“ 氷雨降る 町の外れの 時計店 ”
わずかな自作の中で一番心に残っている句です。(●^o^●)
今だったら窓外の冷たい冬の雨をいくらながめてもこのような句は作れません。
県境のO市に住んだ4年間は、姉の死の直後、息子は大学へ、一日の殆どの時間を
人知れず或る内心の葛藤と向き合って過ごした日々でありました。
国道に並行して細長く横に伸びたO市の旧道は、道幅も狭く昔の街道の面影そのままに
古い屋並みの商店やしもたやがひっそりと並んでいて、特に町はずれとなれば侘びしくもの哀しく
そんなたたずまいが強く印象に残るのは、きっと何かで安らぎを求めていたのでしょう。
壁面に掛けられた数々の柱時計、並べられた置時計など、またいつか世に出るときを待ち望んでいるのかも
覗きこんだわけでもないのに、仕事机の前で背をかがめて修理に打ち込んでいる主人の姿まで想像されて
瞬時通りがかっただけのその雨の日の情景は、胸の中いっぱいに膨れ上がってきます。
「町の外れ」そのあと、(の)と(に)のどちらが相応しいかちょっと迷ったような気がします
でもすぐに(の)の方が場の雰囲気と心情を表していると決めました。
(に)では客観的になると判断したらしいのでした。
誘われて一度出席したきりで句会にはその後二度と出なかったのですが
毎月の同人誌に思いがけず主宰から好意的な講評とともに登載され、
O市を離れるまでの1年はそれなりに楽しめたように思います。
この冬最強と言われる寒波が近づいています。
雪になる前の霙混じりの雨、まだ少し温かみが残る明るめの戸外を見やるうち
氷雨降る町とは遠く離れた処に佇む今の自分がみえてきて、いつか口ずさんでいたのでした。
氷雨降る 町の外れ(に) 時計店