語り継ぐ集い記録
午後2時30分から飯岡刑部岬展望館で開催
「海へ」の会長渡邉昌子の「「海へ」東日本大震災を集う会を始めます」,引き続き,同副会長石田禮子による朗読
「3・11 あれから 郷土の詩人 高橋順子 ・・・明日にはわたしは窓を閉めるだろう/だが海という窓は 海という窓は閉められぬ/わたしがここから閉めだされたとき/はじめて/海という窓が閉まる」
黙とうに先立ち,総務省語り部(飯岡)高橋進一の挨拶
「この鯉の形をした木魚を「ぎょく」とよぶそうです。県民の森の福聚寺の軒にも大きな魚鼓がつるされています。池で手をたたくと 鯉が集まってきますが,魚鼓のお腹をたたくと『平和の世の音はやすらかで,心やわらぎ人々が集う…争乱の世の音は荒れていて,心ぐるしく人々は離れていく』そうです。地震雷火事津波,異常気象,大震災,種々の天災・・・ 新型コロナウイルス,感染症の大流行,パンデミック・・・ ウクライナで始まった戦禍・人のおごりによる人災・・・ ありとあらゆる災禍が一日でも早い終息を願い,追悼のサイレンに合わせて,点鐘したいと思っております」
サイレンとともに,文芸賞の副賞・飯岡土人形ドガミシモの制作者・モンゴルマンこと齋藤俊一が旭市の犠牲者16名を胸に魚鼓を点鐘しました。
サイレンが鳴っている間に十五回鳴り,鳴り終わってから名残りの十六回目が点鐘されました。これを司会の赤十字奉仕団の平澤つぎ子が「鐘も名残り/海へと消えて行くも/ あわれなれ。数うれば/十余り六つのとき/五つ鳴りて残る一つが鐘の響きの/聞き納め。寂滅為楽と響くなり」と表現しました。
この後,語り継ぐ飯岡津波/復興かわら版から生まれた紙芝居「マーくん がんばれ!」が津波の第1波と第2波の時刻に合わせて「紙芝居劇団ふく(竹ノ内・服部・渡邉・石田)」が2回上演しました。
中休憩で,文芸賞「海へ」白坂道子賞の受賞作品「津波はおっかねえ」を宮崎富士子が自ら飯岡の浜言葉で朗読。
結びの言葉は,NPO光と風理事長渡邉義美より「 津波の第2波が襲った時刻が迫ってきましたが,この会場は4時半で閉館。多くの被害が出した第3波の教訓を心に刻み,「集い」はお開きとします」。
市会議員3名のほか,参加者からいろいろ感想をいただきました。
「関東大震災の9月1日は防災の日,阪神淡路大震災の1月17日は防災とボランティアの日とカレンダーに書かれています。しかし3月11日には何も書かれていません。防災教育と伝承の日になれませんか」の提案もありました。
> ◎マスコミの報道
①東京新聞千葉版 3月9日
②TBSニユース(YouTubu)3月11日18時津波を伝える祈り旭市
③千葉日報県東版 3月10日旭市長「津波の記憶未来永劫に」
④朝日新聞千葉版3月12日
⑤読売新聞房総版3月11日「進む防災止まらぬ人口減」
⑥千葉日報3月17日震災語り継ぐ文芸賞終了 8000人応募、記憶次世代に 旭「海へ」5年で
⑦産経新聞千葉版「千葉県旭市 「語り継ぐ」時過ぎ難しく 震災11年」掲載
神奈川新聞が3月10日、11日、12日と連載、「世間の関心が薄れゆく中、あの日の苦難を糧に前を向く人の姿を千葉県旭市にみた」
◎神奈川新聞3月10日 津波そのとき「言葉の力これからも」
◎神奈川新聞3月11日津波そのとき「紙一重の経験次代へ」
◎神奈川新聞3月12日津波そのとき「変わらぬ味届けたい」
◎毎日新聞千葉版3月11日にぎわい復活の力に 津波被害、旭の海岸にカフェ 地元産こだわりバーガー /千葉
◎毎日新聞3月10日「旭市、追悼式実施せず 写真パネル展 飯岡刑部岬展望館」
◎毎日新聞3月12日「細くても長く語り継ぐ」
展 示
紙 芝 居
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