桜見物に奈良に出かけたついでに、以前より見たかった「四天王寺」を拝観しました。
◆四天王寺は、聖徳太子建立七大寺の一つとされているが、実際に太子が創建に関わったのは四天王寺と法隆寺の二つと言われています。
◆本尊は、平安時代から救世観音菩薩となりましたが、創建当時は、四天王寺の名前のとおり、四天王がご本尊でした。
よく写真などで少し苦しそうな救世観音菩薩が紹介されたのを眼にしたことがありますが、実物はとても融和な面立ちで感心しました。
◆聖徳太子の慈悲心を受け継ぐ名僧らが拠り所としていたこともあり、特に宗派にはこだわらない別格とされていたそうですが、長く天台宗に属していたそうです。
しかしながら、日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない立場から、1946年にとてもめずらしい「和宗」の総本山として独立しました。
そのせいでしょうか? 広い境内には沢山のお堂等があります。
①太子殿→聖徳太子を祀る
②元三大師堂→元三大師(元三慈恵大師良源は第18代天台座主)を祀る。他に弘法大師も祀る。
③見真堂→浄土真宗の祖、親鸞聖人を祀る
④魚籃観音→三十三観音に数えられる観音菩薩の一つ。中国で生れた観音の一つで、同じ三十三観音のひとつである馬郎婦観音と同体ともされ、この観音を念ずれば、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされるそうです。
◆四天王寺の伽藍配置は中門、塔、金堂、講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍配置」です。
もっとも幾つかのお堂を残してたびたびの火災で大半の伽藍が焼失し、そのたびに再建されており、仏像も壁画・仏画も近世のものです。特に気に入ったのが五重搭の中心壁と外壁の各面に描かれた仏画です(山下摩起画伯の筆)
※山下摩起1890年~1973年 兵庫県出身 竹内栖鳳師事
◆石鳥居が西門のさらに外に立っています。1294年にそれまでの木造鳥居から変えられたものです。この地近くまで海が迫っていたので西門から夕陽を眺められるので「夕陽ケ丘」と名づけられたそうで、今の地下鉄の駅名にもあります。
まさにこの寺は「西の海に沈む夕陽を拝して極楽往生を念じる聖地」だったのでしょう。
【アクセス】
大阪市営地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅 徒歩6分で西門に。
西日本旅客鉄道(JR西日本)天王寺駅 徒歩10分で南大門に。
◆四天王寺は、聖徳太子建立七大寺の一つとされているが、実際に太子が創建に関わったのは四天王寺と法隆寺の二つと言われています。
◆本尊は、平安時代から救世観音菩薩となりましたが、創建当時は、四天王寺の名前のとおり、四天王がご本尊でした。
よく写真などで少し苦しそうな救世観音菩薩が紹介されたのを眼にしたことがありますが、実物はとても融和な面立ちで感心しました。
◆聖徳太子の慈悲心を受け継ぐ名僧らが拠り所としていたこともあり、特に宗派にはこだわらない別格とされていたそうですが、長く天台宗に属していたそうです。
しかしながら、日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない立場から、1946年にとてもめずらしい「和宗」の総本山として独立しました。
そのせいでしょうか? 広い境内には沢山のお堂等があります。
①太子殿→聖徳太子を祀る
②元三大師堂→元三大師(元三慈恵大師良源は第18代天台座主)を祀る。他に弘法大師も祀る。
③見真堂→浄土真宗の祖、親鸞聖人を祀る
④魚籃観音→三十三観音に数えられる観音菩薩の一つ。中国で生れた観音の一つで、同じ三十三観音のひとつである馬郎婦観音と同体ともされ、この観音を念ずれば、羅刹・毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされるそうです。
◆四天王寺の伽藍配置は中門、塔、金堂、講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍配置」です。
もっとも幾つかのお堂を残してたびたびの火災で大半の伽藍が焼失し、そのたびに再建されており、仏像も壁画・仏画も近世のものです。特に気に入ったのが五重搭の中心壁と外壁の各面に描かれた仏画です(山下摩起画伯の筆)
※山下摩起1890年~1973年 兵庫県出身 竹内栖鳳師事
◆石鳥居が西門のさらに外に立っています。1294年にそれまでの木造鳥居から変えられたものです。この地近くまで海が迫っていたので西門から夕陽を眺められるので「夕陽ケ丘」と名づけられたそうで、今の地下鉄の駅名にもあります。
まさにこの寺は「西の海に沈む夕陽を拝して極楽往生を念じる聖地」だったのでしょう。
【アクセス】
大阪市営地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅 徒歩6分で西門に。
西日本旅客鉄道(JR西日本)天王寺駅 徒歩10分で南大門に。