自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

夢のように

2011年06月30日 | 絵と文


 久しぶり見た夢に思いもかけず懐かしい人が登場しました。
 過去と現在と、現実と架空が入り混じる難解な成り行きに、おぼろな映像をもどかしく絡ませながら、
 喜びと悲しみそして湧き上がる幸せを更にかみしめようと、繰り返し繰り返しゆめうつつ反芻したのでした。    
 


 ナイトのごとく物静かに現れた彼は馬ならぬオートバイに乗った勇士
 暗黙のうち見送ってくれる一群から離れて、後ろに乗り込みました
 それは現在の人たちとの別れを意味しているようでした ?
 新しい世界へ。旅立つ堂々とした彼の陰にすっぽり隠れて幸せと哀しみに襲われました ?



 他人の夢の中身など、好んで聴く人がいるとは思えません。
 誰かに話すときのためにでなく、乱世を平和に生きるために
 意味のない夢物語を、ジャンヌダルクは彼の思い出とともに刻印したかったのです。それとも…   
 A.ha.ha・・
 過去から忽然現れた彼と、果たせなかった夢をひととき実現させたかったのでしょうか。



 それは多分明け方のことだったでしょう。
 すぐに朝が来ると、もうシャボンの泡となって消えかけてゆく儚い記憶でしかないのに
 まるで不思議の国でもさまよい歩いたような体感だけは、ことさら強く心の中に棲みついたのでした。

想定外

2011年06月24日 | ひとりごと


 孫の太郎が大学での体育会系の厳しい掟の下、長い1年間を経てようやく新人戦で出場しました。
   スコアボードの詳細には  4、4、0、0、0 で1盗塁   (へぇ~、打率10割ジャン!?)
   そして翌日の決勝戦は   4、0、0、1三振1四球で1盗塁   ( えっ なんだコレ?)
 相変わらず得意の小技でかき乱して、ついでに自分も乱れ気味、みているこちらにも不安定状態が伝播します。


 親元を離れて4年あまり、おっとりのんびりの太郎も、少しは成長しただろうか
 約束したメールは30パーセントの返信率
 で、こちらも期待はずれに懲りて徐々に回数が減り、いまでは返事はいらないよと先に付け加えることにしました。
 気が向いてたまにとどくメールがまた一向に変わり映えがなく、きまって最後に貼りついているのが 
 「ba~ちゃんも元気で体に気をつけてね」
 そういえばこちらから出すものも始めと変わらない 「友達と仲良く、怪我に気をつけてね」

 変わりがないのは良いしるしかも。
 同じことを確かめあって、どれもがうまくいっている。


 見慣れぬネックレスにブレスレッド、腰にもさらさらと光る鎖を下げて、夢を追いかけ空港からひとり旅立ったのは15歳のとき
 無心にみえる何気ないそぶりにも、一抹の不安感が漂ようのを隠せませんでした。
 別れのときは、いつもあとに残る方がよりさびしいもの
 どちらも無口で、でも以心伝心こころの中では何度もお互いを確かめ、別れを惜しんでいたあのときの、
 近頃は、こびりついている幼児の頃の記憶よりも、むしろそちらのほうが強く鮮やかに思い浮かびます。


 躾は両親に任せて、無責任に可愛がれる孫という存在
 世の中すべてのジジババに与えられた特権は、
 心配さえも喜びの一つに代えて、これ以上ないくらい有効に使わせてもらっています。
 そしてね太郎。 白状すると
 パソコンで大学野球の試合結果に夢中になっている自分なんて、
 ほんとに、まったく、まるっきり、想定外だったよ・・・ 

ケ・セラ・セラ ♪

2011年06月22日 | 写真と文


 当初の勢いはどこへやら、最近の暑さに朝からぐったりして私のダンシャリは一頓挫。
 世間の風は避けるにしかず、気温の変動まで鈍くなったのらりくらりが、いきなり真夏の戸外へ放り出されたような。
 様子を見に来た息子がニヤリとして、なぁに3~4年がかりでのんびりやればいいんだよと言うのを、待ってましたとばかり納得した顔を作り... 汗


 年期の入ったのんびりマイペースが、急に猪突猛進に変われるものではなし
 3~4年。とはいうものの、取り掛かれる期間は一年のうち1、2か月
 とすれば前途は遼遠、途中自然消滅など、ないかしらん?


 それにしても、何をするにしろものをいうのはやっぱり若さです
 気持ちイコール行動、とはもうゆかないもの。
 直前のSさんの優しい進言にもひかれました。 捨てる前の再利用で新たな喜びを拾った暖かい話
 グッドタイミングなのかどうか、ないないづくしで育った世代には、共感を消すことができません
 どんなに世相が変わったとしてもです。
 衣類に限っては、決断の大ナタはちっちゃな剃刀ぐらいになり、ゴミ袋は激減という結果になってしまいました。


 いつのまにかたまった驚くばかりの不純物、でもそれをろ過するための時間は惜しんではならない
 一つ一つにそれなりの生存理由があり、取り捨て選択する行為もまた大きな意味があるのだから。
 きっとそれは後半を生きる大切な目的のひとつなのだと、何度もの挫折のあと会得したつもりになっています。

 では、自然消滅の心配はどうする?
 まぁそのときはそのとき。  人間あまりの完璧など、望んではいけません   (-人-)合掌…


 頭は都合よく柔らかに使いましょ  
 あ~ぁ これが私の人生なのだ、とは、いつまで思いつづけられることでしょう? 

六月の不思議

2011年06月11日 | 絵と文

嬉しい!一年のうち最も解放感に浸れる六月が来た!
と思ったら緊張がほどけて、ちょっとマバタキしてるうちもう三分の一消えていってしまいます。
今日は家中の小引き出し全部ひっくり返して小物整理にとりかかりました。
これだけはどうしてもと半ば強制的な義務感から、追い立てられたようだった胸の内が
いつのまにか軽やかに穏やかな気分の中で、そのうちじんわり湧きあがる何かに気付いたのです。
エンドレスな制作予定に合わせて捻り出す余暇の時間、今年目新しい楽しみが見つけられるでしょうか。


「忙しい、いそがしい」は、口にするほど行動力が伴わなくなったのをゴマ化そうとする言葉かも(◡‿◡*)
真実休みなくとりとめなく働いているのは頭だけ、気がつくとうち半分は手の方がお休みしている状態ですから。
頭でっかちの傾向が、ここのところますます顕著になってきたみたい
しかも「ナンとかの考え休むに似たり」 …先人の表現がぴったりくるということは?

読むこと描くこと考えること。
楽しく豊かに生きるための三大要素も、少しずつペースが狂ってくるのを止められません。
年月とともに体力知力変化するのは当然なのだから、これも仕方ないことと大目に見たくなるのは
今の「ひと昔」とは5年単位だからねと息子が茶々を入れるので、時間の感覚が麻痺しかけているのかもしれません。


この作品が完成したら~ そのときは。
 押し入れの戸をあけて風を入れて、どっさりはみだしたもろもろを整頓して
 タンスの衣類にも風を通して、ついでに年相応の色合いのものに入れ替えて
 引き出しにたまったわけの分からない小物は老眼鏡をかけなおして片端から選別して
 部屋の隅々まできりきりと拭きまくろう。

 友人の誘いには待ってましたとほいほい乗って
 人並み買い物やらグルメやらにいちにち歩き回って
 ゆっくり温泉で朝寝坊十二分に怠惰を楽しんで
 それから、切符を買ってあてどなく乗り物に乗って
 (そのつもりで)地球の上の風景をぽっかり無心に眺めてみたいな… σ(´ x `;*);o△■☆♪

出来るかできないかはともかく、創作とはまるきり無縁の別世界に遊ぶのが最高のリラックス
けれど、どんなところにも作品に結び付くヒントが転がっているはずとあてのない期待が含むのも本音です。
それを見つけ出せるかどうかは、今のこの頭の限界点。
だから遊びの期間といえども時間はとてもとても貴重でした。

そして、昨日
朝から始めた焦りの中の小物整理に、思いもかけない暖かなものを感じたのです。
驚きでした。大切な時間を勿体なく浪費するようで、なかなか実行できなかった家の雑事、
これは「幸せ」というのでは…
不思議です。 時間が、惜しくありません?!



人間の持つ大切な喜びのひとつを、気づかせてくれたのはきっとあの天災でしょう。
目立たぬ日常の些細な出来事のなかで、静かに深い喜びを味わった一日となったのでした。