これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
ゆきちゃん通信No1
1999年4月15日発行
その2
※O上先生さようなら!
由紀子にとって保育園のお母さんだった
O上先生が3月28日長崎へと転勤して行かれました。
先生との出会いは
由紀子自閉症というハンディを背負う代わりに
神様が与えてくださったような
幸運な出会いでした。
何もしつけられなかった私に代わって
身辺の自立は全て先生のおかげです。
由紀子の先生への信頼は絶対的なものでした。
O上先生の添い寝でなければ昼寝もしなかった由紀子です。
先生!本当にありがとうございました。
でも、先生はずるい!!!
出発の朝、
船の出航10分前まで波止場に現れないのですもの
卒園式でも涙を見せなかった先生。
泣かないための作戦だったのでしょうか?
でも、私知っています。
お別れの前の日に由紀子がいいました。
「おのうえせんせい、なきむし」と……。
きっと先生は園児とのお別れでは……。
先生!
お世話になりました。
これからも由紀子とがんばっていきます。
※追伸
O上先生とお別れしてから由紀子は
先生の名前をぜったい口にしませんでした。
ところが、先日鏡の前で遊んでいた由紀子が
「鏡よ鏡!この世で1番綺麗なのはだ~れ?
それはO上先生で~す。」
つい言ってしまったいつものセリフ!
その後、沈黙した由紀子の背中から
「O上先生!いない!!」
の声が聞こえた気がしました 。
=END=
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
ゆきちゃん通信No1
1999年4月15日発行
その2
※O上先生さようなら!
由紀子にとって保育園のお母さんだった
O上先生が3月28日長崎へと転勤して行かれました。
先生との出会いは
由紀子自閉症というハンディを背負う代わりに
神様が与えてくださったような
幸運な出会いでした。
何もしつけられなかった私に代わって
身辺の自立は全て先生のおかげです。
由紀子の先生への信頼は絶対的なものでした。
O上先生の添い寝でなければ昼寝もしなかった由紀子です。
先生!本当にありがとうございました。
でも、先生はずるい!!!
出発の朝、
船の出航10分前まで波止場に現れないのですもの
卒園式でも涙を見せなかった先生。
泣かないための作戦だったのでしょうか?
でも、私知っています。
お別れの前の日に由紀子がいいました。
「おのうえせんせい、なきむし」と……。
きっと先生は園児とのお別れでは……。
先生!
お世話になりました。
これからも由紀子とがんばっていきます。
※追伸
O上先生とお別れしてから由紀子は
先生の名前をぜったい口にしませんでした。
ところが、先日鏡の前で遊んでいた由紀子が
「鏡よ鏡!この世で1番綺麗なのはだ~れ?
それはO上先生で~す。」
つい言ってしまったいつものセリフ!
その後、沈黙した由紀子の背中から
「O上先生!いない!!」
の声が聞こえた気がしました 。
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