幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本百名城の旅・人吉城

2024-05-26 | お城

熊本と鹿児島に跨るJR肥薩線は、4年前の水害から復旧していない。

電車の走っていない「人吉駅」には人影もなかったが、駅前のからくり時計を見たくて立ち寄った。

お城の天守のような形をした三階建のユニークな時計台である。

 

定刻になると扉が開き、からくり人形が姿を現し時を知らせる。

太鼓をたたく武士や、太鼓の音に誘われるように、最上階から顔をのぞかせるお殿様の動きが面白い。

肥薩線の電車が走っていたころは、きっと乗降客に人気があったであろう。

 

人吉駅からは「人吉城跡」迄は、バス(本数が少ない)、タクシーということになる。

ちょっと頑張れば歩くのも可能かもしれないが、球磨川に架かる「水の手橋」までタクシーを利用した。

城跡のエリアに入ると、球磨川に沿って瓦葺、しっくい壁、下部には瓦を張り付けた「海鼠壁」の塀が続き、その奥には頑丈な石垣が築かれている。

 

塀から少し奥にある石垣は「はね出し」という工法が用いられている。

てっぺんの石が外側に張り出している構造(武者返し)で、同様のものは「函館五稜郭」で見たことがある。

 

塀が切れたところには「水の手門」があったところで、年貢米などがここから運び込まれたといわれる。

外堀の役割をしていた「球磨川」は水運にも大いに利用されていたようである。

 

さらに進み、登城口となる「御下門(おしたもん)跡」から三の丸、二の丸、本丸を目指す。

ここからやや登りとなり、一汗かくことになる。

 

三の丸から二の丸へ向かう中御門(なかのごもん)の跡。

 

ここが「本丸」。

いくつかの礎石が残っているが、天守閣が建てられたことは無く、護摩堂があったとのことである。

 

本丸から山を下り、西外曲輪を通り、西側の堀になる「胸川」に出る。

大手門跡の北側には、胸川沿いに積まれた石垣の上に多門櫓、長塀、隅櫓が復元されている。

 

人吉城は鎌倉時代から江戸時代まで相良氏の居城だと伝えられている。

球磨川と胸川を外堀に見立てて造られた山城であり、建物はないが石垣がよく残っている。

地形を生かした中世の城が、「石垣づくりの城」に改修された過程を想像しながら観て歩くのが楽しかった。

 

今回は叶わなかったが、機会があれば「球磨焼酎」でも片手に、のんびり球磨川くだりをしてみたい。



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