My ordinary days

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ふと思い立ち第2のキャリアを始めてしまった、流されがちなひとの日々を綴るブログです

ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」

2014-05-26 10:47:50 | 読書
原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版し、私が読んだのはこの77年の本の訳本、2002年発行みすず書房発行のものです。

商品内容(byアマゾン)「・・・・ ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。

このような経験は、残念ながらあの時代と地域ではけっして珍しいものではない。収容所の体験記も、大戦後には数多く発表されている。その中にあって、なぜ本書が半世紀以上を経て、なお生命を保っているのだろうか。今回はじめて手にした読者は、深い詠嘆とともにその理由を感得するはずである。

著者は学者らしい観察眼で、極限におかれた人々の心理状態を分析する。なぜ監督官たちは人間を虫けらのように扱って平気でいられるのか、被収容者たちはどうやって精神の平衡を保ち、または崩壊させてゆくのか。こうした問いを突きつめてゆくうち、著者の思索は人間存在そのものにまで及ぶ。というよりも、むしろ人間を解き明かすために収容所という舞台を借りているとさえ思えるほど、その洞察は深遠にして哲学的である。「生きることからなにを期待するかではなく、……生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題」というような忘れがたい一節が、新しくみずみずしい日本語となって、随所に光をおびている。本書の読後感は一手記のそれではなく、すぐれた文学や哲学書のものであろう。

・・・・」


著者が精神科医としての「眼」で収容所での生活中に起こる人間の心理を分析・・・。
収容所での生活がどれほど悲惨なものであったかについてはこの本の語るべきところではなく、そのような極限状態の中にある中での人々の心理を考察しています。著者自身が収容者であり、かつ
観察者であるという・・・多重的なというかフクザツなというか、でも彼はそうすること=観察者、心理学者としての目を失わないでいたがために、狂気におちいることなくこの書が私たちに届けられた
ということなのですね。何というか・・・・凄いです。
人間としての尊厳 なんてものではなく、「個」を奪われる状態。名も不要で数字、番号でその人は認識されるような状況です。
沢山の人が極限の状態に置かれた時の心理、精神世界をたんたんとした語りで綴っていきます。

前から読みたいと思いつつ、手に取るのがやっと今。になってしまいましたが、過酷な状況な中で生き抜くために必要なこと。
書いてしまうと陳腐ですが、やはり愛と希望なんだと思いますねえー。
心打つ名著です。


読み返しつつ記事を書こうと思ったが、長男くんに貸し出し中で手元にないわwww


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