ボクがよく行く長岡市中央図書館のある交差点に、「縄文時代」と名付けられた石のモニュメントがあります。長岡市って市内のいろいろなところに、縄文系の(火焔土器が多いです)像が設置されていますが、このモニュメントの迫力は市内ナンバーワンではないかとボクは思っています。
はい。これがそのモニュメントです。手前に設置されているプレートも見てみましょう。
「縄文時代 ー馬高のビーナスー 1993年」の文字が見えます。この像は長岡市内にある馬高遺跡から発掘された、縄文時代の土偶をモチーフされたものなのです。ではこのモニュメントのビーナス像の部分をアップにしてみましょう。逆光だったので、若干明るさとコントラストに補正をかけました。
はい。これが「馬高のビーナス」です。これが市内の「馬高遺跡」から発掘されたとさっきも書きましたが、実は「馬高遺跡」ってボクは幼少の頃から慣れ親しんだ名称です。だってこの遺跡のある学区でボクは生まれ育ちましたので、小学校時代にも中学校時代にも「馬高」と「縄文」は常に身近にありました。
ボクらの同級生は遊びの一環として「土器探し」をしていましたし、ボクの友人には段ボールで何箱も「土器」や「鏃(やじり)」をコレクションしている強者もいました。中学校の部活の時にグラウンドや校舎周りを走っている時に「土器の破片を蹴飛ばした」なんてことは、珍しいことではありませんでした。
ですからボクらは長岡市民でありながら、「米百俵」や「常在戦場」よりも「火焔土器」や「馬高遺跡」に誇りやアイデンテティを感じているのです(出身はS中学校です)。まぁボクはそういう環境で生まれ育ち、今日に至っているのですよ。だいたいボクらは長岡藩ではありません。山形の上山(かみのやま)藩の飛び地なんですよ。
まぁそんなことで、旧長岡市内の中心部にあり長岡市の文化の泉である中央図書館の地に、「馬高のビーナス」のモニュメントがあるというのはちょっと誇らしいことなのです。
モニュメントの裏手には、こんな表示もありました。
はい。これがオブジェのモデルとなった土偶(ミス馬高=馬高のビーナス)です。詳しく知りたい方は、以下のリンクを辿ってください。