復興かわら版20号ー1
今月号から裏面で「旭いいおかのまちづくりを目指してー1」を掲載した。3月にトヨタ財団の助成によるまちづくりコンペが終了し、次のステージへ移行するためである。
今月号は事情が重なり発行が2週間ほど遅れた。また、似顔絵、カットなど初版から描いて頂いた加瀬さんから次号は新しい人に代わる予定である。
今月号から裏面で「旭いいおかのまちづくりを目指してー1」を掲載した。3月にトヨタ財団の助成によるまちづくりコンペが終了し、次のステージへ移行するためである。
今月号は事情が重なり発行が2週間ほど遅れた。また、似顔絵、カットなど初版から描いて頂いた加瀬さんから次号は新しい人に代わる予定である。
今月号のトップには飯岡中の梶山校長先生にお願いした。震災後に赴任したが減災には先頭に立って取り組んでいる。
もともと地元出身で飯岡中への思いは人一倍で先人の歩みを子供たちに機会を見ては伝えていると聞く。
今回のまちづくりコンペでは将来を担う子供たちの意見を聞きたいと参加の要請を申し出たところ協力を頂いた。
復興かわら版は来年の4月で一区切り付ける事になった。その主な理由は「復興住宅」の建設に伴い仮設住宅がなくなることである。言い換えれば津波の被害者が通常の生活者に形を変えることで外見上は津波の被害者は存在しなくなる。
復興とは時間の尺度では当たり前の生活に復帰することである。そのことは震災の記憶を削り去り日常の論理を由とする。
後世に伝える活動の有り様はひとえに被災者の動向に依存する。被災者が形のうえで被災者で無くなるに従い単純な支援ー非支援という関係は全く無意味な存在になって来る。
一様ではない復興の行く末に当ってこうした動向の論理化が必須と思える。
支援-非支援が形式的になるに従い被災者は何者かに変容する。応えのない問いを日常に沈殿しながら不安を噛み砕いて泣き笑いする。
小さな漁村を一瞬のうちに呑み砕だいた300年前の元禄津波、残された浜の人に岡の人々が寄り添い、後に三川、横根、平松、下永井などの街並みを築いた。
恐らく一家・一族が助け合い、時には罵り合いながら今で言う「復興」の途に明け暮れたことが推察される。
私たちはあの元禄津波から数行の古文書と数枚の絵図を手掛かりに<現在>に立っている。
飯岡町史を天災飢饉で斜めに捲って見ると圧倒的に水争いと海難事故に尽きる。侵食や日常的な災害に比し数百年に一度という大津波は文字通りの一過性としてやり過すしかなかったのか!
今回、被災した地区の大半は江戸後期に各地から集まった人々が成した浜と呼ばれた集落であった。地の者、旅の者が錯綜し街並みの再建に明け暮れたのか!
震災から2年、このまま成り行きに従えば、身の周りの生活圏は限りなく縮小し生活のイメージも自ずと貧窮の極みに映る。
負のイメージを変転する経緯は他者との出逢いであり、課題の解決に汗水を流す共生感である。
復旧のひと時、ボランティアという無償の労力に促され、次に災害に迂闊であった我に帰り、後世に伝える作業に取り組んだ。
災害の現実と復興を目指し被災者・非被災者ともども共同性を手がかりにごく自然の歩みとして組織的な運動に到った。
一個の社会運動は如何ともし難く、時と現場の成り行きに運命を刻印される。
良く見つめると何時も現場の動向は当事者・非当事者、の在り様に運動の行く末が左右されている。
言いかえらば当事者・非当事者という関係を変態する論理が介在させない限り転換局面の打開は消耗線に入ることになる。
今回の復興は二つの流れと論理を必須としている。従来の国・県・地域という流れと地域から課題を掲げ迅速に解決する方法である。
その一つは地域での共同的な組織の在り様に対し、今回、取り入れたのが課題を協働の力で解決しようとする「円卓会議」の採用である。民間の力を活かして事態の局面を打開する方策する新しい方法といえる。
今、復興の論理としてはNPOの立ち上げを考えている。後世に伝えながら地域の振興を目指す営みは、ボランティアと地場産品の開発・販売を協働の力で組み立てることになる。