非才無才の雄叫び

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東日本大震災 総理になれなかった男・石原知事「我欲捨てて」

2011-05-16 13:50:38 | 日記
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。


石原慎太郎東京都知事が東日本大震災について「天罰」と言ったという

ニュースを見て、夫が腹立たしそうに「そんなこと言うなんてシンタロウも

年を取ったなあ、78歳か・・・」

そして14日の読売新聞のインタビュー記事「『我欲捨てて』日本復興」


夫の世代にとっては石原都知事ではなく、あくまで「石原裕次郎の兄、

石原慎太郎」なのだそうです。芥川賞受賞作品「太陽の季節」で鮮烈な

デビューを果たし一躍時の人となって、作品が映画化されるや弟、

裕次郎は一挙にスターダムにのし上がった。ズボンのポケットに両手を

入れて長い足を開いて立っている裕次郎のポスターばかりが目だった

時代があった。そして兄慎太郎のヘアスタイルが「慎太郎刈り」と

もてはやされ、これもやたら流行した。頭が良くてちょっとワルだけど、

格好良くて皆が憧れた。今でも「裕次郎」と聞いただけでポスターの

写真が目に浮かぶそうです。しかし夫は裕ちゃんのファンではあっても

慎太郎氏のファンではないそうです。夫の友人にかつて慎太郎氏の

ファンがいて、石原氏が参議院選に立候補した時、氏の講演を何度か

聴きに言ったらしいのですが、講演の度に「私は総理大臣になるんだ」

と豪語してばかりいるので辟易したと、その友人は言っていたそうです。

そして自民党の国会議員になったものの派閥の壁や序列に遮られて

中川一郎氏らと「青嵐会」を結成したものの、極端を嫌う自民党

議員達の脱会が相次ぎ「青嵐会」は少数派になってしまう。

議員活動に限界を感じていたのか、ついに都知事に転進した。

国会議員の活動の中で培った人脈等でシンクタンクを造り

都政に臨んだことが政治家としての成功を治めたとも言われている。


石原氏の「天罰」発言後の曽野綾子氏のインタビューも同じ論調の

ように見られがちだが、立ち位置の違いもあって石原氏のそれは

厭味がない。相変わらずの歯に衣着せぬ舌鋒は歯切れが良く

なぜか心地良い。それでいて人種差別発言に近い物言い等が多いので、

夫はあまり好きではないらしい。

ただ3期12年の都政を司ってきた経験を基にした見識は確かなもの

のように思える。「複合的、重層的にことを進め、いろいろな要因

を束ねて有機的に動かす見識のあるリーダーが(自分以外に)いない


と言って豪語するところは相変わらずだな・・・と。

地方自治体というのは大統領制の権力構造に似ていて総理大臣よりも

政治はやり易いはず。亡くなった橋本龍太郎氏が次期総理の呼び声が

高かった外務大臣の頃、その一挙手一投足が世界の耳目を集めた時期

があった。ところが総理大臣になった途端、牙を抜かれたようにな

って世界のメディアを落胆させてしまった。地方自治体の首長とは

違う難しさが総理大臣の椅子にはあると思われるので、石原氏の

発言を直ちに鵜呑みには出来ない。

そして「日本をだめにしたのは、国家官僚とその言いなりになって

きた自民党だ。国の官僚は発想力が足りない。継続性と一貫性に

こだわり、この変化の時代についていけない
」このくだりは自民党

の国会議員時代に官僚と接し経験したことと、知事として官僚と

接し国会を外から見てきた知見には説得力がある。しかし、残念なのは

国の官僚が継続性と一貫性にこだわる理由や官僚の「継続性と一貫性」

とは何かについての言及がない。深刻な問題はその部分にあると思わ

れるのに・・・。

さらに「天罰」発言の意図を聞かれると「(親が)死んでいるのに、年金

を貰い続けていた家族・・・日本人が我欲の社会を作った。政治もそれに

おもねってすべきことをしない。それで日本は本質的に堕落していった
。」

自分がかつて自民党議員として、その一端を担ったことへの反省は微塵も

見られない。そもそも年金の不正受給などは国がチェック体制を作らず

放置していたのが原因ではないか
さらに付け加えて言うならば

「政治がおもねって」では断じてない。石原氏がそうだとは言わないが、

国民のことを考えず、利権にばかり狂奔するあまり国家戦略を欠き国家観

さえ乏しくなった政治家達が今日の日本の「堕落」を招いたのだ。そうは

思わないのですか?自販機やパチンコのことにしても、今頃唐突に言わな

いで、もっと以前に条例で規制していれば出来ないことではなかった

はず。原発に関する発言は「人間がつくった道具は、当然故障もおこる。

それをいかにミニマムに押さえるかということだ
」とやや他人事だ。

「(事故を)ミニマムに抑える」には国の官僚の「継続性と一貫性」に

こだわる体質が障害になっているはずだ。石原都知事をはじめ政治家

たちは、ここにも果敢にメスを入れて取り組んで欲しい。

それから教育・・・「国の官僚は発想力がない」と批判しておきながら

それとは矛盾する「刷り込み教育」を強調するあたりは文学者らしいの

かも知れない。刷り込み教育を全く否定するものではないが、それ以前

5才までの幼児に欲望耐性を植え付ける教育を保育園、幼稚園さらに

家庭で行わせることが喫緊の課題だ
。欲望耐性とは欲望を抑える力。

たとえば訓練を受けた犬は目の前に餌があっても飼い主の「よし!」と

いう号令があるまで、じっと我慢している。この我慢する力が、

やがて人間関係の中でも発揮されて、すぐにはキレない子供に

育っていく。この欲望耐性が身についていないから小学校1年生で

学級崩壊となっている。このような状態でアメリカの真似をしても

始まらない。

後は石原都知事が国の戦略を欠いた経済政策や企業の野放図な経済

活動を都の条例をもって規制していくだけの勇気があるかどうか

問われるところだろう。だそうです。



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