これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
2000年4月15日発行
ゆきちゃん通信No7
※春はつらい季節!
去年の春、
由紀子は大好きだったO上先生とのお別れを経験しました。
そして今年は、交流学級の担任の先生だった、
O野先生とのお別れでした。
O野先生が転勤とわかった時から、
喪失感の強い由紀子にどうやってこのお別れを伝えたらいいものかと悩みました。
そして伝えられずに時間が過ぎて行く中で
由紀子の方が回りの様子から察してしまったようでした。
O野先生の話になると話をそらしてしまうようになったのです。
離任式の日……、
クラスのお友達がO野先生にすがって泣いている中、
由紀子は知らん振りで絵本のセリフを繰り返していました。
一見、別れを理解していないように見えますが、
いつもと違う由紀子の顔でした。
この現実を認めたくなくて、
違う世界の中に逃げ込んでいるように私には見えました。
いっそ泣いてくれた方が慰めてやれるのに……と、
こちらの方がつらくなる光景でした。
そしてO野先生の旅立ちの日、
お見送りに行くことをいやがるのを
無理やり車に乗せて波止場へと行きました。
由紀子にO野先生とのお別れを納得させるためには
どうしても船で去って行く先生の姿を
見せなくてはいけないと思ったのです。
案の定、ターミナルビルの入り口で
泣いて動かなくなりましたが、
Y田先生の力を借りてなんとかO野先生のところまで連れて行き、
お別れをする事ができました。
バイバイも、手を振る事もしませんでしたが、
船の上でテープを持ったO野先生の姿を
下から黙ってずっと見つめていた由紀子の姿が
本当にかわいそうでした。
どんなに学校で嫌な事があっても
「O野先生が待ってるよ」と言って
ニコニコして登校していた由紀子でした。
O野先生を毎日キス攻めにして回りをあきれさせた数ヶ月……。
由紀子にとって最高に幸せな時間だったのでしょう。
担任のY田先生といっしょに由紀子の学校生活を支えてくださった、
O野先生に心から感謝しています。
春は由紀子にとって悲しい季節ですが、
大切な人とお別れをして、また新しい出会いがあって…、
こうやって由紀子の社会性がつちかわれていく事を信じて、
新しい春を由紀子と一緒に歩きたいと思います。
※もう一つのお別れ・・…。
お別れという言葉は使いたくないのですが、
由紀子にとってもう一人大切な人、
ネーネー(長女)も旅立って行きました。
♪~♪ あんたがたどこさ? 肥後さ!
肥後どこさ? 熊本さ!♪~♪
由紀子が最近、凝っているアニメ
『平成ぽんぽこ・・~』の中で覚えた歌の通り、
ネーネーは自分の夢を実現するために
熊本の大学へと進学して行きました。
まるで自分が母親と言わんばかりに、
由紀子の事を可愛がっていたネーネーでした。
一人で暮らす事は淋しくないけれど
由紀子との別れだけが淋しいと言い続けていた
彼女の最大の恐れは
1度別れた人と再会した時にパニクッてしまう由紀子の反応でした。
「夏に帰ってきた時に泣かれてしまう・・…。」
自分の方が泣きそうな顔をして心配している長女の為に
家族で考えた結果、
由紀子とネーネーの別れの場所を福江ではなく
熊本にすることにしました。
見送るのではなくネーネーの新しい生活の場所から
由紀子が帰る事にしたのです。
4月の初め、『肥後に行く』『たぬきに行く』と
楽しみにしている由紀子を連れて3人で福江を発ちました。
ジェットフォイル~白いかもめ(特急)~有明(特急)…
と乗り継いで6時間。長い旅でした。
熊本にいる間中、新生活の準備に連れまわされて、
楽しい事なんて何も無かったので
由紀子にとっては退屈な旅でした。
(たぬきにも会えなかったし!)
でも、どさくさに紛れて悲しい別れの形を取らずに
ネーネーとお別れする事ができました。
あまり電話に出ることを好まない由紀子が
最近、ネーネーの電話だけには少し出て
簡単な会話(?)を、交わせるようになりました。
これから夏までにもう1度ぐらい会いに行けば
再会もなんとかなるのではないかと思っているのですが・…。
どうぞうまくいきますように!!!
余談ですが、熊本市内には夜な夜なたぬきが出るそうです。
タクシーの運転手さんが言ってました。
今度は会えるかな
※新学期…。
新学期が始まって由紀子は2年生になりました。
交流学級の場所が変わり、
その上、安らぎの場であった5組の場所まで
2階へと移ってしまいました。
高い所から降りる事が苦手な由紀子は
階段を降りるのがとってもツライのです。
環境の変化に弱い自閉症の子どもにとって乗り越えなくてはな
らない事が山積みの新学期の始まりです。
時々『学校キライ!』といって
朝の支度をぐずる由紀子の言葉に心の中でドキドキしながら、
無視して平静を装って『さぁ学校へ行くよ!』と、
声かけをする日が続いています。
そんな私の思いが通じるのか
結局は私の背中に向かって
『1番は?』と時間割を聞いて
自分でランドセルを背負う由紀子です。
由紀子の救いはなおこ(Y田)先生が転勤せずに残ってくださった事、
そしてクラスのお友達が変わらなかった事です。
ツライと思いながらも頑張って学校に行けるの
はやはり支えてくれる人達のおかげだとあらためて感じています。
そして、別れがあれば・・…出逢いがあります。
新しい交流学級の担任の先生です。
K林先生。ベテランの優しい女の先生です。
由紀子はさっそく『みどり先生』と呼び方も決め、
頼りにしているようです。
1日も早く新しい環境の中に由紀子が楽しみを見つけて、
たのしそうに通学してくれる事を願うばかりです。
※編集後記
今回の通信は辛い事ばかりお伝えしてしまいました。
でも、正直な所これが現実でもあるのです。
由紀子との生活には楽しい事もたくさんありますが、
こうやって悩む事もたくさんあります。
みなさんに通信をお届けする中で
ついつい楽しい事ばかりを書こうとしてしまう自分がいます。
けっして、強がっている訳ではなく
楽しいことを見つけて行こうと思う心の表れなのですが、
ツライ時は『ツライ!』と言えるようになろうと
最近思っています。
上の娘2人の受験に振りまわされたここ数ヶ月。
3人の娘達それぞれの春を迎え、
我が家はまだまだ大変ですが、
次号の由紀ちゃん通信はまた楽しい話題がお伝えできると思います。
=END=
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。
2000年4月15日発行
ゆきちゃん通信No7
※春はつらい季節!
去年の春、
由紀子は大好きだったO上先生とのお別れを経験しました。
そして今年は、交流学級の担任の先生だった、
O野先生とのお別れでした。
O野先生が転勤とわかった時から、
喪失感の強い由紀子にどうやってこのお別れを伝えたらいいものかと悩みました。
そして伝えられずに時間が過ぎて行く中で
由紀子の方が回りの様子から察してしまったようでした。
O野先生の話になると話をそらしてしまうようになったのです。
離任式の日……、
クラスのお友達がO野先生にすがって泣いている中、
由紀子は知らん振りで絵本のセリフを繰り返していました。
一見、別れを理解していないように見えますが、
いつもと違う由紀子の顔でした。
この現実を認めたくなくて、
違う世界の中に逃げ込んでいるように私には見えました。
いっそ泣いてくれた方が慰めてやれるのに……と、
こちらの方がつらくなる光景でした。
そしてO野先生の旅立ちの日、
お見送りに行くことをいやがるのを
無理やり車に乗せて波止場へと行きました。
由紀子にO野先生とのお別れを納得させるためには
どうしても船で去って行く先生の姿を
見せなくてはいけないと思ったのです。
案の定、ターミナルビルの入り口で
泣いて動かなくなりましたが、
Y田先生の力を借りてなんとかO野先生のところまで連れて行き、
お別れをする事ができました。
バイバイも、手を振る事もしませんでしたが、
船の上でテープを持ったO野先生の姿を
下から黙ってずっと見つめていた由紀子の姿が
本当にかわいそうでした。
どんなに学校で嫌な事があっても
「O野先生が待ってるよ」と言って
ニコニコして登校していた由紀子でした。
O野先生を毎日キス攻めにして回りをあきれさせた数ヶ月……。
由紀子にとって最高に幸せな時間だったのでしょう。
担任のY田先生といっしょに由紀子の学校生活を支えてくださった、
O野先生に心から感謝しています。
春は由紀子にとって悲しい季節ですが、
大切な人とお別れをして、また新しい出会いがあって…、
こうやって由紀子の社会性がつちかわれていく事を信じて、
新しい春を由紀子と一緒に歩きたいと思います。
※もう一つのお別れ・・…。
お別れという言葉は使いたくないのですが、
由紀子にとってもう一人大切な人、
ネーネー(長女)も旅立って行きました。
♪~♪ あんたがたどこさ? 肥後さ!
肥後どこさ? 熊本さ!♪~♪
由紀子が最近、凝っているアニメ
『平成ぽんぽこ・・~』の中で覚えた歌の通り、
ネーネーは自分の夢を実現するために
熊本の大学へと進学して行きました。
まるで自分が母親と言わんばかりに、
由紀子の事を可愛がっていたネーネーでした。
一人で暮らす事は淋しくないけれど
由紀子との別れだけが淋しいと言い続けていた
彼女の最大の恐れは
1度別れた人と再会した時にパニクッてしまう由紀子の反応でした。
「夏に帰ってきた時に泣かれてしまう・・…。」
自分の方が泣きそうな顔をして心配している長女の為に
家族で考えた結果、
由紀子とネーネーの別れの場所を福江ではなく
熊本にすることにしました。
見送るのではなくネーネーの新しい生活の場所から
由紀子が帰る事にしたのです。
4月の初め、『肥後に行く』『たぬきに行く』と
楽しみにしている由紀子を連れて3人で福江を発ちました。
ジェットフォイル~白いかもめ(特急)~有明(特急)…
と乗り継いで6時間。長い旅でした。
熊本にいる間中、新生活の準備に連れまわされて、
楽しい事なんて何も無かったので
由紀子にとっては退屈な旅でした。
(たぬきにも会えなかったし!)
でも、どさくさに紛れて悲しい別れの形を取らずに
ネーネーとお別れする事ができました。
あまり電話に出ることを好まない由紀子が
最近、ネーネーの電話だけには少し出て
簡単な会話(?)を、交わせるようになりました。
これから夏までにもう1度ぐらい会いに行けば
再会もなんとかなるのではないかと思っているのですが・…。
どうぞうまくいきますように!!!
余談ですが、熊本市内には夜な夜なたぬきが出るそうです。
タクシーの運転手さんが言ってました。
今度は会えるかな
※新学期…。
新学期が始まって由紀子は2年生になりました。
交流学級の場所が変わり、
その上、安らぎの場であった5組の場所まで
2階へと移ってしまいました。
高い所から降りる事が苦手な由紀子は
階段を降りるのがとってもツライのです。
環境の変化に弱い自閉症の子どもにとって乗り越えなくてはな
らない事が山積みの新学期の始まりです。
時々『学校キライ!』といって
朝の支度をぐずる由紀子の言葉に心の中でドキドキしながら、
無視して平静を装って『さぁ学校へ行くよ!』と、
声かけをする日が続いています。
そんな私の思いが通じるのか
結局は私の背中に向かって
『1番は?』と時間割を聞いて
自分でランドセルを背負う由紀子です。
由紀子の救いはなおこ(Y田)先生が転勤せずに残ってくださった事、
そしてクラスのお友達が変わらなかった事です。
ツライと思いながらも頑張って学校に行けるの
はやはり支えてくれる人達のおかげだとあらためて感じています。
そして、別れがあれば・・…出逢いがあります。
新しい交流学級の担任の先生です。
K林先生。ベテランの優しい女の先生です。
由紀子はさっそく『みどり先生』と呼び方も決め、
頼りにしているようです。
1日も早く新しい環境の中に由紀子が楽しみを見つけて、
たのしそうに通学してくれる事を願うばかりです。
※編集後記
今回の通信は辛い事ばかりお伝えしてしまいました。
でも、正直な所これが現実でもあるのです。
由紀子との生活には楽しい事もたくさんありますが、
こうやって悩む事もたくさんあります。
みなさんに通信をお届けする中で
ついつい楽しい事ばかりを書こうとしてしまう自分がいます。
けっして、強がっている訳ではなく
楽しいことを見つけて行こうと思う心の表れなのですが、
ツライ時は『ツライ!』と言えるようになろうと
最近思っています。
上の娘2人の受験に振りまわされたここ数ヶ月。
3人の娘達それぞれの春を迎え、
我が家はまだまだ大変ですが、
次号の由紀ちゃん通信はまた楽しい話題がお伝えできると思います。
=END=