今日の内容は、少子化問題にもつながる良い葉梨(?)ですよ!
*葉梨先生「憲法フォーラム」有難うございました。
メインフォーラムのPRを少し書いて残暑見舞いだしておきました。^^
では、では、・・・
<編集部>
前述した『ルポ 改憲潮流』では、小林さんも著者にインタビューされていますが、小林さんの「私も、しかし、年を取ってわかってきたんです。人間の命の重みをね」という発言が強く印象に残っています。あの言葉の意味することについて、もう少し聞かせてください。
<小林>
本当にこれは恥ずかしい話だけど。私は権力者の子でも、金持ちの子でもないし、むしろハンディキャップを負って生まれて来たから、子どもの頃はいじめられたことしかなかった。それで「勉強するしか道はない」と思ってガリ勉をやって、アメリカのハーバード大学へ留学し、帰ってきて慶応大学の教師になった。
当時は憲法学者で改憲論を唱えるのは珍しくて、しかも右翼的な大学じゃないから、けっこう若くして自民党の改憲派の勉強会に呼ばれて、参加するわけですよ。権力者サークルの中に、年の若い僕が「先生、先生」と誘われる。僕も二世、三世議員と同じような感覚になって、ズレていったと思うんです。
たとえば9条論でいえば、非武装中立で国を守ろうという人がいたら、「それで襲われて滅びたらどうするのか、それは非常にプライドのないことだ」と反論をしていた。
万が一抵抗して戦争になっても、一部の人が死ぬことによって、全体が残ればいい。1億人を生かすために、1万人が戦争で死ぬなんてことはあるだろう。「1万人もコストのうち」なんて、数字上のゲーム的な感覚があったわけですよ。これはまさに権力者の感覚だと思う。
まず自分が戦争に行くなんて思っていない。自衛隊に行かせて、自分自身は国家の中枢だから安全なところにいる。そういう感覚で私も議論していた。
ただ、売られた喧嘩は買わなかったらやられるし、占領された国の男は強制労働か反発すると殺され、女は犯される、というのが歴史の示すところだという考えに、今も変わりありませんが。
その意味で、戦争というのはさせちゃいけない。だからよく管理された民主的な軍隊を持つことによって、攻められない、攻めにくい国だというプレゼンスは必要だと思う。
ところが軍隊というものは、本来的に非民主的だということに最近気づいた。いま、それで悩んでいるのです。
それはそれとして、人の命というものを統計学的に考えていたわけです。ところがいま57歳だけど、34歳のときに初めて子供ができた。
生まれてきた赤ちゃんをウチの家内があるときギュッと抱きしめて「よくぞウチに生まれてきてくださいました」なんて挨拶しているんだよね。赤ん坊は抱きしめられて、息苦しくて顔が一瞬引きつるわけ。ところが、愛されて抱かれているんだとわかったら、子どもはヘナッという顔に変わる。
そういう姿をたまたま目撃して、ちょっと感ずるところがあった。この命も一つの命だ。1万人も誤差のうちなんて、そういう議論をしていたけれど、もっと、戦争と命の問題を深く悩みながら考えるべきではないかと。
それから戦争映画や戦記物なんかを見たり読んだりすと、ゾッとするようになった。
それを家内につぶやいたら、「よかったわ、あなたにそういう感覚ができて。あなたは優秀で尊敬していたけど、怖い人だと思っていた」と言うんだよ(笑)。まあ、手前勝手ですけどね。子どもを持って、命の尊さがわかったんですよ。
つづく・・・
立憲主義に対する無知・無教養をするどく批判される一方で、驚くほど率直に自らの過去や心の揺らぎを洩らした小林さん。
次回は、自民党の改憲草案や国民投票法案について、
そして護憲派への注文を語っていだだきます。お楽しみに。
*葉梨先生「憲法フォーラム」有難うございました。
メインフォーラムのPRを少し書いて残暑見舞いだしておきました。^^
では、では、・・・
<編集部>
前述した『ルポ 改憲潮流』では、小林さんも著者にインタビューされていますが、小林さんの「私も、しかし、年を取ってわかってきたんです。人間の命の重みをね」という発言が強く印象に残っています。あの言葉の意味することについて、もう少し聞かせてください。
<小林>
本当にこれは恥ずかしい話だけど。私は権力者の子でも、金持ちの子でもないし、むしろハンディキャップを負って生まれて来たから、子どもの頃はいじめられたことしかなかった。それで「勉強するしか道はない」と思ってガリ勉をやって、アメリカのハーバード大学へ留学し、帰ってきて慶応大学の教師になった。
当時は憲法学者で改憲論を唱えるのは珍しくて、しかも右翼的な大学じゃないから、けっこう若くして自民党の改憲派の勉強会に呼ばれて、参加するわけですよ。権力者サークルの中に、年の若い僕が「先生、先生」と誘われる。僕も二世、三世議員と同じような感覚になって、ズレていったと思うんです。
たとえば9条論でいえば、非武装中立で国を守ろうという人がいたら、「それで襲われて滅びたらどうするのか、それは非常にプライドのないことだ」と反論をしていた。
万が一抵抗して戦争になっても、一部の人が死ぬことによって、全体が残ればいい。1億人を生かすために、1万人が戦争で死ぬなんてことはあるだろう。「1万人もコストのうち」なんて、数字上のゲーム的な感覚があったわけですよ。これはまさに権力者の感覚だと思う。
まず自分が戦争に行くなんて思っていない。自衛隊に行かせて、自分自身は国家の中枢だから安全なところにいる。そういう感覚で私も議論していた。
ただ、売られた喧嘩は買わなかったらやられるし、占領された国の男は強制労働か反発すると殺され、女は犯される、というのが歴史の示すところだという考えに、今も変わりありませんが。
その意味で、戦争というのはさせちゃいけない。だからよく管理された民主的な軍隊を持つことによって、攻められない、攻めにくい国だというプレゼンスは必要だと思う。
ところが軍隊というものは、本来的に非民主的だということに最近気づいた。いま、それで悩んでいるのです。
それはそれとして、人の命というものを統計学的に考えていたわけです。ところがいま57歳だけど、34歳のときに初めて子供ができた。
生まれてきた赤ちゃんをウチの家内があるときギュッと抱きしめて「よくぞウチに生まれてきてくださいました」なんて挨拶しているんだよね。赤ん坊は抱きしめられて、息苦しくて顔が一瞬引きつるわけ。ところが、愛されて抱かれているんだとわかったら、子どもはヘナッという顔に変わる。
そういう姿をたまたま目撃して、ちょっと感ずるところがあった。この命も一つの命だ。1万人も誤差のうちなんて、そういう議論をしていたけれど、もっと、戦争と命の問題を深く悩みながら考えるべきではないかと。
それから戦争映画や戦記物なんかを見たり読んだりすと、ゾッとするようになった。
それを家内につぶやいたら、「よかったわ、あなたにそういう感覚ができて。あなたは優秀で尊敬していたけど、怖い人だと思っていた」と言うんだよ(笑)。まあ、手前勝手ですけどね。子どもを持って、命の尊さがわかったんですよ。
つづく・・・
立憲主義に対する無知・無教養をするどく批判される一方で、驚くほど率直に自らの過去や心の揺らぎを洩らした小林さん。
次回は、自民党の改憲草案や国民投票法案について、
そして護憲派への注文を語っていだだきます。お楽しみに。