東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末5
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末4
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末3
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。
夫はこの間から曽野綾子さんのことが相当気になっているようです。
宅建の受験勉強中もテレビを見ながらの勉強でしたから
あまり勉強が好きなほうではないのですが・・・。
今まで不動産やビジネス関連の本を読んでいる姿は
時々見たことはありますが、小説、エッセイ集とか難しい本を
読んでいる姿を見た記憶がありません。
・・なのに、最近は曽野綾子さんのことをインターネットで
一生懸命、調べている様子・・・。
以下は夫の代筆です。
「調べてみると曽野綾子という人は、過去にいろいろと
言っては物議をかもしているね。」
平成16年の台風23号?の大型台風被害について、「学校その他に
避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。
一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。
避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。
それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難する
だけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当なども行政は配る必要はない。
天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けない
老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って
来るのが世界の当然だ。」と、あるコラムで述べている。
そして、新潟県中越地震についても、「避難所で救援物資を
当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで
逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を
熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達して
くる才覚も必要だ」と、これまたコラムで述べている。
「早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難する才覚の訓練がいる。」
今回の東日本大震災では、日頃から津波に対する訓練は、ある程度
行われていたはずなのに、大変な被害になってしまった。
間一髪で助かった司法書士?の奥さんは、ご主人が仕事のデータが
入っているパソコンを取りに戻ろうとして津波に飲み込まれたという。
「二階に逃げろっ!」というのが、夫の最後の言葉だったという。
こういう極限状況の中で生き延びた人たちに、「避難所で救援物資を
当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。」と曽野綾子さんは
いえるのですか?同じようなことはいえないでしょう。
ご自分は田園調布という道路も街も整備された高級住宅街で
耐震性に優れた住宅におすまいなんでしょう?
しかも「練炭、炭、火鉢、ガスコンロも床下に常備」しておられる
ようで、そんなところだったら避難するなんて容易なこと。
なんならゼロメートル地帯という江東区の下町に借家でも借りて
住まわれてはいかが?
昔、京都府知事だった蜷川虎三という人は、生涯、借家住まい
だったそうですが、見習ってみてはどうですか?
まねることも出来ない、一貫した発言も出来ないんだったら
如何なる時も避難した人たちに意見しないことだ。
今回は、さすがに、その辛辣さはすっかり影を潜めてはいるが
結局は同じようなことを言っているのじゃないか・・・と。
「東北の人たちが礼儀正しく、苦しさの中でも微笑をたたえて
いられるのは、雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し
日常で耐えることや譲ることを知っている人たちだからだろう」。
この部分だけは妙に文学的だけど、結局「耐え忍ぶと
いうことは美しいことだから、あんた達は耐え忍びなさい。
間違ってもワーワー言うんじゃないよ。」と脅している
ように聞こえる。
「苦しさの中でも微笑をたたえていられるのは、雪深い冬を生き、
過去に津波や貧しさを体験し日常で耐えることや譲ることを
知っている人たちだからだろう。」
「苦しさの中での微笑み・・・・日常で耐えることや譲ることを
知っている人たち・・。」
自分だけが助かってしまったという自責の念と安堵感、
未だ行方の分からない身内の者、知人に対する胸が裂けるような
思いと、その人たちを探しださなければという責任感!
ただ悲しみに浸っているわけにはいかない、その人たちの分まで
生き抜かなければならないという決死の覚悟が、人に悟られまい
と、「微笑み」となっていることに「作家」だったら思いを
寄せて言葉もないはず・・・。
個人主義で権利意識の強いアメリカやヨーロッパ、いや中国や
お隣の韓国で、一介の小説家が自国民に、このような言辞を
弄するだろうか?もし、曽野綾子さんと同じことを自国民に言ったら
下手すると暴動にさえなりかねないだろう。少なくとも表通りを
大手を振って歩けはしないはず。
これは、きっと日本だから出来ること。
曽野綾子氏のような人が「有識者」としてこのようなことを
発言出来るのは日本の精神的風土と関係があるのではないか・・・・だって!
このエネルギーを仕事に向けてほしいけど・・・・
ああ、まだ、しばらくは続きそう・・・
■埼玉不動産仲介手数料最大無料メディアエステート
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末4
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末3
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。
夫はこの間から曽野綾子さんのことが相当気になっているようです。
宅建の受験勉強中もテレビを見ながらの勉強でしたから
あまり勉強が好きなほうではないのですが・・・。
今まで不動産やビジネス関連の本を読んでいる姿は
時々見たことはありますが、小説、エッセイ集とか難しい本を
読んでいる姿を見た記憶がありません。
・・なのに、最近は曽野綾子さんのことをインターネットで
一生懸命、調べている様子・・・。
以下は夫の代筆です。
「調べてみると曽野綾子という人は、過去にいろいろと
言っては物議をかもしているね。」
平成16年の台風23号?の大型台風被害について、「学校その他に
避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。
一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。
避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。
それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難する
だけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当なども行政は配る必要はない。
天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けない
老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って
来るのが世界の当然だ。」と、あるコラムで述べている。
そして、新潟県中越地震についても、「避難所で救援物資を
当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで
逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を
熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達して
くる才覚も必要だ」と、これまたコラムで述べている。
「早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難する才覚の訓練がいる。」
今回の東日本大震災では、日頃から津波に対する訓練は、ある程度
行われていたはずなのに、大変な被害になってしまった。
間一髪で助かった司法書士?の奥さんは、ご主人が仕事のデータが
入っているパソコンを取りに戻ろうとして津波に飲み込まれたという。
「二階に逃げろっ!」というのが、夫の最後の言葉だったという。
こういう極限状況の中で生き延びた人たちに、「避難所で救援物資を
当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。」と曽野綾子さんは
いえるのですか?同じようなことはいえないでしょう。
ご自分は田園調布という道路も街も整備された高級住宅街で
耐震性に優れた住宅におすまいなんでしょう?
しかも「練炭、炭、火鉢、ガスコンロも床下に常備」しておられる
ようで、そんなところだったら避難するなんて容易なこと。
なんならゼロメートル地帯という江東区の下町に借家でも借りて
住まわれてはいかが?
昔、京都府知事だった蜷川虎三という人は、生涯、借家住まい
だったそうですが、見習ってみてはどうですか?
まねることも出来ない、一貫した発言も出来ないんだったら
如何なる時も避難した人たちに意見しないことだ。
今回は、さすがに、その辛辣さはすっかり影を潜めてはいるが
結局は同じようなことを言っているのじゃないか・・・と。
「東北の人たちが礼儀正しく、苦しさの中でも微笑をたたえて
いられるのは、雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し
日常で耐えることや譲ることを知っている人たちだからだろう」。
この部分だけは妙に文学的だけど、結局「耐え忍ぶと
いうことは美しいことだから、あんた達は耐え忍びなさい。
間違ってもワーワー言うんじゃないよ。」と脅している
ように聞こえる。
「苦しさの中でも微笑をたたえていられるのは、雪深い冬を生き、
過去に津波や貧しさを体験し日常で耐えることや譲ることを
知っている人たちだからだろう。」
「苦しさの中での微笑み・・・・日常で耐えることや譲ることを
知っている人たち・・。」
自分だけが助かってしまったという自責の念と安堵感、
未だ行方の分からない身内の者、知人に対する胸が裂けるような
思いと、その人たちを探しださなければという責任感!
ただ悲しみに浸っているわけにはいかない、その人たちの分まで
生き抜かなければならないという決死の覚悟が、人に悟られまい
と、「微笑み」となっていることに「作家」だったら思いを
寄せて言葉もないはず・・・。
個人主義で権利意識の強いアメリカやヨーロッパ、いや中国や
お隣の韓国で、一介の小説家が自国民に、このような言辞を
弄するだろうか?もし、曽野綾子さんと同じことを自国民に言ったら
下手すると暴動にさえなりかねないだろう。少なくとも表通りを
大手を振って歩けはしないはず。
これは、きっと日本だから出来ること。
曽野綾子氏のような人が「有識者」としてこのようなことを
発言出来るのは日本の精神的風土と関係があるのではないか・・・・だって!
このエネルギーを仕事に向けてほしいけど・・・・
ああ、まだ、しばらくは続きそう・・・
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