護憲的改憲②

2006年08月16日 | つぶやく
今日は憲法の根幹「立憲主義」です。
では、つづきを・・・

<編集部>
『ルポ 改憲潮流』(斉藤貴男、岩波新書)のなかで、筆者が読売新聞の論説委員長にインタビューしている箇所があるのですが、この論説委員は、「立憲主義なんていうのは、大学の狭いアカデミズムだけの話なんだ」ということを言っていますね

<小林>
「立憲主義? ああそんなのは…」っていうその傲慢さ。それが平気でできるというのは、やはり無知だからです。しかしいまの改憲主流派に読売新聞の影響は大きい。その準備に、かつて僕も付き合ってきたのだけれど・・・。

だけど、これは護憲派に言っておきたいけど、きちんとした憲法常識が世の中に浸透していないということは、護憲派がそれをきちんと何十年も語って来なかったということなんですよ。

<編集部>
憲法は国民が権力者である国家、つまり政治家と公務員を縛るものだという、立憲主義の原則を広く啓蒙してこなかったツケがまわっていると。

<小林>
そうです。「9条を守りさえすればこの国は平和で、9条を改正されたらこの国は危ない」なんて言って内輪で会合を開いて、影響力のないところで護憲念仏を唱えて、うっとりしていた時代が長すぎたんです。

そんなことより、小・中・高校と大学の憲法講座、一般教養の法学講座できちんとした憲法教育をすることが護憲派の役目なんですよ。立憲主義の教育を全然してこなかった。それでいま襲われて焦っているわけだからね。

立憲主義は、人間の本質に根ざした真理です。つまり、権力は必ず堕落する。なぜなら権力というのは、抽象的に存在するのではなくて、本来的に不完全な生身の人間が預かるからなんです。つまり政治家と公務員が、個人の能力を超えた国家権力なるものを預かって堕落してしまうということです。

歴史上、完全な人間は一人もいない。不完全だから、必ず堕落するんです。権力者の地位に着くと、自分に「よきにはからえ」となる。だからこそ憲法をつくって権力を管理しよう、そういう仕組みになっているんです。

<編集部>
その点で言うと、自民党の船田元代議士(自民党憲法調査会長)などが「新しい憲法観は、国家と国民が協力するという関係を前提とする」と主張するのは、根本からズレているわけですね。

<小林>
ズレてますね。僕らは有権者として選挙し、国民として納税していますから、すべて国民は、国家に協力しているんです。国家と国民が協力しろと言っているのは、国家権力を握っている人たちです。

1億円もらっても都合悪くなると忘れちゃったり、都合悪すぎると思い出したりする、でも責任は取らないというような人々が国家権力者であり、国家そのものなの! そういう人たちが我々非力な国民に対して「協力しろ」と言うのは、要するに「黙って従え」か「少なくとも批判するな」という話なんです。

僕は弁護士活動をして初めてわかったけど、国家って、本当にちょっとした事実で人を疑ったら、犯罪者に仕立てるために証拠をつくるようなこともやるんですよ。「お前、隠しているな」としか見えないならば、“引っかけて”でも絶対に有罪にしてやろうという意識がある。だから僕は、本当に権力というものは恐ろしいと思っています。


『KURENAI プロジェクト』の3安

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