ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

ゆきちゃん通信 No10

2001年02月17日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2000年6月5日発行


ゆきちゃん通信No10

秋晴れのコスモス畑


10月の日曜日に家族でコスモスを見に
岐宿までドライブに行きました。

一面のコスモスに由紀子は「きれい!きれい!」を連発して大喜び、
そして、楽しそうに踊りながら「風がさやさや~。」といいました。

その「さやさや~」の言葉で
秋風が私たちとコスモスを包んでいたことに
初めて気がついた私たちでした。

そして、その一言のおかげで
目からだけでなく身体中で秋を感じることができました。

コスモスと青空と秋風、
本当に気持ちの良い1日でした。

最近、由紀子の言葉が豊かになったと感じます。

言葉の数もそうですが、
表現がとても豊かになった気がするのです。

感じたことを素直に言葉にできる由紀子に
忘れていた小さな事をよく思い出させてもらうこの頃です。


.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.*

今回は由紀子のいたずらを特集してみようと思います。


最近の由紀子のいたずらには目を見張るものがあります。

成長?

そう思えば我慢もできますが時々、
プチッといきそうになります。


電 話 編


我が家に電話をすると
もしかして、「ペパーミントパティ」という女の子が
出るかもしれません。

誰?それは由紀子です。

今まで電話が嫌いで絶対電話に出なかった由紀子が
急に電話に興味を持つようになりました。

きっかけは「スヌーピー」のビデオでした。

その中の「私ペパーミントパティよ!」というセリフが気に入って、
家族が留守にしているあいだにかかってきた
電話に出てはこのセリフを言って勝手に切ってしまいます。

相手は何が起こったかわからないまま・・・。

最初に被害にあったのはお父さんでした。

電話に出られるようになったことは大きな成長ですが
これはちょっと問題です。

電話の受け方の練習もさせようとするのですが、
家族がいるときには絶対に電話を取らないのです。

熊本のネーネー(長女)のところに電話を掛けても,

自分の好きな言葉を連発して、
最後は「バイバイ」・・・

ちっとも電話の役目を果たしていないのです。

そうそう、最近またパターンが増えました。

「現在この電話番号は使われておりません。
お確かめの上おかけ直しください。」

もう、笑うしかありません!(^○^)

どうぞ、皆様 我家に電話をして
このセリフが流れましても電話番号は変わっておりませんので、
後ほどおかけ直しください。


落書き編

2年生になって由紀子はひらがなが書けるようになりました。

今まで絵を書くことも、鉛筆を持つこともしなかった由紀子は
ここに来て書くことの楽しさに目覚めたようです。

はじめはちゃんと紙に書いているのですが、
そのうちに筆は自分の身体に移っていきます。

おとなしいなと思って見に行くと
足から手までびっしりと何か模様でいっぱいに・・・。
(字かなとも思うですが・・・。判別不能です)

時にはそれが、
鏡台の鏡だったり、畳だったり、テーブルだったり・・・。

さすがにこの時は私も怒ります。

きびしく説教をした後で、
プンプンして落書きを消していると

「おかあさん、ごめんなさい!」

と、顔を覗き込んできます。

最近では謝る事も上手になって・・・・

でも、「もういいよ!」の一言で
半べそ顔からすっかりもとの顔に戻る
変わり身の速さはなんなのだ?


校長室編


由紀子は以前も書いたように校長先生が大好きです。

学校では教室の移動のときに
校長室を覗いては先生のお顔を見に行っているようです。

それだけでも、忙しい時間に申し訳なく思っているのに、
聞くところによると
そこでもう1つ余計な事をしてくるらしいのです。

校長室のかぎは外から南京錠を掛けるようになっているのですが、
なんとその元の掛け金を部屋を出る時に掛けてきてしまうのです。

するとどうなるか・・・・。

校長先生は閉じ込められてしまうのです。

「いやいや」と笑って許してくださる校長先生に感謝しています。

今では用心して掛け金を内側に倒してくださっているとか・・・。

誠に申し訳ございません。


.。.:*・☆・゜・*:.。.*.。.:*・☆・゜・*:.。.*

いろいろな出会い

この春からケンちゃんというお兄さんがクラスメイトに加わりました。
ケンちゃんも由紀子と同じ自閉症です。

ケンちゃんとは以前からの知り合いで、
相性はいいほうかな?と思っていましたが、
最近この二人が本当に仲がいいのです。

お互いに姿を見つけると、駆け寄ってきて
おきまりのセリフでコミュニケーションを取っていたり、
時には二人並んで座って談笑していたりします。

でも、いつもそばにいるわけではなく、
同じ部屋にいてもお互いまったく知らん振りのときもあります。

不思議な関係ですが、ケンちゃんといるときの由紀子の顔は
とてもリラックスしているような気がするのです

今まで由紀子にはそのように心を許せるお友達はいなかったかもしれません。

もちろん、今までも仲のよいお友達はいましたが、
それはいつも由紀子が頼りにしているというか・・・・
お世話をしてもらえる友達でした。

この二人には、
言葉ではなく何か理解しあえるものがあるのかもしれません。

私は、なんだかうれしいのです。

今まで自閉症の人はコミュニケーションが苦手だから
基本的にはずっと孤独なのかもしれないと思っていました。

でも、それは違うようです。
由紀子にも理解し会える仲間がいるのです。

良い出会いがあって本当によかったね!と心から思う私です。

これは新しい恋かって?

いえ!いえ!
由紀子はいまだにO野先生を思い続けております。

先日も久しぶりにO野先生にお会いしましたが、
相変わらずドキドキの由紀子ちゃんでありました。

これって遠距離恋愛とはいわないのかな?

(O野先生に本当の恋人ができるまでそういうことに
してやってください。)

=END=
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆきちゃん通信 No9

2001年02月16日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2000年6月5日発行


ゆきちゃん通信No9


今年もキャンプ!楽しかった!!

今年も由紀子の夏休みは
自閉症協会の療育キャンプで始まりました。

2 度目の参加とあって由紀子はとても落ち着いて
すべてのプログラムに参加して、大満足で帰ってきました。

去年は雨の為、ゴール間近であきらめた登山も
今年は最後まで弱音を吐かずに歩き通すことができました。

みんなに誉めてもらった由紀子は得意満面。
「エライ?」と一言!

そして夜に屋外で催されたキャンプの集いに
暗い所が苦手な由紀子が落ち着いて参加して、
みんなと一緒にダンスを踊る事ができたのには
私もびっくりしました。

今年の担当のボランティアさんは「あやの先生」。

のんびり屋の由紀子をよくリードして、
よい思い出をたくさん作ってくださいました。

ありがとうございました。

最後の日にリーダーの先生から
「由紀子ちゃんはがんばりましたね!
去年とはぜんぜん違っていましたよ。
やはり経験が大事という事ですね。」

と、言って頂いた時に
来年も、再来年もきっとまた参加しようと
強く心に決めて帰ってきました



夏の思い出


その1、ねーねーが帰ってきたよ!

大学にいっていた長女が夏休みになって帰って来ました。

5ヶ月ぶりに「ねーねー」の顔を見た由紀子。

最初はやはり緊張した様子でしたが、
布団の中に無理やり入ってきた「ねーねー」に抱きつかれた時、
全身で跳ねて喜びを表していました。

その後、歌をいっしょに歌って、
いっぱい甘えて幸福そうに眠った由紀子です。

再会が苦手な由紀子ですが、
さすが肉親の絆は強かったということなのでしょうか?

1週間ほどで熊本に戻っていった長女に
「いってらっしゃい!」
と元気に言えた由紀子にまた一つ成長を感じました。




その2 1000ピースのパズルに挑戦!

今年の夏休みの宿題は
1000 ピースのジグソーパズルに挑戦しました。





まずは、1 作目を
家族みんなで手伝って作ることにしたのですが、

今まで由紀子にとってパズルは
短時間に一気に仕上げてしまうものでしたから
何日もかかって仕上げることを理解させるのが大変でした。

初日の夜などその日一日かかって作ったものを
「おかたづけ」といって壊してしまいそうになりました。

それでも、慣れてくると
家族の誰よりも早くピースをつなげる事ができるようになり、
1 作目は10 日で出来上がりました。

そして、2 作目は由紀子一人の力でがんばって
1 週間で仕上げました。


作る途中でほとんど完成図を見ないで
ピースをつなげてゆく由紀子の手元を
私達は感心して見るばかりでした。




その3 歯医者さんに行きました。


あまり、自慢にはなりませんが
学校の歯科検診で虫歯が見つかって
初めて医者さんに行きました。

病院のご配慮で由紀子のペースに合わせて
ゆっくりと治療していただき、
進行をとめる薬を塗って無事終りました。

6 月には耳鼻科にも通院できたし、
一つずつ苦手な場所がクリアできて、
よかった!よかった!

「でも、虫歯ができないのが1 番」
これはお父さんの言葉・・・。

はい!よくわかっております。



「うん!」という言葉・・・。

最近「ゆきちゃん、ご飯食べた?」と聞くと
由紀子は「うん!」と答えます。

普通の子どもにとってはなんでもない会話ですが、
由紀子がこの言葉を身につけるのには
本当に長い時間がかかりました。

上の娘たちは言葉を話し出す前に
うなずくという方法で
この「うん!」を身に付けていました。

でも、由紀子は三歳になってもその兆しは見えませんでした。

それが自閉症を疑いだしたきっかけでもありました。

由紀子はこの言葉をビデオの
「トトロ」の中に出てくるメイちゃんという
女の子のセリフから覚えました。

いえ、学習したといっていいかもしれません。

今まで質問には「ご飯食べた!」と言うような
オウム返しに似た返事をしていたのですが、

ビデオの中でメイちゃんが
「うん!」と答えている場面を見ている内に
由紀子の中で何か感情が芽生えたのかもしれません。

最初のうちはメイちゃんの言い方そっくりに
真似をして意味もなく「うん!」「うん!」を
うれしそうに連発していましたが、

時間が経つにつれて、
その言葉は由紀子のものになりました。

いろいろな場面でとても自然に
そして的確に使えるようになっていったのです。

今までも、由紀子はこのような形で
いろいろな言葉や動作を身につけてきました。

全てが学習なのです。

それにしても、
由紀子が「うん!」と答えるたびに
私は笑顔にならずにはいられません。

ずっと、ずっと待っていた言葉だった。

そんな気がします。


=END=
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆきちゃん通信 No8

2001年02月15日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2000年6月5日発行


ゆきちゃん通信No8

前号で落ちこんでしまった由紀子の様子をお伝えしました。

あれから二ヶ月が過ぎ由紀子はすっかり立ち直って、
またニコニコの笑顔で学校へ出かけて行くようになりました。

辛かった時期、学校の先生方が由紀子をしっかり支えてくださいました。

今回は由紀子が大好きな学校の先生方の特集をしてみようと思います。


※校長先生


毎朝校門の所に立って子ども達を迎えてくださる校長先生に、
由紀子は『おはようございます。』のご挨拶をするのが日課です。

ある朝、由紀子を送って行って
いつものように少し離れた所から見送っていると
校門の近くで由紀子の足が止まってしまいました。

校長先生がいないのです。

3分程そのまま立っていたでしょうか、
背中を押しに行こうかと思った時、
校長先生が出ていらしゃいました。

するとどうでしょう由紀子はニッコリ笑って走り出し
校長先生に抱きついて行きました。

その頃からです、
由紀子にとって校長先生は特別な方になりました。

毎朝のご挨拶はもちろんのこと、
昼間も校長室を覗いては校長先生の顔を見に行くようになりました。

教室が二階になって階段の上り下りが辛かったけれど
移動の途中に校長室があったお蔭で
これもクリアできたのでした。


※M原先生



保健室の先生です。
とてもやさしい先生で
いつも由紀子の事を気にかけてくださいます。

そしてM原先生と由紀子の間には二人だけの合言葉があります。

『ごきげんいかが?』…。

どこででも、先生の姿を見ると
ピューと走って行ってこの言葉をかけにいきます。

どんなに遠く離れていてもです。

例えば、放課後、校門を出ようとした時でも
保健室から外に出た先生の姿が見えたら…

もうダメです。

運動場を横切って一目散に走って先生の元へ…。

ハァハァ息を切らせながら
『ごきげんいかが?』。

先日も雨の中
傘を放り投げて運動場の真ん中を走って行きました。(笑)

きっといつもニコニコと返事をしてくださる
M原先生のやさしい笑顔がたまらなく好きなのでしょうね。


※K林先生


交流学級の担任の先生です。

前号でも、ご紹介しましたが由紀子はみどり先生と呼びます。

ベテランの先生で由紀子をゆったりと見てくださっています。

毎朝時間割を確認するのですが
音楽と生活科・体育の言葉が出ると
「みどりせんせいだぁ!」といいます。

細かな所に気を配ってくださる先生を親子共々頼りにしています。

時々黙って教室を抜け出して
先生をハラハラさせる事もありました。
申し訳ありません。



他にも由紀子にかかわってくださる先生方がたくさんいます。
紙面の都合でご紹介できないのが残念です。

これも担任のY田先生が毎日『えがお』と名づけられた通信で、
全部の先生に5 組の子ども達の様子を知らせてくださっているお蔭です。

去年の『えがお』の発行号数は180 号程もありました。



※先生が好き!


前号でツライお別れをお伝えした
O野先生と運動会の日に再会をしました。

この満面の笑みを見てください。

再会という事ををどうしても受け入れる事ができず
強烈なパニックを起こしてしまう由紀子が
ついにその壁を破ったのです。

でも、この笑顔の裏にはたくさんのお話があるのです……。

まずこの再会を果たせたのは、
ひとえにY田先生とO野先生の努力のお蔭なのです。

Y田先生はO野先生とお別れをしたその日から
毎日『運動会に、O野先生がくるよ!』と
言い続けてくださったのです。

まず『運動会=O野先生』が
由紀子の中にインプットされていきました。

そして、次は手紙です。

「ゆきこ」としか文字の書けない由紀子の手を取って
手紙を書かせてくれました。

その後、O野先生から返事がきた時の
由紀子の喜び方は大変なものでした。

書けなくても読む事はできる由紀子です。

何度も読み返しては
『運動会にO野先生がくるよ!』と繰り返していました。

さらに、次は電話です。

家から夜にO野先生の所に電話をさせるように指示をされて
最初は私が付き添ってかけさせたのですが、
『キャ~!』の一声をお伝えしただけで
終わってしまいました。

その翌日、
Y田先生は、O野先生と連絡を取って、
携帯を使い空き時間にもう一度
電話をかけさせてくれました。

そして、そこで二ヶ月ぶりにO野先生とお話が出来ました。

これだけの準備をして運動会のこの再会があったのです。

それでも、最初にO野先生を見た時は
顔は笑っていたものの身体は緊張して
どうしても側に寄る事ができませんでした。

先生が近づくと逃げ出してしまいます。

私はこのまま終わるのかと思ったのですが、
先生方はあきらめず何度も由紀子にチャンスを作ってくださり、

最初に会ってから3時間後にはこの写真の笑顔です。

由紀子の難しい世界の前に嘆くばかりで
努力をしなかった自分がはずかしいと思いました。

今回の事でお二人には
頑張れば由紀子の世界の扉をこじ開ける事ができることを
学ばせていただきました。

由紀子はまたO野先生と会えることを信じて
今から楽しみにしています。


=END=
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆきちゃん通信 No7

2001年02月14日 | 新聞 ゆきちゃん通信
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2000年4月15日発行

ゆきちゃん通信No7


※春はつらい季節!


去年の春、
由紀子は大好きだったO上先生とのお別れを経験しました。

そして今年は、交流学級の担任の先生だった、
O野先生とのお別れでした。

O野先生が転勤とわかった時から、
喪失感の強い由紀子にどうやってこのお別れを伝えたらいいものかと悩みました。
そして伝えられずに時間が過ぎて行く中で
由紀子の方が回りの様子から察してしまったようでした。

O野先生の話になると話をそらしてしまうようになったのです。

離任式の日……、
クラスのお友達がO野先生にすがって泣いている中、
由紀子は知らん振りで絵本のセリフを繰り返していました。

一見、別れを理解していないように見えますが、
いつもと違う由紀子の顔でした。

この現実を認めたくなくて、
違う世界の中に逃げ込んでいるように私には見えました。

いっそ泣いてくれた方が慰めてやれるのに……と、
こちらの方がつらくなる光景でした。

そしてO野先生の旅立ちの日、
お見送りに行くことをいやがるのを
無理やり車に乗せて波止場へと行きました。

由紀子にO野先生とのお別れを納得させるためには
どうしても船で去って行く先生の姿を
見せなくてはいけないと思ったのです。

案の定、ターミナルビルの入り口で
泣いて動かなくなりましたが、
Y田先生の力を借りてなんとかO野先生のところまで連れて行き、
お別れをする事ができました。

バイバイも、手を振る事もしませんでしたが、
船の上でテープを持ったO野先生の姿を
下から黙ってずっと見つめていた由紀子の姿が
本当にかわいそうでした。

どんなに学校で嫌な事があっても
「O野先生が待ってるよ」と言って
ニコニコして登校していた由紀子でした。

O野先生を毎日キス攻めにして回りをあきれさせた数ヶ月……。
由紀子にとって最高に幸せな時間だったのでしょう。

担任のY田先生といっしょに由紀子の学校生活を支えてくださった、
O野先生に心から感謝しています。

春は由紀子にとって悲しい季節ですが、
大切な人とお別れをして、また新しい出会いがあって…、

こうやって由紀子の社会性がつちかわれていく事を信じて、
新しい春を由紀子と一緒に歩きたいと思います。



※もう一つのお別れ・・…。

お別れという言葉は使いたくないのですが、
由紀子にとってもう一人大切な人、
ネーネー(長女)も旅立って行きました。

♪~♪ あんたがたどこさ? 肥後さ!
肥後どこさ? 熊本さ!♪~♪

由紀子が最近、凝っているアニメ
『平成ぽんぽこ・・~』の中で覚えた歌の通り、
ネーネーは自分の夢を実現するために
熊本の大学へと進学して行きました。

まるで自分が母親と言わんばかりに、
由紀子の事を可愛がっていたネーネーでした。

一人で暮らす事は淋しくないけれど
由紀子との別れだけが淋しいと言い続けていた
彼女の最大の恐れは
1度別れた人と再会した時にパニクッてしまう由紀子の反応でした。

「夏に帰ってきた時に泣かれてしまう・・…。」

自分の方が泣きそうな顔をして心配している長女の為に
家族で考えた結果、

由紀子とネーネーの別れの場所を福江ではなく
熊本にすることにしました。

見送るのではなくネーネーの新しい生活の場所から
由紀子が帰る事にしたのです。

4月の初め、『肥後に行く』『たぬきに行く』と
楽しみにしている由紀子を連れて3人で福江を発ちました。

ジェットフォイル~白いかもめ(特急)~有明(特急)…
と乗り継いで6時間。長い旅でした。

熊本にいる間中、新生活の準備に連れまわされて、
楽しい事なんて何も無かったので
由紀子にとっては退屈な旅でした。
(たぬきにも会えなかったし!)

でも、どさくさに紛れて悲しい別れの形を取らずに
ネーネーとお別れする事ができました。

あまり電話に出ることを好まない由紀子が
最近、ネーネーの電話だけには少し出て
簡単な会話(?)を、交わせるようになりました。

これから夏までにもう1度ぐらい会いに行けば
再会もなんとかなるのではないかと思っているのですが・…。

どうぞうまくいきますように!!!

余談ですが、熊本市内には夜な夜なたぬきが出るそうです。

タクシーの運転手さんが言ってました。

今度は会えるかな


※新学期…。

新学期が始まって由紀子は2年生になりました。

交流学級の場所が変わり、
その上、安らぎの場であった5組の場所まで
2階へと移ってしまいました。

高い所から降りる事が苦手な由紀子は
階段を降りるのがとってもツライのです。

環境の変化に弱い自閉症の子どもにとって乗り越えなくてはな
らない事が山積みの新学期の始まりです。

時々『学校キライ!』といって
朝の支度をぐずる由紀子の言葉に心の中でドキドキしながら、
無視して平静を装って『さぁ学校へ行くよ!』と、
声かけをする日が続いています。

そんな私の思いが通じるのか
結局は私の背中に向かって
『1番は?』と時間割を聞いて
自分でランドセルを背負う由紀子です。

由紀子の救いはなおこ(Y田)先生が転勤せずに残ってくださった事、
そしてクラスのお友達が変わらなかった事です。

ツライと思いながらも頑張って学校に行けるの
はやはり支えてくれる人達のおかげだとあらためて感じています。

そして、別れがあれば・・…出逢いがあります。

新しい交流学級の担任の先生です。

K林先生。ベテランの優しい女の先生です。

由紀子はさっそく『みどり先生』と呼び方も決め、
頼りにしているようです。

1日も早く新しい環境の中に由紀子が楽しみを見つけて、
たのしそうに通学してくれる事を願うばかりです。



※編集後記


今回の通信は辛い事ばかりお伝えしてしまいました。
でも、正直な所これが現実でもあるのです。

由紀子との生活には楽しい事もたくさんありますが、
こうやって悩む事もたくさんあります。

みなさんに通信をお届けする中で
ついつい楽しい事ばかりを書こうとしてしまう自分がいます。

けっして、強がっている訳ではなく
楽しいことを見つけて行こうと思う心の表れなのですが、

ツライ時は『ツライ!』と言えるようになろうと
最近思っています。

上の娘2人の受験に振りまわされたここ数ヶ月。
3人の娘達それぞれの春を迎え、
我が家はまだまだ大変ですが、

次号の由紀ちゃん通信はまた楽しい話題がお伝えできると思います。



=END=
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆきちゃん通信 No6 その2

2001年02月13日 | ゆきちゃんの日記
これは由紀子が一年生になったのをきっかけに
お世話になった方たちに郵送していた新聞です。
それを日記風にアップしました。
もともとの新聞としてPDFで見ることもできます。

2000年1月30日発行


ゆきちゃん通信No6

その2

※由紀子の趣味


◎読書

字が読めるようになって由紀子の本への興味は大きく広がりました。
以前の愛読書はカロリーブックでした。
別に母の体重を気にしてではありません。
CM で見たお菓子やジュースの写真がいっぱい載っているからです。

でも、今は『ことば絵辞典』が一番の愛読書になりました。
毎日飽きもせずにページをめくってはいろいろなことばを
吸収しているようです。

◎ジグソーパズル

5組で同じクラスの明日香さんと毎日楽しんでいるのがパズルです。
小学校に入る頃はまだ60ピースが精一杯だったのが
今では120ピースまで大丈夫になりました。
5組には卒業した自閉症の先輩が作った
1000ピースのパズルが飾ってあります。

いつか由紀子と2人であ
んな大きなパズルが作れたら楽しいだろうなぁと思ってしまう私です。

◎キーボード

以前ピアニカでキラキラ星が引けるようになったことを
お伝えしましたが、
あれから興味はキーボードへと移りレパートリーもかなり増えました。

以前は私が音階を教えながら練習していましたが、
今の先生はマーマー(次女)。
弾きたい曲を何回もマーマーに弾かせて側でじっと見て
覚えるようになりました。
まだ一本指のピアニストですが、
音色をいろいろ変えたり、鍵盤の位置を変えて音の高さを楽しんだり
毎日賑やかな事です。

*・。*゜・。・o゜・。*゜・。・o*゜・。*゜・。・o*゜・。*

私は由紀子に趣味と呼べるようなものが出来た事を
とても嬉しく思っています。
人との係わりが苦手な由紀子は
どうしても独りで過ごす時間が多くなります。
その時に楽しめる物があるのは大切だと思うからです。
趣味はどんどん変わって行くでしょう。
でも、由紀子が成長して自立した時にも、
何か趣味を持っていてくれたらいいなぁと
思わずにはいられません。



※『お母さんへ、心配してください。』

由紀子の口からは、ある日突然、
面白い言葉が飛び出してきます。
この言葉もそうでした。

『◯◯さんへ、心配してください。』

これは「くまのプーさん」のビデオの中に出てくるセリフです。
意味が分かっているのかどうか分かりませんが、
由紀子は心を許せる人に向かって顔をまっすぐに見ながら
「○○さんへ、心配してください。」と語り掛けます。

言われた方は初め意味がわからずキョトンとしていますが、
ゆっくりとこの言葉が心にしみるようです。

そして、ありがたい事に皆さんきちんと
『はい!』と答えてくださいます。

私も、自分にぴったりの言葉を
よく探してきたものだと感心しながら
『心配していますよ!』と心から答えています。


※コマーシャルクイーン

ある日教室を訪ねて見ると、
Y田先生と由紀子が並んで何かをしている・…。

「はァ~! さかい・安い・仕事きっちり!!」

このセリフ…ご存知ですか?今
テレビで流れている『引越しのさかい』のCM です。

二人でこれを躍っているのです。
振りも揃って楽しそうな事……。

5組ではわがままも通らず、厳しい訓練も多いのに由紀子が
「なおこ先生大好き!5組 楽しかった!」といって
毎日楽しそうに学校に行くのには
こんなY田先生との交流があるからなのだと思います。

私も入れてぇ~と言いたいけれど、
割り込めないムードが漂うほど息の合った二人です。

=END=
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする