その昔、フジテレビの世界名作劇場で「愛少女ポリアンナ」というアニメがやっていましたが、その原作がこれです。
前から気になっていた物語だけど、とうとう読む機会がおとずれた・・・てか 長女ちゃんに買った本を私が勝手に読んでるのですが~しかも先に!ははは
原作といいましても、正確にはこのお話と続編の「パレアナの青春」のふたつをくっつけたものがアニメになったのですが・・・原作と大きく違う点は、パレアナはずっと少女のままでいること。原作続編では結婚をするくらいのお年頃になっているらしいです。まだ未読のため詳細はわからず~
牧師の父を亡くして孤児となった11歳のパレアナ(=ポリアンナ)が不幸に負けずにがんばる・・・どれだけ悲しかったり苦しかったりしても、その中から「良かった」と思えることを探すゲームをするのですね。英語で「The Glad Game」、角川文庫村岡花子訳で読みましたが、邦訳では「なんでも喜ぶゲーム」。アニメでは「よかった探し」と呼んでいました。めちゃくちゃポジティブというか、これを喜ぶのは無理があるだろう~と思うことでも無理やり喜ぶ・・・アニメではシンプルに喜んでいましたが、小説の中ではどうしてもうまく良かったことが見つけられない、と一人で泣く場面もでてきてわたしとしては少しほっとしました・・・家族と死に別れて遠い地に住む独身でお金持ちの叔母様…昔に亡くなった母親の妹…の家に引き取られたのですが、美しい調度品有る部屋、素敵なカーテンやじゅうたんのある部屋、を横目にみながら通りすぎ、あてがわれたのが殺風景な屋根裏部屋。しきもの一枚ありません。この頃のおうちでは敷物やじゅうたんが贅沢品だったのでしょうか、パレアナはよく敷物がどうこうの話をする・・・。
教会伝道部の慰問箱に入っていたみすぼらしい服を着て、喪服を揃えることも婦人部の反対で(子どもに黒い服は合わないし喪服より教会に敷く赤い絨毯を買わないといけないので)叶わぬこととなり・・・でもパレアナはゲームを続けます。大切なお父さんから教わったゲームだから。
(ゲームを始めたきっかけは、パレアナがお人形が欲しいというのでお父さんが教会本部に頼んでくださったのだけれども慰問箱には人形のかわりに松葉杖が入っていて・・・係の女の人の手紙には人形が無かったのでこれを送ると・・・杖も誰かが必要でしょうからと・・・これ、どうやって喜ぶと思う???)
パレアナを引きとってくれた叔母様は過去になにか辛い経験をしたせいでパレアナにもなかなか心を開きませんが、パレアナは使用人のナンシ―やトム爺さん、孤児のジミー、偏屈なお金持ちのペンドルトンさんをはじめ町の多くの人たちにこのゲームを伝えて皆の心を柔らかく温かいものにしていきます。みなし児になったパレアナを引きとり育ててくれている叔母様に一番にこのゲームを教えたかったのだけれども、これはお父さんから教わったゲームで、叔母様はパレアナの父を嫌っているために伝えることができません。その昔年上のお金持ちとの婚約が決まっていたパレアナの母、つまり叔母様いとってのお姉さんはパレアナのお父さんと恋に落ち駆け落ち同然に町をでていきました。それ以来叔母様には不幸がずっと続いているように思えているからです・・・イジワルなおばさんというわけではなく、自分にも他人にも厳しいというだけなのですがとっても冷やかに見えるし態度も話振りもとってもクール。
しかし、徐々にですが叔母様もパレアナを可愛がるようになります。厳しい態度は変わらないのだけれど、叔母様がなにをしてもパレアナは叔母様のことを好きでいることをやめないから、心がどんどんと柔らかくなっていくのです。
ほんと、辛いことがたくさんあるのにいたいけというか不憫というか、たしかに涙でそうなくらい頑張って?ゲームを続けているのですよね~、パレアナ。
なんでも喜ぶゲームのクライマックスはガッタガタになった教会(婦人部の分裂、聖歌隊員の脱退、日曜学校教師の辞表・・・争いと諍いとスキャンダルと妬みの渦巻く教区・・・すごくイヤそう~)の牧師様とパレアナの会話です。
パレアナは神様が見えなくなりそうな程苦しむ牧師と短い会話を交わします。自分の亡くなった父も牧師だったこと、父が教会のことで悩んでいるときに聖書の中に喜びの句を800も見つけたこと。
こうして町の人々の心を明るくしていくパレアナでしたが
ああ、こんなお話だってっけ。アニメはおもしろくてずっとみていたのにこの事件は覚えていなかった。思い切りネタばれですが
パレアナは交通事故にあって脊椎に傷を負い、腰から下が動けなくなってしまうのです。ああ これをどうやって喜ぶの、パレアナ~
喜ぶどころか最初の一週間は意識が戻ったりまた失ったり。
すぐに治ると思っていたパレアナは、もうニ度と歩くことができなくなるかもしれないという話を聞いてしまい、
町中のひとたちがお見舞いにかけつけます。が、叔母様は何がどうなっているのか、皆が口々にいうゲームとはなんなのかさっぱりわかりません。
使用人のナンシーからなんでも喜ぶゲームを聞かされやっと納得する叔母様。
そしてパレアナの容体は・・・
て、うるうるしながらずっと読んでいたワタクシ。
アニメでは よかった探し と、もう一つの大事件の方がインパクト強くてこのパレアナの事故のことをすっかり忘れていました。
(ちなみにもう一つの大事件とは仲違いをして数十年、パレアナのおかげでやっと結婚し幸せを手に入れることができた叔母様と町のお医者様チルトン先生との悲劇。このエピソードは続編「パレアナの青春」からのお話で、やっと叔母様の頑なな心が軟化した矢先に起こった出来事だったのでほんっとにテレビみていて驚いた。子ども向けアニメなのにぃ、でもないけれど諸行無常をこんなとこで示すのか というかパレアナの事故もそうだけど、人生ってそういいことばかりで進んでいくものじゃないのね感漂い過ぎの悲しい出来事でした)
続編があるくらいなのでもちろんパレアナには希望の光が戻ってくるのですが、そこに至るまでこれまでの登場人物の働きが働きをよび、ああやっぱりそうきたのねとなり最終的に大団円を迎えます。そこらへんのお話もご都合主義ではあるけれど わかっているけど、ウルっと涙腺がよわよわになってしまった。
楽しく読み終えました。泣きながら・・。
しかし このゲームは難しいと思うよ。上辺だけでうれしいフリをしてもだめで、意思を強く持たないとパレアナのように喜ぶのは難しい。
原作が出版された後、心理学分野で「ポリアンナ効果」「ポリアンナ症候群」という用語が生まれたそうです。
―効果:
一般的に
ポジティブな感情を伴った記憶ほど思い出し易く、ネガティブな感情を伴った記憶は思い出しにくい。一般に人は肯定的な評価を好む。
などを指す。
ー症候群:こっちは辛辣だー なんたって「疾患」だもの。
心的疾患。現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表す。直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらない。常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと。
でもそうしないと苦しくて生きていけない場面というのも有りますからね。常に常に現実逃避しているというのではないならば、明るい面をみようとするのは正常な心の働きだと思います。
どうしても辛くてくじけそうな時にこそ、このゲームは有効、かもしれません。
ゲームはともあれ、おもしろかったです。長女ちゃんも一気読みでした。
前から気になっていた物語だけど、とうとう読む機会がおとずれた・・・てか 長女ちゃんに買った本を私が勝手に読んでるのですが~しかも先に!ははは
原作といいましても、正確にはこのお話と続編の「パレアナの青春」のふたつをくっつけたものがアニメになったのですが・・・原作と大きく違う点は、パレアナはずっと少女のままでいること。原作続編では結婚をするくらいのお年頃になっているらしいです。まだ未読のため詳細はわからず~
牧師の父を亡くして孤児となった11歳のパレアナ(=ポリアンナ)が不幸に負けずにがんばる・・・どれだけ悲しかったり苦しかったりしても、その中から「良かった」と思えることを探すゲームをするのですね。英語で「The Glad Game」、角川文庫村岡花子訳で読みましたが、邦訳では「なんでも喜ぶゲーム」。アニメでは「よかった探し」と呼んでいました。めちゃくちゃポジティブというか、これを喜ぶのは無理があるだろう~と思うことでも無理やり喜ぶ・・・アニメではシンプルに喜んでいましたが、小説の中ではどうしてもうまく良かったことが見つけられない、と一人で泣く場面もでてきてわたしとしては少しほっとしました・・・家族と死に別れて遠い地に住む独身でお金持ちの叔母様…昔に亡くなった母親の妹…の家に引き取られたのですが、美しい調度品有る部屋、素敵なカーテンやじゅうたんのある部屋、を横目にみながら通りすぎ、あてがわれたのが殺風景な屋根裏部屋。しきもの一枚ありません。この頃のおうちでは敷物やじゅうたんが贅沢品だったのでしょうか、パレアナはよく敷物がどうこうの話をする・・・。
教会伝道部の慰問箱に入っていたみすぼらしい服を着て、喪服を揃えることも婦人部の反対で(子どもに黒い服は合わないし喪服より教会に敷く赤い絨毯を買わないといけないので)叶わぬこととなり・・・でもパレアナはゲームを続けます。大切なお父さんから教わったゲームだから。
(ゲームを始めたきっかけは、パレアナがお人形が欲しいというのでお父さんが教会本部に頼んでくださったのだけれども慰問箱には人形のかわりに松葉杖が入っていて・・・係の女の人の手紙には人形が無かったのでこれを送ると・・・杖も誰かが必要でしょうからと・・・これ、どうやって喜ぶと思う???)
パレアナを引きとってくれた叔母様は過去になにか辛い経験をしたせいでパレアナにもなかなか心を開きませんが、パレアナは使用人のナンシ―やトム爺さん、孤児のジミー、偏屈なお金持ちのペンドルトンさんをはじめ町の多くの人たちにこのゲームを伝えて皆の心を柔らかく温かいものにしていきます。みなし児になったパレアナを引きとり育ててくれている叔母様に一番にこのゲームを教えたかったのだけれども、これはお父さんから教わったゲームで、叔母様はパレアナの父を嫌っているために伝えることができません。その昔年上のお金持ちとの婚約が決まっていたパレアナの母、つまり叔母様いとってのお姉さんはパレアナのお父さんと恋に落ち駆け落ち同然に町をでていきました。それ以来叔母様には不幸がずっと続いているように思えているからです・・・イジワルなおばさんというわけではなく、自分にも他人にも厳しいというだけなのですがとっても冷やかに見えるし態度も話振りもとってもクール。
しかし、徐々にですが叔母様もパレアナを可愛がるようになります。厳しい態度は変わらないのだけれど、叔母様がなにをしてもパレアナは叔母様のことを好きでいることをやめないから、心がどんどんと柔らかくなっていくのです。
ほんと、辛いことがたくさんあるのにいたいけというか不憫というか、たしかに涙でそうなくらい頑張って?ゲームを続けているのですよね~、パレアナ。
なんでも喜ぶゲームのクライマックスはガッタガタになった教会(婦人部の分裂、聖歌隊員の脱退、日曜学校教師の辞表・・・争いと諍いとスキャンダルと妬みの渦巻く教区・・・すごくイヤそう~)の牧師様とパレアナの会話です。
パレアナは神様が見えなくなりそうな程苦しむ牧師と短い会話を交わします。自分の亡くなった父も牧師だったこと、父が教会のことで悩んでいるときに聖書の中に喜びの句を800も見つけたこと。
こうして町の人々の心を明るくしていくパレアナでしたが
ああ、こんなお話だってっけ。アニメはおもしろくてずっとみていたのにこの事件は覚えていなかった。思い切りネタばれですが
パレアナは交通事故にあって脊椎に傷を負い、腰から下が動けなくなってしまうのです。ああ これをどうやって喜ぶの、パレアナ~
喜ぶどころか最初の一週間は意識が戻ったりまた失ったり。
すぐに治ると思っていたパレアナは、もうニ度と歩くことができなくなるかもしれないという話を聞いてしまい、
町中のひとたちがお見舞いにかけつけます。が、叔母様は何がどうなっているのか、皆が口々にいうゲームとはなんなのかさっぱりわかりません。
使用人のナンシーからなんでも喜ぶゲームを聞かされやっと納得する叔母様。
そしてパレアナの容体は・・・
て、うるうるしながらずっと読んでいたワタクシ。
アニメでは よかった探し と、もう一つの大事件の方がインパクト強くてこのパレアナの事故のことをすっかり忘れていました。
(ちなみにもう一つの大事件とは仲違いをして数十年、パレアナのおかげでやっと結婚し幸せを手に入れることができた叔母様と町のお医者様チルトン先生との悲劇。このエピソードは続編「パレアナの青春」からのお話で、やっと叔母様の頑なな心が軟化した矢先に起こった出来事だったのでほんっとにテレビみていて驚いた。子ども向けアニメなのにぃ、でもないけれど諸行無常をこんなとこで示すのか というかパレアナの事故もそうだけど、人生ってそういいことばかりで進んでいくものじゃないのね感漂い過ぎの悲しい出来事でした)
続編があるくらいなのでもちろんパレアナには希望の光が戻ってくるのですが、そこに至るまでこれまでの登場人物の働きが働きをよび、ああやっぱりそうきたのねとなり最終的に大団円を迎えます。そこらへんのお話もご都合主義ではあるけれど わかっているけど、ウルっと涙腺がよわよわになってしまった。
楽しく読み終えました。泣きながら・・。
しかし このゲームは難しいと思うよ。上辺だけでうれしいフリをしてもだめで、意思を強く持たないとパレアナのように喜ぶのは難しい。
原作が出版された後、心理学分野で「ポリアンナ効果」「ポリアンナ症候群」という用語が生まれたそうです。
―効果:
一般的に
ポジティブな感情を伴った記憶ほど思い出し易く、ネガティブな感情を伴った記憶は思い出しにくい。一般に人は肯定的な評価を好む。
などを指す。
ー症候群:こっちは辛辣だー なんたって「疾患」だもの。
心的疾患。現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表す。直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらない。常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと。
でもそうしないと苦しくて生きていけない場面というのも有りますからね。常に常に現実逃避しているというのではないならば、明るい面をみようとするのは正常な心の働きだと思います。
どうしても辛くてくじけそうな時にこそ、このゲームは有効、かもしれません。
ゲームはともあれ、おもしろかったです。長女ちゃんも一気読みでした。