3人とも成人しており、今更子育てではないのだが、やはり親として心配の種は尽
きず、今もまだ、色々な心配をしてしまう。
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親になって32年、子供に手を挙げたことは1度だけ。誰になんで上げたかはあえて
書かないが、厳しい親ではなかったと思う。病気(長男も次男も、娘も複数回入院し
た)。受験の失敗もあった。思うように成績が伸びなかったり、倶楽部で成果が出な
かったり、クラブ活動の人間関に悩んだことも、みんなあった。恐喝被害(長男と次
男がそれぞれ1回づつ遭った)その他にもいろんな事件、事故があった。そう、大型
トラックと長男の車が衝突し、長男の中古車は吹っ飛び、ペシャンコになったことが
あったが、あの時は足の震えが止まらなかった。
小中高の頃までは、進路や人間関係の悩みにも「自分の経験をベースに」どうにか
優しい言葉で励ましてこれたと思うのだが、大学生や社会人になってからは、上手く
アドバイスができない。私は私立文系だが(おまけに3流)長男と娘は国公立理系な
ので、システムや学習内容へのアドバイスは、当然経験も知識もなく無理。アルバイ
トしまくりだった自分と比べ、実験、実習、学会などで、あまりアルバイトが出来ないこ
とも、最初は理解できなかった。
仕事にしても、勉強にしても、人間関係にしても、中高の頃と比べものにならない程
のプレッシャーや(たぶん虐めはないと思うのだが)叱られたり、大きな失敗をしたり
して大きく落ち込んでいることがある。顔色や態度から「悩み」や「落ち込んでいる」の
は察しが付くので、ママに「何があったんや」と2人きりの時に訊くと「知らんよね。気
になるんなら自分で訊きんさいや」と言われ「よう訊かんよ、ママが訊けや」と、なすり
あうことになる。
以前、仕事や人間関係の愚痴を漏らした子に「どこにでもそう言う奴はおる。理不尽
な上司、先輩はパパのどの職場にもおったで。我慢しんさい」と云う、身もふたもない
激励にもアドバイスにもなってない、しょうもないことを言ったばっかしに「家で親にし
か愚痴は言えんじゃろ。聞いてくれるだけで良かったのに」と言われたことがある。
仕事や人間関係も通り過ぎるまで(本人が1番辛いだろうが)親も辛い。それよりも心
配になるのが、病気。長男も次男も会社の健康診断で引っかかり、要再検査になったこ
とがあるが、これはネガティブな私には結構辛くて長かった。何もなかって良かったが。
そう、キャラクターの違いもあるが、ママは決してアドバイスなんてしようとせず「そう
なんじゃ」「そうじゃね」と聞くだけが出来るんよね。じゃけ、最近悩み(愚痴)は、ママ
には漏らすが、パパには言わなくなった気がする。そしてママは、パパには絶対にで
きない「おちょくり芸」を持っている。落ち込んでいた子供が、少しだけ立ち直ったと見
るや、「よっ、落ち込み男(女)」とか「しょんぼり君(さん)」と、からかい始め「ひど~い
子供が落ち込んでる時に、ようそんなことが言えるよね!」と言われながらも、なんか
それが、特効薬の様によく効く。たまに「うるさい」とおでこを叩かれ「親に手を出した」
「当たり前じゃろ」などとじゃれあってる。
そんなママでさえ「聞いてない」「知らんのよ」と云う返事の時、深い悩みなんだろうと
こっちも胸が苦しくなってしまう。「そのうち喋るじゃろ、今は、そっとして、触れないで
おこうか」と云うことになるのだが、これが、かなり辛い。
いつまで経っても、親は卒業出来んのでしょうね。心も体も健康で健やかに暮らしていき
たいのだ。
アミューズさん撮影のフィリップ