My ordinary days

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ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

部屋を散らかす“犯人”は? - gooランキング

2011-12-28 15:33:16 | 日記
本。山のような塾の教科書類。文房具。学校等からの配布物。×3人分


部屋を散らかす“犯人”は? - gooランキング



服はあまり散らからないな・・。
洗濯物は取り込む傍からたたむしたたんだら邪魔だからしまうし。
おもちゃ・・携帯ゲームや携帯プレイヤーは確かに目ざわり~ でもとにかく紙類が山の様でいや~

大掃除しなくても学校さえ始まればもう少しこぎれいになるのになあ と子ども部屋をみながらいつも思います。

あ、学校の授業で作成した絵や図工作品もたくさんあって散らかっています。 写真におさめてほとぼりの冷めたころにそーっと・・・・なんて・・・・

中勘助「銀の匙」

2011-12-28 08:37:09 | 読書
「銀の匙」。
ギンノサジ。タイトルだけでもちょっと胸のときめきを覚えますが
初読の作家です。夏目漱石に師事した作家のひとりですがその中でも目立たなーい人、だったらしい。

子どものころのことを20代後半になり回想している文章(新聞に連載)で、描写がとても瑞々しく、思い出しながら書いているというよりまんま!の子どもの感情を大人の言葉で表現しているような感じ。子どものころにはもちろん客観的に自分の心の移ろいや行動の意味など知ることなどできないものですが、よくまあこうしたことを忠実に覚えて文章にできるなあ、と。

生まれながらに病弱だったこと、身体の弱い母に変わって伯母がずっと育ててくれたこと(本文中ほとんど母についての言及がなく・それはそれで問題有り、な気もしますが)、学校に上がる前の子どもの時間などについて書かれている前編と、学校に上がってからの他のこどもたちや先生との関わり、伯母さんとの別れ、そして初恋のようなもの・・・少年期から青年期へとうつる後編とに分けられており 100年も前の話ですから自分とシンクロして感じることばかりではないのだけれども、自分の周りの世界の成り立ちが今よりずっと深くずっとシンプルだった子どもの頃の感じ方、を思いおこさせるお話です。

伯母との生活や老僧との関わり、兄との軋轢などなど読みどころはたくさんありますが、まずは文章のよさ、特に花や草木の描写がとても素敵で心を惹かれました。明治中期はまだまだそこかしこに豊かな自然がふんだんにあり、子どもはこんなふうに遊び育つのがいいだろうにと感じてしまう。それから、話言葉、言葉使いがとてもきれいです。子どもの言葉でも日本語は美しい。


蚕を飼った時の話が特に印象的でした。
「蚕が老いて繭になり、繭がほどけて蝶になり、蝶が卵をうむのをみて私の智識は完成した。それはまことに不可思議の謎の環であった。私は常にかような子どもらしい驚嘆を持って自分の周囲を眺めたいと思う。人びとは多くのことを見慣れるにつけただそれが見慣れたことであるというばかりのそのままに見過ごしてしまうのであるけれども、思えば年ごとの春に萌えだす木の芽は年ごとにあらたに我らを驚かすべきであっただろう、それはもし知らないというならば、我我はこの小さな繭につつまれたほどのわずかのことすら知らないのであるゆえに。」


そうそう、表題の銀の匙、とは元来身体の弱かった「わたし」に薬を飲ませるのに伯母がどこからか探してきた子どもの口に合うような匙 のことでした。