、「そらにみつ」は、饒速日命(にぎはやひのみこと)が天の磐船で空を飛びながら日本列島を「日本(やまと)」と名付けた際に一緒に付けた修飾語です。

日本書紀では、天孫降臨が二つあることになっています。天皇家の天孫降臨と、物部氏の天孫降臨です。物部氏の天孫降臨を行ったのが、饒速日命(にぎはやひのみこと)です。

「日本」という漢字を使っているのは、これ以上東に陸地が見えず、日が昇るところ=日の本(もと)だからです。
そのことが「空から見れば分る」と言っているのです。

南米に縄文土器そっくりの土器があったという話がありますが、アメリカ大陸の存在を縄文人が知っていた可能性は十分あると思います。
縄文人は、海洋民族と言われることがあります。
海洋民族の縄文人は、日本より東にアメリカ大陸があることが分かっていたのではないでしょうか。

海上を東に航海すれば、その先にアメリカ大陸があるので日本は日の本(もと)ではありません。
けれども、地球は丸いので、日本上空をいくら高く飛び上がってもアメリカ大陸は見えません。
日本が、日の本(もと)と言えるのは、空から見た場合です。

(グーグルアースより)

「空に見つ日本(やまと)」

と言うのは、

船で進めば、東の端=日の本(もと)ではないのだけれど、

空から見たら、東の端=日の本(もと)だと言える、ということです。

「空に見つ」というのは、とても大切な意味を持っています。意味がないなんて誰が言ったのでしょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
地球上で高い空から東側に陸地が見えないのは日本を含む太平洋の西側だけです。
大西洋の西側からでは、空高く飛び上がるとアフリカ大陸の西岸が見えてしまいます。


実際に宇宙から地球を眺めなくても、
地球が丸いことを知っていて、
正しい海図が頭に入っていれば分ることです。

古代ギリシャ人は、太陽の傾きから地球が丸いことだけではなく、地球の大きさまで分かっていました。
エラトステネスさんが紀元前240年に地球の大きさを計算しています。

日本の皇紀で今年は、2684年です。初めのうちは、今の1年を2年とする「春秋年」を採用していたので、神武天皇は、紀元0年頃の人です。

神武天皇のお祖父さんのお父さんは、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)です。饒速日命(にぎはやひのみこと)も同時代の人だとすると、エラトステネスさんの結果を認識していておかしくない時期です。

ギリシャ神話と日本神話は、似ている部分が多いと言われています。当時、交流があってもおかしくありません。

縄文人は航海民族だったと言われていますので、少なくとも頭の中には正確な海図を持っていたと考えられます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
更に時代を遡ります。
天から降りてきた「いざなぎのみこと」、「いざなみのみこと」という神様が日本の国(大八洲)を生(う)んだ時に、本州を「大日本豊秋津洲(おおやまととよあきづしま)」と名付けました。

いざなぎ様、いざなみ様が名付けた名前
「大日本豊秋津洲」の
「あきづ」とは、トンボのことです。

頭の中にある海図を空から見るように
俯瞰、鳥瞰すると、
本州はトンボの形に見えるということです。


私にとって、トンボで思い出すのは、
何かに止まっている赤トンボの目の前で
右手の人差し指をぐるぐる回し、
トンボの目が回ったところで、
羽を掴んで捕まえるという動作です。


そんな、私にとって、
トンボのイメージは、正面から見て、
左右斜め上に羽を広げた姿です。


そのイメージを持ちながら地図の上の日本の本州を見ると、
トンボが羽を広げた姿を少し斜め前から見たように見えます。


添付した画像を見てみて下さい。

みなさん、そんなバカな、と思うでしょう。

でも、縄文以来、日本人は優れた航海術を持っていました。

縄文時代、伊豆半島から50km以上離れた神津島と千葉や静岡の間で黒曜石の流通が行われてたことが確認されています。
黒曜石はとても切れ味の良いナイフになります。

大和朝廷になるころには、
朝鮮半島や三国志の呉があった地域(中国南北朝時代 の宋の国)と行き来していた記録が残っています。

日本書紀の雄略天皇の巻でも、
しょっちゅう朝鮮半島で戦っていますし、
呉(宋)の国から何度も使者が来ていることから、
行き来が活発だったと思われます。

当然航海の専門家がいたでしょうし、彼らの頭の中には海図があって、大陸の海岸線やいろいろな島がどのような形をしているか分かっていたはずです。

仮に空から見たら本州がどういう形になるか、
彼らには分かっていたことでしょう。

(黒曜石のナイフは実用品であり、生活必需品でもある黒曜石の運搬には、安定的な航海技術が必要です。毎回大冒険をするような航海では、命がいくつあっても足りません。)

本州は、真っ直ぐ細長い島が真ん中でポキっと折れた形をしています。静岡から新潟に伸びる中央地溝帯(フォッサマグナ)というとても珍しい地質構造がその折れ目になっています。

西日本が時計回り、東北日本が反時計回りに廻ったので、真ん中が割れて大きな溝ができたそうです。(今度ポッキーかリッツを内側に向けて折ってみましょう。それと同じ原理です。)



ネットによると、とても珍しい構造で、世界唯一と言っているサイトもあります。地溝帯という構造自体はアフリカの大規模なものが有名です。石川県能登半島の先、火を吐く竜の口元のように見える場所にも邑知潟地溝帯(おうちがたちこうたい)という地溝帯があります。

それでも、世界で唯一というのは、細長く真っ直ぐな島をポッキリ折ってしまうような構造が他にないということなのでしょう。

いずれにせよ、航海技術に長(た)けた縄文人にとっても、他で見ない本州の形が印象に残っていて、その形の特徴を伝える名前(あきづ=トンボ)で呼んだんだと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ちなみに、日本(やまと)の訓読みの方ですが、
「と(戸_門)」というのは、何かに囲まれた長方形の形を指します。

港(みなと)は、水(みな)に囲まれた長方形の陸地を指します。

(名古屋港、空から見る鍋田埠頭と飛島埠頭 ウィキペディアより)

瀬戸は川や海峡などの両岸の浅瀬の間の細長く流れの速い場所です。

そもそも「戸(と)」は、壁に囲まれた長方形の空間です。


「やまと」は、山に囲まれた長方形の地域を指します。
奈良盆地を国土地理院地図の陰影起伏図で見れば、一目瞭然です。


訓読みの「日本(やまと)」の意味も「空に見つ」つまり「空からみれば分るはず」です。

「やまと」は、奈良盆地を指す固有名詞ではありません。
日本全国にある山に囲まれた細長い地形を指す一般名詞です。




縄文海進による平野の水没で海岸沿いの人の住めるところは限られていきます。しかも常に津波や高潮に怯えなくてはなりません。

奥山は多くの人が住める場所ではありません。
堤防を作って津波や高潮への備えができるまでは、多くの人々が安心して住むことができるのは阿武隈高地のような高台か、東日本と九州に多い山に囲まれた細長い盆地である「やまと」に限られました。
(2024/08/21追記 阿武隈高地は、山地なので多くの人は住めないかもしれません。海沿いで多くの人が住めるのは、縄文海進で沈まず、高潮の影響を受けない『台地』ですね。広大な台地があったのは、常総台地=常陸台地と下総台地のあった関東地方です。)





(国土地理院地図の自分で作る色別標高図の標高15mまでを水色 50mまでを緑で表しています。)

その時代には、日本全体を指して「やまと」と言うのは決しておかしなことではありませんでした。

「やまと」という言葉も

「空から見れば分かるはず」

です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
茨城県の水戸の地名の由来について、
別の回で話しました。

33.『水戸』の地名の由来 『貝が語る縄文海進-南関東+2℃の世界 増補版』松島義章 有隣新書 2012年 - 仕事と生活の授業(続き)

とても興味深い本を読んだので、要約と感想をここに残しておこうと思いました。『貝が語る縄文海進-南関東+2℃の世界増補版』松島義章有隣新書2万年前に120メートル前...

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57.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その5 大和の枕詞 そらみつ か そらにみつ か

2024年07月02日 | 和歌 短歌 俳句
次は

虚見津|そらにみつ

山跡乃國者|やまとのくには


「虚見津」は、枕詞と言われます。

大和の国の枕言葉は普通「そらみつ」と読まれます。

万葉集の他の歌(29番)で「天尓満(そらにみつ)」と5文字で読んでいるものがあります。

万葉集では、動詞、助動詞の活用語尾や助詞は、省略されていることが多く、読み手が補います。

虚見津のようによく使われる言葉は、間違いようがないので、助詞を省略しているのです。

天尓満は、普段と違う漢字を使う試みをしたので、間違わないように助詞を省略しなかった、ということです。

万葉集29番では、注釈において一般的な漢字を並べることで、同じ枕詞だということを示しています。
「天尒満倭…〔或云、虚見倭…」
「虚見」だけでも「そらにみつ」と読むことを校訂者が教えてくれています。

「虚見津」を「そらみつ」と4文字で読むのは、あまりに不自然です。和歌は、五七調です。

「虚見津」は、「そらにみつ」の5文字です。私の翻訳では「空から見ると分かるはず」になります。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「に」は場所を示す助詞で、

「つ」は完了の助動詞です。

「つ」は推量の助動詞「む」や「べし」と結びついて「てむ」(「て」は「つ」の未然形)「つべし」となると「きっと~だろう」「きっと~はずだ」の「きっと」の部分を意味するそうです。

歌では推量の助動詞とセットではありませんが、「空から(見る)」という仮定の話であり、推量の意味が含まれます。
なので、ここの「つ」には「きっと」というニュアンスがあるのかもしれません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現代人には、完了の助動詞と過去の助動詞の区別がよく分かりませんね。
現代語ではどちらも「た」ですから。
全部過去じゃん、と思いますが、そうではありません。

会う約束をしている人から忙しい時に電話が掛かってきて、今話したくなければ、
「来週会っ“た”ときに話そう」
と返します。

完了の「た」は、いつ行うかという時間に注目するのではなく、動作が確かに行われること自体を指しています(約束しているので会うことは決まっています)。

・明日、宿についた「ら(orならば)」、
 すぐにご飯にしよう。
(明日宿についた後のご飯の話)

・明日、宿につくな「ら(+ば)」、
 すぐにご飯にしよう。
(明日中に間に合うように、
 今早くご飯を食べななければいけない)

後者だと、宿に着く可能性が低くなってきてるようですね。
「た」を使うと、完了までの一連の動作に焦点が当たっているので、
確かに行われるような気がします。

過去の記憶と同じように、夢や想像の中でも一連の動作がありありと頭に浮かぶなら、「きっと」確かに起こったことだろう、と考えるのでしょうね。

記憶と夢や想像との垣根は思ったより低いのかもしれません。

ラッツ&スター(シャネルズ)の歌です。


 夢でもし逢え“た“ら

   素敵なことね

  あなたに逢えるまで

    眠り続けたい

(逢えないあなたに逢え“た”ら
 “きっと”素敵なことでしょうね)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
》》空に見つ

は、「きっと」見えるという意味で

「空から見れば分かるはず」と訳しました。

「そらにみつ」には意味があります。

いろいろな受験参考書で

「枕詞は次の言葉に繋ぐだけの意味のない言葉だ」

という説明を嫌になるほど聞かされてきましたが、

そんなことがあるでしょうか?

「茜さす、むらさき野行き、しめ野行き」

と聞いて、

夕焼け(朝焼け)に映える野原が思い浮かびます。

「紫」の枕詞「茜さす」に意味はないから、
この歌は正午に歌った歌だ、
とか言われても信じられません。

作る方も読者の抱くイメージを分かっていて、
その効果を狙って歌っているはずです。



そして、

 「そらにみつ」

   です。

これは、「大和(やまと)」の枕詞で
意味がないと言われますが、
そうではありません。

これは、

 「空から見ると分かるはず」

   という意味です。

大和朝廷の版図が広がっていることが、
「分かるはず」と言うことですが、
それが、なぜ空から見ると
分かるのでしょう?

この答えを書くのは、だいぶ先になります。

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