室温をあげて一枚も二枚も余計に着込んだのにまだ背中が冷たかった。
部屋の空気が無くなるかと思うほど胸いっぱい吸いこんだ挙句、引き攣るようなくしゃみの連発となり息もつげない。
十五回くらいは数えたけど、そのあとはもう何が何だか
あたまぐらぐら
目から鼻から水滴が(汚いね)、見る間にティッシュの山ができあがる。
制作はいつも早めに取り掛かるのに、仕上げの時期にはゆとりが残っていたためしがない。
自動的にプログラムされた頭が日数をきちんと逆算して、本能の方へ忠実にこたえてしまうらしい。
余った時間は有効に使うでもなく、擬創作+真ぼんやり、で消費してしまうことも増えてきたし
次回からは「風邪で中断」という想定も追加しないといけなくなってきた。
20年昔のこと
頭痛持ちのアレルギー体質、とりわけ当時流行の先駆けだった鼻炎では、30年以上も医師の実験材料にされたし
ひどい喘息やら蕁麻疹やらで安穏に恵まれた日々はあまりなかったような気がする。
それが彼の死を境に10キロやせたあと、徐々に取り戻したのが体重と不思議に健康な体だった。
きっと彼が行きがけに邪魔なお荷物を持ち去って、ひとりの生活の後押しをしてくれたのだ。
まるまる三日間も床につくなんて何年振りだろう?
そういえば近頃彼のことをきれいさっぱり忘れている日が多くなったっけ…
戸外は純白の雪片が斜めに縦横に舞い狂う。
門の前は除雪車の運んできたそこらの雪が見上げるばかりの山になって、向かいの公民館の屋根がうっすら見えるだけ。
これでは車だって通れない
病院は敬遠してよろしいということね
ではじっと家に籠って、決してひと様には移しませんから。
くしゃみが止まったと思ったら、次の日は猛烈な咳になった
ところ構わずあたりの空気を震わして、近所中に響き渡っているだろうとそのたび身がすくむ
いやいやこれくらいは存在をアピールした方が、
と腰も膝もタガが外れそうな感じの中で、 や。っ。と。こ。さ。と少しばかりの移動を試みる。
動作はまるで70か80のオバぁちゃんみたい (● ̄(エ) ̄●)
症状に比べて回復は早かった。
よかった、何とか間に合いそうと頭は逆算している。
これくらいで済んだのはやはり守りが効いているのだ、と今度も勝手な解釈をすることにした。
そしてほんのちょっと念じた。
お父さん時効だなんて言わないでよ 一生忘れないから。
初冠雪の早朝
清澄な戸外に出てみました。
みんなの憩いの場になっている向かい側の小公園は、雪の木立の奥にひっそりと隠れています。
何だかおとぎの森の入り口みたい
幾つかの遊具も置かれた子供たちの遊び場が、今朝は雪の魔法にかけられて。
森を抜けたら未知の空間が…
公園の一隅
新年の抱負は?と聞かれて首をひねった挙句、とりあえず「ダンシャリ」と答えたのだけど。
いったい、「ダンシャリ」ってどんな字を当てはめるのだろ?
最近の創作新語なのか、それとも昔からあった言葉なのかもまるきり無知ときている。
面白おかしく聞き流すだけのタレントのトークの中から、
それは「思い切りよくモノを捨てる」という意味らしい、と判断して
耳にしたとたんすとんと胸に落ちてきて、断りもなく頭の中に棲みついていたらしい。
身の回りをシンプルに。と思い立ち、実行にとりかかったことがあった。
そしてそれが単なる手先の作業ではなく、先ず頭の切り替えから必要な想像以上の難事業だと思い知らされた。
2年ほど以前のこと。
タンスの中から、押し入れの中から、底なしみたいに現れてくるもののひとつひとつに
やたら時間ばかり消費する思い出が絡まって、悲喜こもごも明け暮れいつまでたっても一向に埒があかない。
笑顔で思い切りよく捨てされるものはしっかり選んだからよいけれど、
大げさに言うなら死生観まで変えなければ始末に負えないこの重いものは… どうしよう?
…迷って過ごした2年間のあいだに、(めざましい)心身の変化を自覚することになった。
「アタマは必要ない、手当たり次第触れるものは片端からゴミ袋に投げ込んでゆく」
やってるうち不思議な爽快感に包まれる!!とか
だろうな・・・その感覚が今は何かしらうなづける…
それが進歩なのか後退なのかさっぱり分からないが、自分ではどちらも正しいと思うことに決めた。
断捨離、と書き表せば、ちょっと宗教語みたいな響きがあるのも自分にはふさわしいのかも。
「重い鎖は断ち切り古い記憶は消す、誰しも必然そうなるのです」とお坊さんならニヤリとするだろう。
「ところがなかなか、当分忙しいものでして」と無信心な不心得者は一言ぐらいは反論する恐れもあるが
そうこうするうち暇を作りだして、必然取り組むだろうことを予感してしまう。