71歳の欽ちゃんが大学生となって話題を振りまいています。
隣の座席の可愛い女の子からも声をかけられ「やぁ同級生?よろしくね」「違う、先輩よ」
そんなやり取りなど照れて報告しながら何んとも楽しそう。
どこかの先生の話では
急激に多量の情報を送りつけると驚いた脳はハレーションをおこすから
一時の情熱に駆られて猛烈な勉強を初めるのは禁物なんですって。
でも心配はいりません。いくらベースを上げようと思っても体力知力ともに自然にセーブされるので。
一人住まいの私、気がつくと1週間ぐらいウ~ともス~とも発声していません。
ずっとそのままだといつか声が出なくなるよ、と周りから脅かされつつどれくらい経ったかしら
先日Tちゃんの電話に出たら、声がひょろひょろしてかすれて裏返って、のどが痛くなってもうお手上げ
しゃべれなくても死ぬわけじゃないから大丈夫、などとのんびり構えていたつけが回ってきたようです。
自分の声でコミュニケーションをとることがいかに大切かよく分かったと
声帯を失なった歌手も言っていましたが、変な声でもまだ多少出ているかぎり
いつになってもその重要さは十分に理解出来ないらしい。 とようやく気づきました
今、今、現在だってきっと!(*_*)
詩や小説の朗読、ホントはとても自信があったのです。
いつか開く個展では朗読もしてみたい、そんな思いに取りつかれた時期がありました
ただ、それから何十年。
自分の代わりに声のきれいな人に頼んで…
などと徐々に後退し、やがてはそれも泡のように消え去った現在とはなりました。
その間何の手も打たなかったのかって?
あの、おそまきながら夜眠る前の読書、音読に切り替えてから半年くらいは経つんですけど。
最近ちょっと嬉しいこと・・・
・・・全くつかえることなく、昔のようにスムースにしかも驚くほどの早口で文章が読めるんですよ
ただ声帯の機能はエンスト起こしたままの状態で固まったまま・・・(^_-)☆