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NPO法人光と風&地魚料理海辺里

飯岡助五郎-1笹川繁蔵首洗の井戸と飯岡大漁節

2022年08月01日 | ノンジャンル
     笹川繁蔵の首洗の井戸「飯岡山不動院定慶寺縁起」
 予てより常慶寺境内に笹川繁蔵の首洗の井戸があったという話を聞いていた。墓参りの度に何処かなと探して見たが某の井戸らしきものは無かった。
 先ごろ寺に出向きことの経緯を説明し笹川繁蔵の首洗の井戸について住職から直に話を聞くことが出来た。住職は古びたチラシを探し出して話をしたのが笹川繁蔵の首洗の井戸「飯岡山不動院定慶寺縁起」であった。
 それによると昭和30年代の初め頃までは首洗の井戸があり、観光客にこのチラシを配っていた。そのうちに訪れる人も少なくなりいつの間にか井戸も埋められてしまったようだ。掘り起こせばありますと当時の場所を案内して頂いた。
       常慶寺境内「笹川繁蔵の首塚」    
      
     

  笹川繁蔵の首洗の井戸があったという道路脇の三角形のところ
      

  笹川繁蔵の首洗の井戸「飯岡山不動院定慶寺縁起  
      

この定慶寺縁起は字は小さく読みにくい。笹川繁蔵の最後のところを引用すると弘化4年7月4日夜半飯岡方の堺屋与助、三浦屋孫次郎、成田の甚蔵の3名が計画し繁蔵が女房お豊の実家へ行く途中びやく橋田浦に於いて襲撃、胴体は利根川に流し首は飯岡へ持ち帰った。
 3人は繁蔵の首を砂子寮(現在の常慶寺)の井戸にて洗い清め、助五郎が之を手厚く取扱い砂子寮の小高き場所に埋葬、乾分達には大切な客分の墓故香華を絶やさぬ様にと申し渡したのであると書かれている。


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1 コメント

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Unknown (NPO光と風 渡邉)
2019-04-23 21:33:51
3,11いいおか津波を語りつぐことは300年前の「元禄津波」を起点にすること、そして飯岡地区の将来像を考えることは幕末(天保)の時代を見直すこと、そのひとつに「飯岡助五郎」の有り様がありました。
 天保水滸伝という外縁から実像を探ることで次の世代へ引き継ぐ何者かを描くことの必要を考えた次第です。
 こうした機縁から「幕末の飯岡を考える会」へ、そして7月1日に「「天保水滸伝の遺跡を巡るバスツアーを」企画しました。研修という名目で市バスの利用ですので食事代のみです。参加はNPO光と風0479-57-3190まで
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