6つの短編と、その編者解説、からなるお話なんですが。
引きずり出され、文字に表され、印刷され、実際に読まれる小説は、存在するのかしないのか?
存在しない小説家、存在しない翻訳家、存在する小説家、の名を語ってそれぞれの作品があり、編者による 存在しない小説の解説がなされているのですが
(作品の解説ではなくて、存在しない小説についての考察というか 小説論、読者論 かな)
やーもう、素直に読ませてくれよ、という感想。
それぞれ まあおもしろいお話なんだけど、せいこうさん、くどい、っていうか 最初からこの短編の内容云々よりも、小説として存在していないけれど
語られるべき物語はそこここにあって、
それを引きずりだすのが語り部であり霊媒テキ小説家、存在しない小説を存在せしめる存在としてあぶりだす
というようなことを、しているんだと 私は思いましたが、小説をつかってそれをするかあ というか 論文にするより早いというか 具現化させてはいどうぞ、みたいに
しているんでしょうけれど
そこまで頭を使わせなくても、暗喩的によくわかんないけどこーゆーことか、とどこか心の奥に語りかけてくるようなものの方が、私は好きかな。
なんとなくですが 言いたいことはわかる気がするけれど、全然理ではないけれど、でも理で通している感覚があって、そのほうが遠回りになるような気がする。
時間の重なり方がおもしろい、第6回オンザビーチ、これが一番すきです。
引きずり出され、文字に表され、印刷され、実際に読まれる小説は、存在するのかしないのか?
存在しない小説家、存在しない翻訳家、存在する小説家、の名を語ってそれぞれの作品があり、編者による 存在しない小説の解説がなされているのですが
(作品の解説ではなくて、存在しない小説についての考察というか 小説論、読者論 かな)
やーもう、素直に読ませてくれよ、という感想。
それぞれ まあおもしろいお話なんだけど、せいこうさん、くどい、っていうか 最初からこの短編の内容云々よりも、小説として存在していないけれど
語られるべき物語はそこここにあって、
それを引きずりだすのが語り部であり霊媒テキ小説家、存在しない小説を存在せしめる存在としてあぶりだす
というようなことを、しているんだと 私は思いましたが、小説をつかってそれをするかあ というか 論文にするより早いというか 具現化させてはいどうぞ、みたいに
しているんでしょうけれど
そこまで頭を使わせなくても、暗喩的によくわかんないけどこーゆーことか、とどこか心の奥に語りかけてくるようなものの方が、私は好きかな。
なんとなくですが 言いたいことはわかる気がするけれど、全然理ではないけれど、でも理で通している感覚があって、そのほうが遠回りになるような気がする。
時間の重なり方がおもしろい、第6回オンザビーチ、これが一番すきです。