東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。
まー・・しつこい性格ですみません
今日も曽野綾子さんのことです。
夫は曽野綾子さんのインタビュー記事を切り抜いて、何度も何度も
読み返してはネットで調べています。
パソコンの前で目を真っ赤にしているから、どうしたのかとパソコンを
覗いてみると「日本国憲法」とある。
指で指しながら「前文・・・。」
夫は前文を読むうちに胸が熱くなったと言っていました。
敗戦の翌年に発布された日本国憲法の前文には、並々ならぬ決意が
示されていて心を打たれたそうです・・・。
どうして日本国憲法かというと・・・これから夫の弁です。
そもそも曽野綾子氏のこの識者インタビューは「私たち日本人は」と言いながら、
実を言うと被災地の人たちに向けられたメッセージ。
「甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。」
のだから、これからは「国家に頼らず自ら行動を」と
呼びかけているのだ。
そして、私たち「ど素人」には理解しがたいのがインタビューの二段目の
「国のあり方の基本が崩れた。」
これが、どういう意味か解らない。
東日本大震災で崩れてしまった「国のあり方の基本」とは
一体全体なんなのだろうか?
「国の基本的なあり方」というならどこかで聞いたような気もするし
なんとなく分かるような気もするが、「国のあり方の基本」
・・・それは大震災などで崩れてしまうものなのか?
だが、この言葉の前後を読んでも、それらしい文言は見当たらない。
強いて言えば「欲しいと思えば何でも手に入る・・・甘やかされた
生活の異常社会・・・これからも続くという夢が打ち砕かれた。」
ということを言いたいのか・・・。
「国のあり方の基本」・・・・・思いつくのは「日本国憲法」しかない。
「日本国憲法」であれば、国際関係から国民の権利・義務そして国会
議員内閣制、司法、三権分立、地方自治、財政まで
国のあり方の基本を定めている。
この「日本国憲法」を抜きにした「国のあり方の基本」など
というものがあるのだろうか?
ひょっとして、ご本人は解っていらっしゃらないのではないのか。
だから「国のあり方の基本が崩れた」とは言ったものの,
国家観がないから論旨が定まらず支離滅裂なのだ。
たとえば「多くの国に比べれば汚職や権力の乱用もないに等しい。
しかし、今回の東日本大震災によって、甘やかされた生活がこれからも
続くという夢が打ち砕かれて、国のあり方の基本までが崩れた」
このように勝手に繋げてみても、何を言いたいのかさっぱり分からない。
そして「『欲しい』と思えば何でも手に入る社会は、異常社会だ。」と
言いながら、ご自分は練炭、炭、火鉢やカセットコンロ等、
「欲しい」物はちゃんと常備しておられる。国民の中には
これらの物も買えない方も大勢いる。
ましてや過酷な状況の中で辛うじて生き抜いて再起を計ろうと
している被災者に向かって、こういうことを言っても何の役にも
立たないだけでなく、ただ怒りを買うだけだ。
さらに「政治家は『安心して暮らせる社会を作る』というが、そんなものは
ありえない」。この発言は明らかに国家観のなさを露呈している。
全国知事会に「この国のあり方に関する研究会」というのがあって、
「将来に希望を持って生きられる社会」を提案している。
誠心誠意、県民に尽くそうという首長も多いだけに、曽野綾子氏の
「そんなものはありえない」というのは、あまりにも傲岸不遜な
物言いだ。
その傲慢な物言いはなおも続く。「政治家も有権者も、自分の頭で
考えることをしなくなっている」。
これではまるで「曽野綾子教」の教祖気取り。
そう言いながら考えることを牽制している。「震災後、政府の
不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。しかし、犯人捜しを
しても仕方がないことだ」
考えているから犯人捜し(責任追求)をするのではないのですか?
そんなことをすると「現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと
日本は復興に向かって歩き出せない」と、どこまでも政府や企業擁護。
かと思えば「そうした時代を生きる私たちは、国家やシステムを疑い」
と言って「考えろ」と言わんばかりだ。
「考えることをしなくなっている・・・・犯人捜しをしても・・・
国家やシステムを疑い」何をいいたいの?
ぜんぜん繋がらないではないか。支離滅裂とはまさにこのこと。
考えているから「疑う」わけで、責任追求も批判も悪口も言いたくなるもの・・。
ところが政府や首相の悪口でも言おうものなら
「素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。
総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる
方法である。
なぜなら、時の総理が、自分の悪口を言った相手をぶん殴りに来たり、
名誉毀損で訴えたりするということはほとんどないのだから、つまり
これは全く安全な喧嘩の売り方なのである。
これが相手がやくざさんだったら、とてもそうはいかないだろう。
しかも相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に
偉くなったような錯覚さえ抱くことができる。」
と、ある書物で述べているらしいが、あーなんと品性に欠ける物言いか。
「敬虔なクリスチャン」などと評されているが、これが敬虔といえる
物言いだろうか?キリスト教の信者というのは
こういう物言いをするのか・・・背筋が寒くなる。
「考えることをしなくなっている」と言いながら、一方では考えた上で
政府を批判する人たちに「素人が・・・」と言いながら平気で言論の
封殺とも取れる発言をしている。
人様を「素人」呼ばわりをするということは、国家観のないご自身を
プロと自認しておられるつもりでしょうが、甚だ滑稽だ。
とにかくいろいろと説教がましい事は、「曽野綾子教」の信者さんにのみ
仰ってください。ね!『曽野綾子教』の教祖様・・・だって!
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ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。
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今日も曽野綾子さんのことです。
夫は曽野綾子さんのインタビュー記事を切り抜いて、何度も何度も
読み返してはネットで調べています。
パソコンの前で目を真っ赤にしているから、どうしたのかとパソコンを
覗いてみると「日本国憲法」とある。
指で指しながら「前文・・・。」
夫は前文を読むうちに胸が熱くなったと言っていました。
敗戦の翌年に発布された日本国憲法の前文には、並々ならぬ決意が
示されていて心を打たれたそうです・・・。
どうして日本国憲法かというと・・・これから夫の弁です。
そもそも曽野綾子氏のこの識者インタビューは「私たち日本人は」と言いながら、
実を言うと被災地の人たちに向けられたメッセージ。
「甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。」
のだから、これからは「国家に頼らず自ら行動を」と
呼びかけているのだ。
そして、私たち「ど素人」には理解しがたいのがインタビューの二段目の
「国のあり方の基本が崩れた。」
これが、どういう意味か解らない。
東日本大震災で崩れてしまった「国のあり方の基本」とは
一体全体なんなのだろうか?
「国の基本的なあり方」というならどこかで聞いたような気もするし
なんとなく分かるような気もするが、「国のあり方の基本」
・・・それは大震災などで崩れてしまうものなのか?
だが、この言葉の前後を読んでも、それらしい文言は見当たらない。
強いて言えば「欲しいと思えば何でも手に入る・・・甘やかされた
生活の異常社会・・・これからも続くという夢が打ち砕かれた。」
ということを言いたいのか・・・。
「国のあり方の基本」・・・・・思いつくのは「日本国憲法」しかない。
「日本国憲法」であれば、国際関係から国民の権利・義務そして国会
議員内閣制、司法、三権分立、地方自治、財政まで
国のあり方の基本を定めている。
この「日本国憲法」を抜きにした「国のあり方の基本」など
というものがあるのだろうか?
ひょっとして、ご本人は解っていらっしゃらないのではないのか。
だから「国のあり方の基本が崩れた」とは言ったものの,
国家観がないから論旨が定まらず支離滅裂なのだ。
たとえば「多くの国に比べれば汚職や権力の乱用もないに等しい。
しかし、今回の東日本大震災によって、甘やかされた生活がこれからも
続くという夢が打ち砕かれて、国のあり方の基本までが崩れた」
このように勝手に繋げてみても、何を言いたいのかさっぱり分からない。
そして「『欲しい』と思えば何でも手に入る社会は、異常社会だ。」と
言いながら、ご自分は練炭、炭、火鉢やカセットコンロ等、
「欲しい」物はちゃんと常備しておられる。国民の中には
これらの物も買えない方も大勢いる。
ましてや過酷な状況の中で辛うじて生き抜いて再起を計ろうと
している被災者に向かって、こういうことを言っても何の役にも
立たないだけでなく、ただ怒りを買うだけだ。
さらに「政治家は『安心して暮らせる社会を作る』というが、そんなものは
ありえない」。この発言は明らかに国家観のなさを露呈している。
全国知事会に「この国のあり方に関する研究会」というのがあって、
「将来に希望を持って生きられる社会」を提案している。
誠心誠意、県民に尽くそうという首長も多いだけに、曽野綾子氏の
「そんなものはありえない」というのは、あまりにも傲岸不遜な
物言いだ。
その傲慢な物言いはなおも続く。「政治家も有権者も、自分の頭で
考えることをしなくなっている」。
これではまるで「曽野綾子教」の教祖気取り。
そう言いながら考えることを牽制している。「震災後、政府の
不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。しかし、犯人捜しを
しても仕方がないことだ」
考えているから犯人捜し(責任追求)をするのではないのですか?
そんなことをすると「現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと
日本は復興に向かって歩き出せない」と、どこまでも政府や企業擁護。
かと思えば「そうした時代を生きる私たちは、国家やシステムを疑い」
と言って「考えろ」と言わんばかりだ。
「考えることをしなくなっている・・・・犯人捜しをしても・・・
国家やシステムを疑い」何をいいたいの?
ぜんぜん繋がらないではないか。支離滅裂とはまさにこのこと。
考えているから「疑う」わけで、責任追求も批判も悪口も言いたくなるもの・・。
ところが政府や首相の悪口でも言おうものなら
「素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。
総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる
方法である。
なぜなら、時の総理が、自分の悪口を言った相手をぶん殴りに来たり、
名誉毀損で訴えたりするということはほとんどないのだから、つまり
これは全く安全な喧嘩の売り方なのである。
これが相手がやくざさんだったら、とてもそうはいかないだろう。
しかも相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に
偉くなったような錯覚さえ抱くことができる。」
と、ある書物で述べているらしいが、あーなんと品性に欠ける物言いか。
「敬虔なクリスチャン」などと評されているが、これが敬虔といえる
物言いだろうか?キリスト教の信者というのは
こういう物言いをするのか・・・背筋が寒くなる。
「考えることをしなくなっている」と言いながら、一方では考えた上で
政府を批判する人たちに「素人が・・・」と言いながら平気で言論の
封殺とも取れる発言をしている。
人様を「素人」呼ばわりをするということは、国家観のないご自身を
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