第1回 野田藤、他
今年度最初の史跡探訪は、4月20日(木)に 17名でJR野田駅から福島駅までの
史跡探訪をしました。 JR野田駅に14時に集合し、出発しました。
JRの高架下の柱には 福島区の花になっている藤の花が描かれています。
藤が咲いていると良いのですが。
信長対石山本願寺の戦い他に使われた野田城は遺構は無く、マンションの敷地内や
極楽寺の山門脇に石碑だけがあります。
証如上人がこの地に来た時に細川晴元の伏兵に襲われましたが、門徒が助けて泉州に
逃げられました。 後日、犠牲になった21名の門徒の菩提を弔う為に極楽寺が作られました。
証如上人は本願寺第8世の蓮如上人の曾孫で1525年に10才で第10世宗主になりました。
この辺りには昔は漁師が多かったので、立派な恵美須神社があります。
その境内にも野田藤が植えられ、ほぼ満開でした。
恵美須神社の境内が狭かったので昭和の初期に大阪市と交渉して広げられました。
その頃、氏子総代としても活躍したのが近くで創業していた松下幸之助氏です。
円満寺の前にも二十一名討死の記念碑があります。
コミュニティセンターにもあります。
藤マンションの一隅に野田藤ゆかりの春日神社があり、野田藤の説明板もあります。
朝ドラの牧野富太郎氏がノダフジの命名者です。
かつては日本紡績、福島紡績がありましたが今は下福島運動場となり、多くの藤棚が
設置されて区民の憩いの場になっています。
明治42年夏に天満から出火して西へどんどん類焼しましたが、紡績会社のレンガ壁のお陰で
西側は助かりました。 その時のレンガ壁の一部だけがマンション近くに残っています。
この辺りに、田辺聖子氏が生まれた実家の田辺写真館がありましたが今は何も残されていません。
西善寺の境内に歌舞伎「敵討天下茶屋衆」の主人公である林伊織のお墓があります。
平家追討の命を受けた源義経と梶原景時が船に後退する為の逆櫓を付けるかどうかを
老松の下で議論したとされる「逆櫓の松」です。
901年、大宰府に配転させられた管原道真がこの地で慰められ、餓飢島と呼ばれていたのを
福島と名づけました。907年の小祠が起源です。
福島駅の北側の聖天商店街には沢山の占い師がいるので、「売れても占い」商店街と
宣伝しています。
昭和56年に建設された関西将棋会館は老朽化してきたので、現在、高槻市内に
移設の計画中です。
今年は、比較的暖かい日が続き、桜だけでなく、藤も例年よりも早く咲きました。
お蔭で、満開を過ぎた藤もありましたが、場所によってはまだまだ綺麗に咲いていました。
4kmと短めで、平坦だったので多くの人が参加しました。