自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

おとずれ

2011年04月26日 | 絵と文

 後期高齢の兄は数年に一度、故郷の空気を吸いに車を運転してはるばる出かけてくる。
 ひとりが欠けてこの世に残った二人きりの兄妹だから、顔を見るまでは懐かしくて待ち兼ねるのに、
 いざ滞在が始まると数十年のへだたりがあちこちで顔を表し、内心ひそかに嘆いたり呆れたり感心したり。
 それは向こうも同じと見えて、同性でないというのは都合が悪いねとやんわりぼやく。

 しばらく厄介になるよ、と最初言ったはずなのに、翌日外出から戻るなり「明日帰る」というから驚いた。
 来るたび会うのを楽しみにしていた親友が二人もなくなっていたらしい。
 それなら気持ちを切り替えて、楽しみの買い物でもしようと駅前まで行ったら、生憎の工事中で駐車場が分からずうろうろした挙句
 疲れて帰っての発言だから、幾分かは割り引くとしても。

 富山は変わったよ、と腹だたしそう
 それにしても来て二日目に帰るなんて、それはないでしょう。
 お得意さんに自慢してきた富山名産のお土産は買わないの? 姪っ子たちの家族だって集まるし。
 いままでお好きなところへ一人でどうぞと外出はおまかせで、その間少しでも絵を描くなど欲張ったけど、これからはとことん付き合うしかない。
 覚悟を決めてあしたからいっしょに出掛けましょ、○○とか、○○もいいな、と、いろいろ口にしてみたら子供みたいに喜んでいる。
 やっとご機嫌が直ってきたみたい。

 三度の食事ごしらえは材料選びが難しい
 好き嫌いなんて無いよなんでも食べるから、といったくせに、いつもきまって他のものには目もくれず魚だけを真っ先に平らげる。
 あとはお腹の空き次第。
 朝から刺身でも焼き魚でも平気。
 食事の時間は私の二倍で、食べる量は私の半分
 だから冷蔵庫の中はきのこと豆腐と海藻類と野菜と肉と残りものばかりいっぱいで、そのころから私の胃のあたり少々不調が始まる。
 成人病のあるだけ抱え込みながら、一日動きまわって翌日けろりとしているのだから、一番幸せな生き方なんだろうと思う。
 立山のふもとで山菜を食べ、氷見でとれたての魚を食べ、もってきたお土産の袋をそれぞれに渡し、もって帰るお土産をしこたま用意して、
 時間をかけて姉の墓参を済ましてから、みんなに送られ帰路に就いた兄は大満足の様子だった。

 未だにおこずかいをくれるたった一人のひと。
 女ばかりの家庭だったから立ち居振る舞い話し方すべてに優しいが、中身はかなりワンマンで
 周囲の引きとめも聞かず、スキーツアーに参加するような無茶をする。
 盛んだったころの懐旧談など一切語らず、いつも一、二年先だけを見て今を楽しんでいる。

 単純に怒ったり喜んだり子どもに返るように変わってゆく兄が急にいとおしくなった。
 元気でさえいてくれたら。
 別れたあとで涙がこぼれたのも初めてのこと。
 自宅からの電話の元気な声が心底うれしそうで私も嬉しく、いろいろプラン考えておくからね、と次回を約束はしたのだけど。

2011年04月08日 | 写真と文


花だよりが届き始めました。


これほど残酷な爪痕を残しても、素知らぬ顔で今年も巡ってきた自然の中では、
やはり生かされている自分ということを強く感じずには居られません。


近頃は朝の目覚めに先ず被災された多くの方々の無事と一日も早い平和な日の訪れを祈ります。
過酷な環境の中復興に向けて働く自衛隊、警察消防、ボランティア、地域の人たち、そして原発関係の方々
惹いては波及してくる周囲の日本人、世界中のすべての人たちのことも(ついでながら)祈ります。







 (NYタイムス地震報道から)







 さまざまな人々に希望をつなげるサイト [kizuna311] 
        http://kizuna311.com/


「いま、この国にある最高の財産は「絆」である」
被災者の方々にとって小さな光ともなり得るように、新たな「絆」を届けられたら
エンターテインメントに携わる人たちが、朗読や手紙,絵画による多くのメッセージがYouTubeを通じて配信されています
 [呼びかけ人 渡辺 謙(俳優)小山薫堂(脚本家・放送作家)]
         http://kizuna311.com/

隠れ家

2011年04月04日 | 絵と文


思い浮かべるたび、くすぐるような楽しさと優しさに包まれます。
言葉だけで秘密の香りが漂ってくるわたしの「隠れ家」。


戸外の子供たちの歓声も気にならず部屋にこもってひとり遊びした小さいころから、
外へ出れば近所のユリちゃんやサッちゃん、学校ではクラスのみんなとも仲良しの関係で、
不安を知らない幸せな子供時代だったと思えるのに、
今もその癖は抜けきらず、年中仙人みたいなこもりきり生活に満足しながら
今更なんで隠れ家などと懐かしく思い出すのでしょう。


手入れされない自然のままの庭が、家屋に沿ってL字型に広がっていました。
季節ごとに熟した梅やアンズや、柿やすももの実が足元いっぱい落ちていて、
時折はその中から傷のないきれいなものを拾って食べたり、
落葉の中に埋もれた「宝探し」をして遊ぶのも楽しい時間でした。
そしてあるとき見つけたのです。
Lの字の先端に小さな祠があり、さらにその奥にひっそり見捨てられたような一隅があるのを。


正直言っていいとこ見つけたと喜ぶほどの気持ちはありませんでした。
薄暗くて湿っぽくてむしろ薄気味悪くさえあったのに、
透けて見えた青い空に木々の葉が重なって揺れて、幾重にもベールをかけた光がきらめいて
初めてプリズムを覗いたときのように惹きつけられたというのが本音です。
秘密めいて誰もが知らない場所、なぜだか気に入ってひとり胸にしまいこみました。


それから食べもの着るものないないづくしの戦中戦後混乱期があって
想像もできないほど旺盛な自己主張に明け暮れた○十年があって
遅まきながらの自己練磨に重く沈んだ○十年があって
今頃ふと幼いころのあの場所を懐かしく思い出すのは、どこかに逃避したかった心の弱みを持っていたのでしょうか。


おかしいことに気楽な独り暮らしのなかにいて、ある時期まつわるさまざまな想いがよみがえるとき
遠い日のおぼろげなあの場所が思い浮かび、まるで「隠れ家」に潜んだようなときめきと安らぎを感じます。
自分がだれなのか、今はどんな時代なのか、何もかもが一切消え去り、
ぼぅ~とあの青空を見上げたら・・・ 心の中の「隠れ家」にひそんで。  

昭和ひとけた

2011年04月01日 | ひとりごと
 

 セシウムとかヨウ素とかプルトニュウムとか口にするのも恐ろしい単位の数字が連日紙面を飛び交う毎日。
 先の見えない恐怖と立ち向かう多くの人たちが、今朝もまた苦しい朝を迎えられたことでしょう。
 次々湧きあがる思いはただ胸に、昨日と変わらずパネルに向かえるのを有り難く感じます。

 逆境にめげぬ日本人の優しさと勇気、知性と品位を失わぬ行動は、世界各国の特派員から賞賛されていると聞きますが
 激甚の被災地の真ん中にいる人たちはもちろんすべての日本人にとって、あるいは喜ばしく誇りとなり、励ましとも慰めともなった嬉しい言葉でした。


 発電のみなもと原子力
 使用済みの燃料棒でさえ廃棄処分となったあと3年間冷却期間が必要!!で、プルトニュウムは浴びたら最後消えるまで○○万年!!!
 海水を注入して冷却を始めたと聞いて思わずほっとした無知さ加減、次々襲いかかる難題は聞くだけで頭が変になりそうです。
 ここに至ってようやく原発の功罪の一端を聞き齧ったものの、在宅オタクの私が今更知識を深めてどうなるものでなし、
 ただ次代を担う若い人たちにまで影響を及ぼさないようにと部屋の片隅から祈るばかりです。



 先日どこかでこんな記事を読みました。
 「放射能汚染を危惧する中国で、先週、食塩に含まれるヨウ素が放射能汚染を防ぐという情報が広まり、塩の価格が急騰し少なくとも半年は塩の供給が不足するとうわさされた。
 塩の買いだめ騒動が起こる中、中国人Xさんは6.5トンもの食塩を3台のトラックで自宅まで運び、塩は自宅住居の半分以上を占める有様。
 ところがその数日後、中国政府は原発から漏れ出た放射性物質が中国国民の健康を害することはなく買いだめを控えるように呼び掛けたので価格が急落し、
 塩の流通を厳しく取り締まったため、Xさんは転売もできず他の省にも運ぶこともできず、困り果てているという」

 (体内に入ったヨウ素は8日間でほぼ半減するのでした)



 今が始まりの苦しく長い復興期です。
 放射能汚染は他国まで巻き込んでいまだ終息の気配もなし
 日本人の真価を問われるのも実はこれからなのでしょう。
 こんな非常時にただただ無力な自分は恥ずかしい限りですが、
 たったひとつ、耐乏生活だけなら少々自信があるのですけれど・・・

 ・・・何の足しにもなりませんかしら?