自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

炎天

2011年07月13日 | 絵と文
 

 暑い!
 たまらずエアコンの温度を1℃だけそっと下げさせてもらいます。
 熱気に囲まれて28℃の設定では、置きものにでもならない限りにじみ出る汗でノーリツ悪いです。
 10坪に満たない日中の居室は言わば私の天下、たれかのご指示通りにゆきたいところだけれど少々無理みたい。


 扇風機さえ無い時代がありました。
 まるまるいちにちを炎天の砂浜と海水に浸り、夜は夜でナイトショウ三本立ての立見席、
 終バスの時間はとっくに終わって、てくてく自宅へ歩いて帰る30分も楽しくて満足のうちに過ごす休日でした
 洋画でみた流線型のマイカーも、食卓に盛られたコンポートの果物も、あれはバーチャルな空間
 それが身の回りで実現するなんて、ないないづくしで育った若者は空想さえできなかったのでした。


 敗戦国日本に扇風機ができ、洗濯機冷蔵庫が作られ、レンジやら炊飯器やらジューサーミキサーパン焼き器
 あちこちで、チンと鳴って、お風呂が沸きましたと宇宙人のような声が聞こえ、
 高度成長とか何とか浮かれてとうとうバンドラの箱まで開けちゃった・・・のですねぇ


 福島の悲劇がいつ収束するかも分からないときに、大事なことそっちのけで。ちょっぴり電気の節約ですか
 原発是か非か? 
 論じること自体そもそもおかしい
 決まってるでしょ。原子力発電などきれいさっぱりお止めなさい。


 と、いうわけに今更ゆかない人間さまの愚かさに、涙しつつ、
 やっぱり快適な部屋に戻して、快適に仕事がはかどるのを勝手にも好もしくありがたく思ったのでございます。
 東北の地で今も汗していらっしゃる人たちに、戦後の日本人の心を重ねて想いながら。

蚊帳の中

2011年07月02日 | 絵と文
 

 省エネのため今年扇風機を寝室に置きました。
 これならちょっと現代風に見えるかもとタワー型の黒い扇風機を買ったのですが、吹いてくる風は生暖かい昭和の風です。
 眠苦しい夏の夜、単調な微風の音に、さっき見たテレビからいつか想いを遡っていました。


 今扇風機さえ飛び越えて、蚊帳が見直されているんですって。
 ある保育所でお昼寝の時間大型の蚊帳をつってから、子どもたちがすぐにすやすや眠りこんでしまったそうです。
 ヘーぇ、蚊帳・・・
 確かに、あの水色のグラデーションで織られた麻布は見るからに涼しげで、
 中に横たわって見上げれば外界はおぼろに霞み、あらゆる敵から守ってくれる砦になって見えたものでした。
 一日の緊張から解放されて安らかに眠れる最高の憩いの場所なのでした。
 保母さんの言葉を借りると、お母さんの胎内にいるような安らぎを、こどもは感じるのでしょう、と。



 蚊帳・・・・、ホタル、うちわ・・・浴衣・・・スイカ ・・・
 昭和前半を回想すると苦しくなる方が多いのですが、反面楽しいこともまた沢山隠れているようでした。
 子どもの頃の平和な思い出ほど、心をうるおしてくれるものはありません。
 蚊帳の中で聞いた空襲警報、光りも音も漏らさぬようひっそりと息さえ殺した夜毎の灯火管制、
 国難といわれる今を100としたら、あの頃はどれくらいの数字がふさわしいのか、そんなことは考えたくありません。


 ベッドにも案外蚊帳は似合いそう
 でも、扇風機さえなかったあの頃のように、戸を開け放して夜風で冷せる時代ではないし
 蚊帳に放したホタルも今は宝石のように貴重に見えるし、やっぱり蚊帳はおもいでのなかにこそ。
 30年くらいも昔、段ボールの箱にしまいこまれたまま、そっくりゴミ捨て場へ直行したのは宿命とはいえ
 化学が幅を利かす現代、魔法のように息を吹き返したのですからその生命力はあっぱれです。
 そしていうなれば母の胎内にいたときの安らぎとは、
 きっとこのようなものだろうとの自覚もないままいつか眠りについていたのでした。