奈良で友人と待ち合わせをしている夏休みに、新潟経由で奈良に入る遠回りをしました。
新潟・十日町に寄るためでしたが、その後金沢経由で奈良に向かうルートにしました。
よって、北陸本線に乗り換える「直江津駅」で僅かな時間が出来ました。
直江津駅を列車で素通りするたびに思い出すのは、20数年前になるでしょうか…
友人とこの地を訪れた折に駅前の洋館の宿「イカヤ旅館」に宿泊したことです。
洋館に「イカヤ旅館」の奇妙な名とローマ風呂?です。
ほとんど宿泊客が居ないことの問いかけに、ご主人が申すに近々にホテルに改築するとの話でした。
今回見事に「ホテルセンチュリーイカヤ」になったホテルを発見することができました。
場所は「イカヤ旅館」と同じ場所です。
下の絵は、三野屋の若女将さんが差し出してくれた当時の「イカヤ旅館」の姿です。
旅館の隣の通りを港方向に800メートルほどで川原町・港町となります。
その近くの居酒屋で、新潟名産の酒と肴を頂いたことを思い出します。
左側が「イカヤ旅館」で右奥が「三野屋」さんです。
昭和の時代の同じ通りです。写真の奥が駅です。(三野屋さんの店で複写)
(参)センチュリーホテル イカヤ
駅前徒歩1分
その、直江津港に向かう商店街の右手に「継続だんご」の幟がたっています。
以前に来た時には見かけませんでしたが、気になる名前です。
お店の若女将さんからお話を伺うと「明治26年に米穀取引所が開設され、その後成績により明治36年に廃止が決まったが全市民挙げて営業継続の陳情をし、その結果継続許可が下りたそうです。このめでたい【継続】を祝ってできた団子」とのことです。
その後越後新潟に名を馳せ、林芙美子の放浪記にも載る名物となり今日に至っています。
そう言われれば「ホテルセンチュリーイカヤ」の前に林芙美子の歌碑が建っています。
若女将さんの(目の前にいる)小学生の長男がその除幕式に参加したと話してくれました。
お餅でできた団子ではなく、白餡を焼いたものです。
形に似合わず、抹茶に合いそうな上品な品です。
(参)三野屋 駅から徒歩2分程度
新潟・十日町に寄るためでしたが、その後金沢経由で奈良に向かうルートにしました。
よって、北陸本線に乗り換える「直江津駅」で僅かな時間が出来ました。
直江津駅を列車で素通りするたびに思い出すのは、20数年前になるでしょうか…
友人とこの地を訪れた折に駅前の洋館の宿「イカヤ旅館」に宿泊したことです。
洋館に「イカヤ旅館」の奇妙な名とローマ風呂?です。
ほとんど宿泊客が居ないことの問いかけに、ご主人が申すに近々にホテルに改築するとの話でした。
今回見事に「ホテルセンチュリーイカヤ」になったホテルを発見することができました。
場所は「イカヤ旅館」と同じ場所です。
下の絵は、三野屋の若女将さんが差し出してくれた当時の「イカヤ旅館」の姿です。
旅館の隣の通りを港方向に800メートルほどで川原町・港町となります。
その近くの居酒屋で、新潟名産の酒と肴を頂いたことを思い出します。
左側が「イカヤ旅館」で右奥が「三野屋」さんです。
昭和の時代の同じ通りです。写真の奥が駅です。(三野屋さんの店で複写)
(参)センチュリーホテル イカヤ
駅前徒歩1分
その、直江津港に向かう商店街の右手に「継続だんご」の幟がたっています。
以前に来た時には見かけませんでしたが、気になる名前です。
お店の若女将さんからお話を伺うと「明治26年に米穀取引所が開設され、その後成績により明治36年に廃止が決まったが全市民挙げて営業継続の陳情をし、その結果継続許可が下りたそうです。このめでたい【継続】を祝ってできた団子」とのことです。
その後越後新潟に名を馳せ、林芙美子の放浪記にも載る名物となり今日に至っています。
そう言われれば「ホテルセンチュリーイカヤ」の前に林芙美子の歌碑が建っています。
若女将さんの(目の前にいる)小学生の長男がその除幕式に参加したと話してくれました。
お餅でできた団子ではなく、白餡を焼いたものです。
形に似合わず、抹茶に合いそうな上品な品です。
(参)三野屋 駅から徒歩2分程度