自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

旅立ち

2014年04月15日 | 写真と文


二週間の新人研修を終えて一時帰宅していた太郎が出発した朝は
明るく晴れ渡って柔らかな四月の陽光が降り注ぐ素敵な旅立ちの日になりました。

高校に入学する太郎を空港に見送ったのも同じ時期の7年前、
あれから、その成長ぶりは私にいやというほど時の流れを痛感させられる日々の連続となりました。
もし彼のお祖父ちゃんが生きていたら、きっと誰よりも喜んだことでしょうに。

祖父ちゃんが最終の局面で気力を振り絞って名付けた初孫は、逝ったあと追うように生まれたので
私には太郎が生まれ変わりみたいに思われ、家族みんなも仕方ないと同調してくれたようで
それをいいことにいつも遠慮なくばばバカぶりを発揮させてもらえました(*^^)v

前の夜富山のおいしいお寿司を腹いっぱい食べてから、太郎は言いましたよ
「これからは僕が奢る番だからね」って。 ニコニコして。
(当分はちょっと無理かもね)
でももう立派な社会人となったからには、そろそろキリをつけなければ~。

彼と一緒に行動するときは、虚飾を取り払った有りのまま「彼のばァちゃん」でいたい
いつもそんな気持ちで人間くさく(実は面倒くさく)それを実行もしていたけど
やがてはごく自然に、余分な感情など払い落ちそしてついには忘れ去ってしまうときが・・・( ▽ )o〇O
・・・ちょっと自虐的?

初めての赴任先は東京のド真ん中
「そのうち遊びに来たら僕が案内できるようになるよ」
といっても、まだまだ中身は田舎のぽっと出の可愛いところが残っているから
それなどなくしないように…

ひとり残ってから本当に沢山の祈念をいたしました
これが最後のばばバカになるでしょうか?

                  

別れ

2014年04月04日 | ひとりごと


何かが起きるときってこのようになるのでしょうか。
私よりわずかに年上の親類が二人、続けさまに入院したかと思ったら、気の休まる間もなく次に来たのが兄の死でした。

父の死後、母と兄姉妹肩を寄せ合って暮らした日々、はるか昔の4人家族も今は私ひとり
悲嘆に暮れるではなく、しめやかに喪に服するではなく、ひたすら懐かしくときに虚ろな心を持て余す心境
年令の順で行けば最後に残るのは末っ子の私、と常々覚悟はしていたけれど、やはりさびしい。

多忙な年度末税理士の仕事をすべて片付けたあと、机の前からするすると屑折れて、
そのまま意識は戻ることなく、普段と少しも変わらない安らかな顔でした。
つやつやしてしわもなく今にもむっくり起き上がりそう
兄の顔ってこんなに若々しかったんだ!
気分だけはいつまでも若者みたいな人だったけど。
正面からつくづく眺めたのはその時始めてだと思います。
「役者のように美しく、舞台の幕が下りたんだ」誰かの声が聞こえました。

昔兵学校を志願し学校を挙げての期待にも拘らず視力の弱さで落ちました。
あのとき以外何かで落ち込んでいる様子は見た記憶がありません。
言葉にはしなくとも、その存在だけで本当に力づけてもらっていたような気がします。
会う度必ず小遣いをくれたたった一人のひとだったから、
ではなくとも、いつまでも元気でいてほしかった…

何十年か前遭遇した姉の死、母とそして彼の死。
当時の状態に比べてこの程度のダメージで済むことに我ながら驚いています。
ときおりは津波のように襲ってくる感情も意外に静かに処理できるのは
ひとあし先に天国に行った大切な人たちとの距離をあまり感じていないせいなのでしょう。