自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

お豆腐考

2011年08月18日 | ひとりごと


 冷奴のおいしい季節です。
 スーパーの棚にズラリ並んでいるお豆腐の数々、四角にまるに楕円形、大小さまざま数えてみたけど大概途中で分からなくなってあきらめるのがオチです。 
 そしてそのたび胸をよぎるのが、子どもの頃の楽しい夏休みの思い出を、一点曇らせてしまう切ない思い出。

 登校時間の心配もなく、ゆっくりのんびり朝寝を楽しみたいのに、いつも夢路を破るのは母の優しげな声でした。
 「○○ちゃん、さぁ起きて。
 早くゆかないと今日もオトーフ買えないから」

 寝ぼけまなこに小さな鍋とお金をしっかり握って、近くのお豆腐屋さんへ駆けつけましたら、
 お店は厚くカーテンを下ろしたまま、そしててんでに容れ物を抱えて10人あまりの行列ができています。

 しばらくすると、カーテンが開き戸がガラガラあけられて、
 「さ、はいったはいった」と無愛想なおばはんが誘導するのですが、2~3人前のあたりまでくると無常にも「今日はこれまで」と遠慮会釈なしに客を押し出してしまうのです。

 食料は厳重に規制されて何もかもが配給の時代でした。
 主食のごはんの中は大豆だらけでお米がちょっぴり顔をのぞかせ、かといってお豆腐は大豆がないから毎日わずかの製品を作って売るだけ。
 おまけに絶対量が少なくて一日保てるかどうか? いいえ絶対に足りてはいません!
 中にはお願いなんとか分けてくださいと粘って頭を下げているいるおかァさんの姿も一度ならず見かけましたが、
 お米屋さんもお豆腐屋さんも偉い大将で、客は兵卒扱いです。
 しっ、しっ。口には出さないまでも手で追い払われてすごすご帰ると、次の日はより早く起こされて、またもや同じことの繰り返し。
 帰ってからもまだ眠りこけている四つ違いの兄きを見ては、何で妹の私ばかりがお使いなの、って幼な心に大きな不満が生まれました。
 一足早い男女同権意識の目覚めです。


 そもそもお豆腐とは… なんて大げさ
 あの、ただただ私の頭の中を占めるのはこんな切ない思い出がすべてなのでございます。(*´◇`*)★☆★☆ 



 今夜も冷たく冷えたお豆腐に、刻んだねぎやシソの葉や茗荷などのせて、ショウガと花かつおをまぶして~   
 あぁ 申し訳ないほど豊かな時代ですね
 豆腐屋のおばさんも米屋のおじさんも、今生きていたらきっと笑顔で楽しく商売に励み、他人からも好かれていたでしょうに
 環境が人を変え、そして誰もそれを意識しなくなる、そんな時代を経て平和の尊さを知ったのは、私の大きな財産だったと思いました。

神様のご褒美

2011年08月16日 | 絵と文

 今も全国に幅広い人気を誇るボーカリスト小田和正さんのある夜のライブ
 観客と舞台と一心同体に溶けあった光景を、熱烈なファンのひとりEちゃんが伝えてくれました。

    「一曲だけは歌のあいだの写真撮影OKです!」
    歌手が突然ステージの上で叫んだ時は大きなどよめきが湧きました。
    凄い数のデジカメや携帯電話のフラッシュが、満天の星みたいにキラキラ光ってそれは綺麗だったの。

    今までだったらあり得ないこと。
    「きっとそのあとも、撮り続ける人はいるだろうけど今夜はいいや
    と内心考えていたのに、皆が約束の一曲が終わると一斉にかがんで携帯をしまったのが見えて、
    逆に感動して胸がイッパイになりました」・・・って言ったのよ(^・^)

    東北大学出身で、震災直後は一時コンサートの中止を発表し、葛藤の末、
    「歌うことがいつか役にたつ時がくるかもしれない、笑顔で会える日がくるまで一緒にがんばりましょう
    僕は長生きして日本が復興していく姿をみたい」と三年ぶりのツアーを決行したの。

    写真撮影も、いつもより多いファンサービスのひとつ、
    色んな話を織りこみながら64歳とは思えない声で三時間半も歌いつづけ
    頑張って生きてたら神様はこんな至福の時間をくださるのだなぁ~と感無量でした。



 夜の闇をカメラの無数の星が煌めいて
 はじけそうな心をいやがうえにもときめかせただろうEちゃんの想いが、視覚的にもときと場所を遠く隔てた私にまで容易に伝わりました。
 沈滞した人々の心を奮い立たせてくれるとしたら、音楽ほど手っ取り早く効果的なものは無いような気がします。

 歌は世につれ世は歌につれ・・・ちょっと違う(¬w¬*)?
 ポップ、クラシック、民謡、演歌、ジャンルは異なっても、メロディがあって歌があれば、何か、楽しい
 どんな音楽嫌いのへそ曲がりでも、一生のうちひとつくらいは心和む曲に出会うはず。



 夜中、どこからか変なもの音、じゃないひょっとして人の声が聞こえてきます
 耳を澄ますと、どうやらお盆休みで出かけてきた孫の次郎の部屋かららしい。
 17歳、180センチ超えてもまだ大人に間のある次男坊、
 裏表の区別がつかないほど日焼けしてスポーツに熱中しながら、最近は時たま友達とカラオケになど遠征している様子
 どう首をひねってもあまり歌曲とは結びつかなくて、
 だから流れてくるのはメロデイじゃなくて変なもの音としか形容できません(内緒)

 翌日「夜中に歌うたってた?」と確かめたら、うん。そうだよと澄ました返事です
 本人だけが自分は音痴だって気付いてないのだから、と両親がくすくす笑うのも分かりました。
 夜のしじまに流れてくるしのびやかな歌声は、もう少し神秘的か、もう少しロマンチックであってほしいよ~
 しかし彼も勉強やら遊びやらの合間にきっと、自己陶酔できる大好きな一曲を見つけたのでしょう!!

 和やかな時間が過ぎて、みなが去り静かになった部屋で、何の歌とも知れないあの音?を思い出しているとき、
 久しぶり軽くハミングしている自分に気づきました。
 なるほど。
 二度三度、こみあげてくる笑いのうち、これだって頑張って生きて神様がくれたご褒美だろうと思えてきたのでした。

無常の風

2011年08月06日 | ひとりごと


 Mさんとはお互い肉身をがんで失った喪失感を共有したことから交流が始まりました。
 知りあって日もたたないうち、立て続けの電話や手紙の攻勢にはちょっと辟易したものの
 そのいかにもジャーナリストらしい能動性は、ゆるゆるタイプの自分にことさら目新しく映ったのも事実でした。


 勤務先の電力会社から原発に出向していたMさんの一人息子は、癌を発病し必死の看護も甲斐なく31歳の若さで他界されました。
 生れて間もない可愛い孫とその母は離籍し、幸せだった一家に老夫婦だけが残されて
 そして戦時中共に従軍した井伏鱒二の共感を得て、Mさんの著書「原発死」は発刊されました。

 “「放射能」と書いて「無常の風」とルビを振りたい” 
 井伏鱒二の序文のことばです。


 Mさんの第一印象は強烈でした。
 小柄なのに颯爽と風を切って歩道を渡ってくる白髪容貌魁異のイジョウブ?
 それに引き換えあまりに優しいその心根
 若しかしたら失意のうち婚家を去った嫁の姿を私の中に見たのかもしれません
 それとも記者時代、インタビューは一国の首相から外国使臣、橋の下の靴磨きのおばさんにまで、
 というだけあって対応も千変万化切り替えできたのでしょうか。


 原発死ではないものの、最愛の姉と引き剥がされた思いがとれなかった私は、
 Mさんとお互い強い共感を分かち合いましたが、振り返ってみれば、いやされることばかり多かったような気がして
 当時放射能の真の恐ろしさを知っていたなら、もっと深くMさんの悲しみと怒りを理解できただろうと悔やまれます。


 今も果てしれぬ放射能汚染による被害は増えつづけて、今日ヒロシマの原爆記念日を迎えました。
 そしてMさんの「原発死」は復刊され、増版を重ねていると聞きました。


 お盆が近づき久しぶりMさんの墓前に花を供えたいと思いました。