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自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

秋の日記帳

2017年09月06日 | ひとりごと


あっという間に秋風が立ち始めて、5年日記の余白が残り少なになってきました。
自然の欲求に駆られて、というほかさしたる意欲もないまま
何十年間つけ続けた日記帳、積み重ねたらどれくらいの高さになるかしら?

ある出来事を境に、あとを惹かないよう読み返すことも殆ど止め
執着を絶って古いのから順に廃棄処分を繰り返すようになっていました。
ひとつの時期厳しく生きた年代を過去のものとして通り抜け
またひとつの生き方それはそれでよかったのだと今は悔いなく思い返されます。
日記帳を買うたび、若しかしたら今回がおしまいに、とはいつも考えることですが。

先日気づいたら前年、前々年のものを時間をかけて何度も読み返していたのです!
近年暴風とか豪雨とか、記録的な天候異変が続くので比較してみたかったのでしょうか?
いえいえ、 それより~、
どうも暇な時間が増えてきた証拠だと思われます(● ̄▽ ̄●;)

そしてひとつだけ、
へ~~と驚いたことが。

それは充実していたと思う日々の内に、殆ど絶え間なくからだ全体の著しい不調が述べてあったこと
そして当時の辛さが痛みが身内に生々しく甦ったという事実です。

もう以前から目、耳、そこに歯も加わって、 首から上はすべて使用期限切れだから
取り換える以外どうしょうもないのだけど、
歩くのも立つのも座るのも仰々しくかつスローモーで我ながら年寄りくさいのだけど
それでも取り立てて大病はせず、年齢の割にはおおむね良好な状態と自覚していたもので。

幸せながら辛いとも感じてしまう昨今では
心と体は別個なのかそれとも繋がっているのか、良き方に解釈を、ということでしょうか?
悩みますよ!

ただ次回の5年日記帳は何の躊躇もなく買い求める積りでいるのですけれど… (‥ )ン?

人体の不思議

2017年03月06日 | ひとりごと
   

この一年余り棲みついた眼の不快感は一日の例外もなく、時とともに快方に向かう気配は一向にありません。
「半年か、1年もしたら良くなりますよ」だって? (あのハゲじじィの大ウソつき!)
と毒づけば、まァしばらくは気が治まる、この程度までは馴染んだし
これから別の医院を探して治療試みるほどのエネルギーもなし。

ところが一週間ほど前から加えてひどい頭痛や肩こりに襲われ、そうとばかり言っていられなくなりました。
ようやくこれならと思う眼科医院を見つけた頃はくたびれ果て、念のため確認したら午後は休診とのこと
すっと気が抜けてその日は静かにと、そっと横になったまではよかった
ふと胸に強い圧迫感で目を覚ましたら、わずか1時間ほどでとんでもない異変?の幕開けでした!

目玉だけでも動かして時計を見たいのに、首肩は鉄の鋳型にはまったみたい
頭はちょっと触れただけでピリピリ、胸と背中、腰と手足もずきずきヒリヒリ痛む、と言ったら体全体ね
毛布の下で燃えてるように熱く、なんとかそれを除けたいけど、両手首が疼いて持てません
これは~いつもと明らかに違います。

観念して少しずつ虫が這うように動き続けたら、その夜は水だけは飲むことが出来ました。
時間をかけテレビもつけてみて、鼻歌も歌ってみて、ほんの10分ばかりは…
風邪?じゃないよねぇ… 明日は、無事に目が覚めるかしら?
考えるのは諦めてとにかく眠るしかないとベッドに入ったのですが、 さてこれからが本番です。


カーテンの隙間から白く光が漏れていて目が覚めました。
時計は9時を指しています。夜?朝?
あれ?昨夜鋳型にはまっていた首が動く、枕元の時計だって見れるもん
ひりひり痛かった頭はうそのようにすっきりして、首も肩もラクに動くし手首だって布団が持ちあげられる!
いつもなら夜中トイレに起きるし寝がえりは10回ぐらいするのに、朝の9時まで同じ姿勢なんて、絶対信じられない
でも夢じゃないよね…
しばらくの間は寝床の中で何度も昨夜の痛みを思い出し確かめねばなりませんました。

ひと眠りのあと突然襲ってきた全身の痛み、それが一晩で消えた不思議、どう説明できる?
何らかのホルモンがあふれ出て痛みの因子が大量生産されたとか
知覚の伝達回路が故障かエンスト起こしたとか
長年の使用で錆びちゃったとか…

かかりつけのお医者さんは、以前下血で冷たくなり失神した時と同様に
今回も何らかのウィルスのせいでしょう、と軽くおっしゃいましたが、
私には、最近のテレビ健康番組で、イラストを使って面白おかしく納得させる人体の不思議な働きが
何故かこのとき一番すんなりと胸に収まってきたのです
決してテレビの見過ぎのせいじゃありません。

気づいた瞬間のあの全身の痛みと、そして消失、短時間で逆転した貴重な不思議体験。
これから先も、どんな未知への遭遇が待ちうけているのやら!(@_@。!

電話美人

2015年07月27日 | ひとりごと


Hさんからご主人の法要のご招待があったけれど生憎時間の都合がつきそうにありません。
それで気持ちばかりのご供養代を送りましたら1週間ばかり経って電話がありました。
受け取った封筒を何処へしまいこんだやら分からなくなり、探し回っていて今ようやく見つかったんですって。

よくあることです、笑いながら交わす電話の声は自分のガラガラ声に比べうっとりしてしまうほど若々しく
確か私よりは2歳くらい上だった筈だけど、どのような声帯に恵まれたんでしょうねぇ

間もなく追っかけるように、今度はHさんの娘から電話がありました。
もう一段もニ段も上の、久しく聞いたことのないピアノの上を転がすような美声です。
でもその内容はキビしかった!! 
父の死後母は認知症が急激に進んだので以後はそのようにお含みを…と。 
信じられない。

以前、絵描き仲間のUさんは
笑顔の似合う朗らかな性格でお洒落で外出好きの社交家で
何事にも好奇心が強くお金持ちのくせに仲間の誰よりも発達した経済感覚の持ち主だったのが…
それでも油断はできないのだと強く教えられて

ざぁます奥様の傾向があるのでちょっと敬遠したい相手なのに何故か気に入られ
ときどき電話が来るのですがこのひとお洒落な上に声も素敵
そしていつも上機嫌で独りでしゃべっている電話に異変を感じたのはやはりご主人が亡くなってからでした。

憧れの美声とも関係なしどれだけ予防策を講じても防ぎきれない老化という魔物
これ以上怖いものって、この世にあります?

おほほ、と電話口で陽気に笑っていたUさんの、底抜けに明るく透き通った声が悲しいものに思い出されるのです。

暇ができたら

2015年05月16日 | ひとりごと


かなり頑固なご飯人間だった筈が、近ごろ2~3日はご飯抜きでも平気にお菜ばかりで過ごしたりします
主食はパン、麺類、魚や肉のおかずのみとかさまざまで、気がつくと嫌いだった芋類、どうかするとお菓子まで!

忙しいときはまるで胃がお休みしたように三度の食事さえ忘れてしまうのに、
少し暇ができた途端おやつを待ちかねるほど食欲が湧くとはどうなんでしょう
冷蔵庫に息子夫婦が持ってきてくれたお菓子たちが出番を待っています
二人で相談し合って買いそろえたと、珍しいもの少量ずつ品数豊富に揃えてあり
ひとめ見て子どもみたいに大はしゃぎしたもののとても食べ切れません
それは織り込み済みだったらしく、半分くらいは持参した当の本人たちの胃の腑へ落ち付きましたが
保存可能のお菓子がまだ幾つも残っています。

子供のころ渇望した甘い味覚。
それが叶えられなかったのが理由かどうか、成人以後お菓子類には無関心。芋、豆なども大嫌い。
だけどご飯だけはどんな御馳走のあとにも一口食べなければ収まらないとなると
やっぱり戦中戦後の食事情が影響している面もあるのでしょうか
といってもそれは遠い昔のこと。今はもう何だかこじつけているみたいな自覚もないではありません。

一時は品数30種以上にこだわって具ばかり溢れたみそ汁など作り… 確かにその頃は元気でしたね
でも調整できる原材料には限りがあって、毎回似たり寄ったりの食に飽き或いは作るのめんどくさいとか、
数ばかりに振り回されて食本体を楽しめないとか、いろいろありましてそれも昔話に。(#^.^#)

嗜好品は一生のうちに随分変わるものですね
いつまでも元気でいてくれるようにと、そのためには肉類だって食べないといけないんだからと
息子は来るたび凄いビフテキ焼いてくれるのだけど、尤も半分以上は自分で召し上がるんだけど
私も負けずにせっせと実行に移すうち、ご飯抜きでお腹いっぱいという食習慣がついてしまったようです。
そのうちとんでもない肉食バァサンになったらどうするのよ

まァそのときはその時、と息子はニヤリ聞き流してみせるのですが。

悼む人

2014年12月29日 | ひとりごと


喪中の年賀欠礼ハガキが12枚も来ました。
今年私の兄と縁戚のお祖父ちゃんが亡くなったので、年頭のご挨拶だけは年賀状で、
私も息子一家とともに服喪の思いからお飾りやおせちの無い静かなお正月となりそうです。


年末になると今年亡くなった著名な方々が幾人も紹介されますが
同年代の人の訃報には、聞くたびに遠ざかった昭和の時代が思い起こされてなりません。
今に置き換えるとあの変動に黙って耐えた底力って一体何だったんだろう??とか。

何もかもないないづくしの戦争が終わって、飢えた食欲も満たされてくると、次にくるものは娯楽でしょう
映画は数少ない娯楽として最も身近にありその欲望を満たしてくれました。
「青い山脈」
長い髪をなびかせ自転車で駆け抜ける女学生って憧れの象徴でしたよ!
石坂洋次郎の小説を読み漁ったりもしたのですが、原作者も主演俳優も既に鬼籍の人となって久しい。

お小遣いの許す範囲で映画スターのプロマイドなど集めこっそり鞄に忍ばせた頃から、
少し時代は進んで新たな青春スターが数多く誕生しました。
その一人が石原裕次郎。そして長い闘病生活の末ファンに見守られる中の死。
過去著名人の死で最大のショックを与えられたのが、この映画スターだったなんて!

実をいうと、裕ちゃんにも美空ひばりにもほとんど関心はなかったのです
映画は大好きなのにスターの存在にはあまり興味がなく
小節を効かせた流行歌はむしろ嫌いで、ただ周囲に調子を合わせていただけ。
だから彼の死で昭和が終わったほどの衝撃がじわじわとやってきたときは何とも不思議で
きっとファザーコンプレックスが、年下の彼を魅力の圏外に置いていたのだろうと自己分析などしたけれど(^_-)-☆

好き嫌いはともかく、時代を風靡する大スターの影響力ってほんとに凄いんですね
その半分でも人々の心をぐっと掴んで離さないカリスマ性のある政治家が現れてくれないものかしら。
あ、脱線。
 

今はない人たちのありし日を偲びながら心穏やかにお正月を迎えます。 
どうぞよいお年を。

小さな一票

2014年12月16日 | ひとりごと


珍しい初冬寒波が次々続いているのに、すき間を縫って素晴らしく晴れ上がった日がありました。
気がかりなのはこの時期思いがけない歳末衆院選挙、街を散歩してついでに不在投票してこようかしら
いえ、先ず大切な国民の義務を果たしてから、あとついでにショッピングでも楽しむことにしましょう
一党独占、そんな予想が実現するのを憂う一心で、小さな一票を行使するため出かけました。

市役所の一隅にある投票所は、絶え間なく不在投票する人が訪れていました。
いつもの見慣れた風景です。投票を済ませたらこのところのもやもやが大分すっきりしました。
あとは気軽に買い物を、と派手に期待した割には疲れて足もどんどん重くなり
夕食の準備を省けるように「梅の花」の弁当とおつまみ蒲鉾をデパ地下で買っただけ
−−− い・つ・も・こ・の・調子なんだから。(+_+)



さて選挙当日は予報通りの大雪に冷気の身にしみる一日となりました。
結果は御存じの通り
お願いに駆け回った赤と黒のスーツの女性議員は笑い、金まみれ疑惑の第三極仕掛け人は泣いて
野党第一党の党首は65年ぶりの落選とか、まことに悲喜交々ですね、といえども笑ってすむことではないような。
投票率も戦後最低、全国民の半分が国の未来にそっぽを向いたということは…
かまぼこの味はちゃんと分かりましたが、気分はずっしり重くなりました。

原発、沖縄問題、安保関連、そして憲法。一極集中、TPP、アベノミクスで地方創生。
どれも成り行きをひとまかせに安穏な思いでいられる?
「今後の国の施策をしっかりと見張ってゆかねばならない」 
識者やメディアは口を揃えますが、どのようにしたら個々の想いが反映できるのでしょう?

全有権者の25%の得票で、75パーセントの与党議員が誕生し信任を得たとして国を操る
人生の90%道程をたどりついたとき過去を振り向いたら、今更のように怖ろしく胸に迫った感慨でした。

マイライフ!

2014年10月29日 | ひとりごと


月にいちど音楽を流しながらやってくるバスは市の移動図書館です。
近くのひとにとっては有難迷惑で苦情さえ出るような大音声なのに、最近はいつの間に来たのやら、聞き逃してばかり。
夢中で絵に没頭してる時ならともかく、テレビも消して待ち構えているのに、ですゥ(;へ:)

いつだったか台風が大暴れして通り過ぎたときも静かなものでした。
窓から見る公園の木々が揺れて落ち葉が舞うのを頬杖ついて眺めつつ
大騒ぎすることないじゃん。北陸はいつも静かでいいなぁ…
自分の世界に侵入してくる不届きな騒音が、すっかり遮断されるのは喜ばしいことと強がって。済みません。

こどもの頃からひとり遊びが好きで、年とってからはひとり暮らしで、もう環境は十分すぎるし。
絵を描くのも本を読むのも考えるのもひとりの世界なんだから
1週間くらいは玄関の鍵かけたまま、ウーもスーもひとことだって口から洩れることない。

週一近くのゴミ捨て場まで歩いたらば途中で一休み
老化だけは順調に進んでときどきのストレッチやヨガだけでは追っつかないのだと理解して
最近ではあきらめの境地、いえ自然のままが一番だと、ホント、そう思っていました。

亡くなった母は病身で、腸チブスの高熱に何とか耐え抜いたとき聴覚は八割くらい持っていかれて
それに比べれば日常の会話には差し支えないし、ほとんど不便は感じません!
・・・でもそんなことではイケないのかも?

或る日Pちゃんに連れて行かれたのが、カラオケ!!
誘い上手に、伴奏の音楽にも負けて、あとにも先にも二度と出せない蛮声を張り上げてはみたものの
アワレや、かすれて、途切れて、裏返って、まるで壊れた笛のよう ・゜゜・(>_<)・゜゜・
日頃の仙人暮らしがこんなところで顔を出すなんて。
おまけにかつてあれほど好きだった歌手や曲名がすっかり頭から消えっチャってたんだもの
この非日常をいちばん驚いて受け止めたのは、いとしい我がお脳だったのですね !

何だか思い出すほどに不思議な世界でした
怖いところ行ってみたさに、今度いつお誘いがあるか戦々恐々です。(@_@??

はつあき

2014年08月31日 | ひとりごと


幼馴染のT1ちゃんから1年ぶりの電話です。
T1ちゃんは病身で年中入退院を繰り返しているので、声をかけても留守のことが多くご無沙汰になるのですが
彼女の電話はその第一声で体調の善し悪しがはっきり分かり、まあ珍しく明るい声が響いてきました。

この年になってもお互い気を許して心の底を打ち明けられる友達ってほんとにいいものです。
定番身の回りの状況報告やら健康上の愚痴やら、ワンコース話が弾んだあとでお決まりの“一度会いたいねぇ”
というところに落ち着いたところで。

うん、もちっと涼しくなったらね!
意外なことに彼女の反応はまんざらでもないようです。さっそくもうひとりの友達T2ちゃんへ
これも1年ぶりの電話連絡であっという間に再会の約束が成立です。
嬉しい!目標ができて!と彼女は大喜び。急に明日の日が明るくなったと。
私も同様秋口の冷たい空が晴れ渡ったかに見えてきました。 
ちょっとした操作をふと試みただけでこんなに気分一新できるなんてね。



同じ日の午後、思いもかけぬO先生の訃報が届きました。
最近親しい身内が引き続いて亡くなり、二度あることは三度というからお次は自分かも、と
口先だけで身構えていたのに、もろくもポーズは崩れて、もうときが経つほど無常感が募ります。

明日のことは、分からない
当時を偲ぶまでもなく、さまざまな忘れられない出来事が胸を締め上げてきます
私の現在までにどれほど強く影響を与えてくれたか、あの方、この方。 みんな、無に戻る…
心の持ちようだとは思うものの、机の前に座ったまま突然泣いたり笑ったりの、

次にまたふと何かが起きて思いが変わる(かも知れない)まで、
なんとも慌ただしく上下左右心乱れる一日でありました。

魔もの

2014年08月01日 | ひとりごと


電話台の横に見慣れぬ紙袋が置いてありました。
掃除のたび電話のたび通りかかるたび、この異物がちらちら目につきます。
気にはなりながら手にとることもせず、いつの間にかのんびり三ヶ月くらいは経った或る日
どうした風の吹きまわしやらふと気が向いて中を覗いてみたものです。
出てきたのは万札まとめた束がひと山も!

いやだ、こんなの。
中庭の掃除をするとき、ゴミ捨てのとき、ポストへ投函にゆくときなど、カギをかけないで出るじゃないですか
近所の奥さんと出会おうものならそれこそ際限なしの立ち話、その間ときには玄関開けっぴろげの中丸見え
万が一空き巣狙いや泥棒さんにガンつけられたらどうするの。

すぐさま独断で銀行に引き取ってもらいました。
そしたらまァ三日もたたないうち、息子がそこらへんひっくり返して探しています。
知らん顔していたら「ねぇこれくらいの紙袋見なかったぁ?」ですって。両手で四角を作って。
ほっといたんじゃなくてちゃんと電話台の横にあるのを毎日確かめていたんだから、ですって。
大事な軍資金だったら、神棚にでもあげるとか厳重に保管しろってぇの。
10年くらい昔の話です。以後二度とお目にかかりはしませんけど。


さてそれよりもっと以前から、ケタ違いの札束を密かにたんす預金に励んでいたのがAさんでした。
末の娘と親子三人で仲良く店を切り盛りして、ひともうらやむような生活だったのですが年には勝てず
夫婦そろって病気、入院、生きがいだった店は娘に譲って今はただ
こっそり大金の袋を肌身に抱いて療養の身を慰めるばかりとなりました。
そこへ長年苦楽を共にした祖父ちゃんの死が重なって。

だれにも予想できない変事が起きました!
予告もなしにAさんが、他家へ嫁いだ娘たちに守られて住み慣れた我が家からいなくなってしまったのです。
同時に現金のほかお祖父ちゃん名義の一切合財が消えていました。

病気のなせる業か、それとも金の魔力が人を変えるのか
あまりに突然だったので残されたものは事態を受け止めることができません 
それまで平和だった親子、姉妹、周りの幾つもの家庭に微妙な波風が立ち始めましたが、それは序の口。 
これからストーリーはどのように展開推移してゆくのでしょう?

その一割にも満たない札束でオタオタしたものもいて、なんとこの世はさまざま&不可思議な
生涯おサツに縁のないものは、小説でも読むような思いで奇異な現実を眺め見守るばかりです。


紫の君(#^.^#)

2014年07月10日 | ひとりごと

太郎と次郎の母方のお祖父ちゃんが急逝されて親戚が集まりました。
冠婚葬祭の場以外だんだんと珍しくなりつつある光景があちこちで繰り広げられます。

この場を借りて普段の疎遠を詫びながら、旧交を温めているみたいないくつもの群れはかなり賑やかで
血筋を引く三世四世の新顔がじっとしないで飛び跳ねている様には、世代交代の新たな息吹を感じます。
きっと沈みがちな雰囲気を引き立てるための自然な道具立てとなっているのでしょう。

こども好きの次郎は数人の子供たちにかこまれて、お互いいい遊び相手となっていました。
なかでも小3の女の子は気性が合うのか次郎にまとわりついています。
「タローはちょっと話し難いけど、ジローは可愛くて好き」
「タローはね、今はすっごいオトナたちとオベンキョーの時間なんだよ」
ノッポの次郎がお人形をおもちゃにしているようで、なんだか目が離せず、という感じでしたが
話の内容はなかなか、いっぱし宇宙人の会話が成り立ってるようです。

そのうち、チラチラこちらを見ていた小3が近づいて話しかけてきました。
「オバちゃんの髪の色、何んていう色?」
そらおいでなすった!

「これね、ダークブラウンていうの。濃い茶色。 薄い茶色だとライトブラウンね、分かる?」
とたんに彼女は断言しました。「違うよ。紫色よ」 分かる?と真面目な顔で見つめてきます。
「ここんとこがきれいな紫で、こっちはこげ茶で、うーんこっちは黒。ここは白かな」 もう結構。

そう言えば以前にも何人かに、この紫、何を使っているの?と尋ねられましたっけ。
面倒でトリートメントを手抜きしたら、色あせた髪がピンク色で素敵だって言われたり??
へ~~え? 

身なりを整えるのは亡くなった人に対する礼儀だといわれていますが、
つい怠けてお粗末なまだら髪のままだったのを後悔しても後の祭り。
そしてホントはちょっとつまらない
光線の具合で変化するというその色を、自分も一度は見てみたいものですよぅ。


おじいちゃま、ごめんなさい。
取りあえず、今は周りに歩調を合わせます。

我が庭

2014年05月09日 | ひとりごと


いまも読む好きな詩に北原白秋の「墓地」があります。
墓地? と、言っても常時思い浮かぶのじゃなくて
それは連休後半ひょっこり二度目の帰省をした太郎とみんなでお墓参りにいったのがきっかけでした。
水をかけ、お酒とお花を供えて、さて墓前にぬかづいたところで取り出したのがおや?録音した御経!

え、えっ?
それでも無いよりは増し?  
正信偈だか領解文だか知りませんが、いつもお経をあげてくれる次郎は不在だったので
心中こっそり感謝やらお願いを念ずるつもりでしたが…

息子が教育の一環として小学生の子供たちと親子三人毎朝朗誦した般若心経
今では末ッ子次郎が成人して時たま端折るようになったのも自然現象に近いのだと思います
もともと厚い信仰心から発したものではないのだし
殊に私などはその善し悪しを判断する資格などちっとも無いのでありました…(+_+)


   ≪墓地はそよ風しめじめと、また透き明る日のこぼれ≫

ふっと詩の一節が浮かびました。
柔らかな大気の中、風もない静かな日でした。。
時季外れなので、遠くに花を持った一群れの人影を見るのみです。

 
   ≪墓地は嗟嘆(なげき)の愛の園、 また、思い出の樫の森≫
   ≪墓地は現(うつつ)の露の原、 また、幽世(かくりよ)の苔の上≫ そして
   ≪墓地は香華の色の海≫ ではなかったけど、≪また、現(すがた)なき声の網≫は
確かに張り巡らされているのを感じました。
詩人北原白秋が長い詩的遍歴のあと、美しい日本語の言葉に回帰した晩年の作品です。

 
録音のお経が終わると、なき人の声を聞いたようにみんな明るい表情で帰路に着いたのでした。
詩抄「海豹と雲」や「水墨集」に見る日本語の語彙の美しさ床しさが心に迫るのは
白秋の没年をはるかに超えて当然なのかもしれません。


   ≪墓地は息づく靄の胎、 また、たましひの巣のしじま≫
   ≪墓地はよき庭、わが門べ(かどべ)、わが賓客(まろうど)のよき小路≫   (「海豹と雲」より) 

別れ

2014年04月04日 | ひとりごと


何かが起きるときってこのようになるのでしょうか。
私よりわずかに年上の親類が二人、続けさまに入院したかと思ったら、気の休まる間もなく次に来たのが兄の死でした。

父の死後、母と兄姉妹肩を寄せ合って暮らした日々、はるか昔の4人家族も今は私ひとり
悲嘆に暮れるではなく、しめやかに喪に服するではなく、ひたすら懐かしくときに虚ろな心を持て余す心境
年令の順で行けば最後に残るのは末っ子の私、と常々覚悟はしていたけれど、やはりさびしい。

多忙な年度末税理士の仕事をすべて片付けたあと、机の前からするすると屑折れて、
そのまま意識は戻ることなく、普段と少しも変わらない安らかな顔でした。
つやつやしてしわもなく今にもむっくり起き上がりそう
兄の顔ってこんなに若々しかったんだ!
気分だけはいつまでも若者みたいな人だったけど。
正面からつくづく眺めたのはその時始めてだと思います。
「役者のように美しく、舞台の幕が下りたんだ」誰かの声が聞こえました。

昔兵学校を志願し学校を挙げての期待にも拘らず視力の弱さで落ちました。
あのとき以外何かで落ち込んでいる様子は見た記憶がありません。
言葉にはしなくとも、その存在だけで本当に力づけてもらっていたような気がします。
会う度必ず小遣いをくれたたった一人のひとだったから、
ではなくとも、いつまでも元気でいてほしかった…

何十年か前遭遇した姉の死、母とそして彼の死。
当時の状態に比べてこの程度のダメージで済むことに我ながら驚いています。
ときおりは津波のように襲ってくる感情も意外に静かに処理できるのは
ひとあし先に天国に行った大切な人たちとの距離をあまり感じていないせいなのでしょう。

花束

2014年03月05日 | ひとりごと


Mさんに頂いた花束のこんもりと丸いひとむれは
胸に抱くのに手頃で抱けばちょっと手放せないいい気分です
しっかり抱え込んで赤ちゃんを覗きこむようにじっと眺めたら見飽きません。

赤は緋に近いけどもう少し柔らかい和み色
黄はオレンジが混じってともに元気色
白と寒色系を省いてスィートピーのピンクがいっそう暖かい
グリーンのまだらもシャープでなく
華々しさを控えてちょっとはにかんでいる様子が初々しい

上を向いていっせいに開いた花の中心から
太郎の試合の応援団やチアリーダーたちのざわめきが聞こえてきました
交互に色彩が踊って身振りも声も気持ち良く揃っていたなぁ
大人の世界へ恐れず一歩踏み出してゆく花々。

無口なのに絶え間なく語りかけてくるものがいます
ちょっと臆病に でも華やかに
愛嬌と気品と 大胆と繊細を豊かにいっぱい詰め込んで。



一人暮らしを気遣ってときどき覗いて下さる優しいMさんにこっそりと~
花の色に染まりそうで嬉しい八十歳がいます。(◡‿◡*)



春愁?

2014年02月16日 | ひとりごと
 
連日の雪も止んでちょっぴり春めいた感がするのは、
気持ち明るくなった日差しのせいか
それとも時折耳にする雛だよりのせいでもあるかしら?

それでも世の中いっせいに2パーセントのインフレをめざすそうで
ジワリジワリと物価は上がってくるし、片やか細い年金は減らされちゃったし
仙人まがいののんびり気分は今や風前のともしびみたい。 w(☆o◎)w

とか何とかのたまいながら、今年、雪も案ずるほどでなくて
健康不安は凪状態で、一番の悩みの種雪掻きから解放された気楽さは
世の人々に対して少々後ろめたいほど。

厳しい寒さに身動きもしたくない日、頭のトレーニングを兼ねて脳内整理してみました。
脳の端っこに新しい分野「ケチる」テリトリーをはめこんでみたら?
そこへ順次思いついたもの詰め込んでいく手があるでしょ
買い物するたびついてくる細々したポイントもあるはず、
ほっとかないでこれをめいっぱい利用する、当たり前のこと忘れてた
もうみみっちいなんて言ってらんない ((^┰^))ゞ



ありましたよこんなのが
D社のポイント少々で。 オリーブ油は嬉しいな

すでにカードのポイント利用でゲットした電気器具やキッチン用品などかなり高価のものもあるのに
それよりう~んと儲けた気分です
ホントはうまく使いきったときに、はじめて完全利用と言えるんだけど。(☆∀☆)

真夏の夜の夢

2013年07月31日 | ひとりごと


祭りの喧騒から夜の海辺にひとり逃れてくると、渚に寄せる波音が安らかに全身を包みこんでくれるようでした。
遠くで盆踊りの歌と踊りを楽しむ人びとのざわめきが、風に乗って流れてきます。
夜ごと空襲警報のサイレンと、灯火管制の暗闇におびえて暮らしたことが夢のようでした。


「お嬢ちゃん、ひとり?」
後ろから声がしました。
振り向けば、着物姿で書生風のがっしりと大柄な青年が。

白地に紺絣、三尺の帯、うちわ片手になんだか小説の主人公のよう
多分、帰省中の学生だったのではないでしょうか
反応に戸惑う私の横ですとんと腰をおろし
手にしたうちわでときどき風を送りこみながら、自分も黙って夜空を見上げています。


(変わったひと…)
どちらも同じ思いなのか、黙って並んだまま長いこと星を眺めていました。
いくら本を読んだところで、中学生の私に人をみる目なんてありません
純粋に自然な行為の中にいる感覚でした。

「お嬢ちゃん、ひとり?」 
「お星さまをみるのが好きなのね」
語りかけられた言葉もたった二度きり。


いつの間にか踊りの歌声も途絶え、静かな夜に波音だけが淡くリズムを立てています。
思わぬ時の経過に気付いて立ち上がると
送って行くよといった風に続いて立ちあがり、少し離れて歩き始めたのも自然な成り行きに思えました。

M町のわびしげな灯りが続く通りから、暗い横道に入った先に自宅があります。
「さようなら」
通りの角へ来たとき始めて口が開き、そのまま振り返らずに家まで駆けました。
そのとき青年がどんな表情をし、アルトの声が何んと答えたのか、
私は知りません。


次の年もまた次の夏も、惹かれるように一人で浜辺に行きました。
でも顔さえ覚えていないあの青年は、それきり二度と現れることはなく
寂しさばかりが溢れて来るのを噛みしめながら
思春期の哀しみらしきものを初めてそれと気づいたのでした。


激動の時代、天地鳴動して価値観は逆転しても、まだ人を信じる心は残っていたのでしょう。
あの浜辺は、年ごと浸食されて堤防が立ちほとんど昔の姿は残っていないと聞きました。

(会えなくて、よかった…)

幼い思い出は今もときどき心の片隅から微苦笑とともに顔を出すのです
埋もれた宝石みたいにキラ、と小さく光りながら。