今日は暑かったですね。
東京は30度以上で日差しの強い場所は真夏の雰囲気でした、、、。
「お母さん今日はめちゃくちゃ暑いよ!30度以上だよ。」
「えっ!?30度???そりゃ大変だね。」
「ほんとに夏みたいだよ。」
「スイカ食べたい、、、。」
「お母さんスイカ好きなの?」
「うん。お母さんスイカだぁ~~い好きだよ!」
退院したら大きなスイカを一緒に食べようね。と約束しました。
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
今日は暑かったですね。
東京は30度以上で日差しの強い場所は真夏の雰囲気でした、、、。
「お母さん今日はめちゃくちゃ暑いよ!30度以上だよ。」
「えっ!?30度???そりゃ大変だね。」
「ほんとに夏みたいだよ。」
「スイカ食べたい、、、。」
「お母さんスイカ好きなの?」
「うん。お母さんスイカだぁ~~い好きだよ!」
退院したら大きなスイカを一緒に食べようね。と約束しました。
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
鹿児島のお友達から贈り物が届きました。
その人はお友達や仲間の中で母の一番大好きだった人。
その人も母の事を大好きだった人。
元気な時は二人で温泉に泊りの旅行へ行っていました。
今はその人も母も「すこしボケボケ」のおばあちゃんです。
もう二人で旅行に行くことは、、、、無いでしょう。
今回の贈り物もそのお友達の娘さんがお気遣いしてくれたんだと思います。
母は他人と泊りの旅行へ行く機会はありませんでしたが
その人とは気兼ねなくよく旅行へ行っていました。
ある時は突然「今から行こう!」泊りの旅行に出かけた事もあったみたいです。
旅行から帰ると母は目をキラキラ輝かせ
楽しそうに旅の思い出を報告してくれました。
地元のお友達から母の家の留守電に着信が何度もありました。
電話機のところに張ってある紙にお友達の電話番号が書いてあるので
誰から電話が来たかスグわかりました。
「お母さん、K川さんから電話の着信が何度か来ているよ!」
「へぇ~!心配してくれてるんだねぇ~」
「あと、Kー子さんから寄席の招待券が届いたよ!」
「あ~!Kー子さん!!嬉しいなぁ~」
「今、お母さんは電話できないから代わりに息子がお礼の電話する?それともしないほうが良い?」
「うん、電話してほしい!」
「わかった!あと誰に電話する?」
「K川さん、Kー子さん、あとは、、、H子にも!」
「わかった!電話しておくね!」
「うん、みんなありがたいねぇ~人とのつながりが財産だねぇ~」
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
病室に入って
「お母さん、こんにちは!」と言うと、、、
「あ~!やっと来てくれたんだぁ~寂しかったんだよぉ~!」
「そうなの?」
「うん、遅いから来ないのかと思ったよぉ~」
「いつもと同じ時間だよ。むしろ早いぐらいですよ。」
「え~、、、寂しかったんだよぉ~、、、(涙)」
相変わらず意識に波がありますが、、、
一番悪い時期と比べれば良くはなってるんだよなぁ。
寝たきりの時間が多いので首と腰とおしりがかなり痛い様子です。
早く痛みが弱くなるといいんだけど、、、
痛みに負けて動きや活力が無くなっていってしまう気がする、、、
「リハビリ頑張って早く治しておうちに帰ろうね!」
「うん。お母さん頑張るよ~!大奮闘するんだ!」
と頼もしいこと言ってたのに、、、
10分後のリハビリを兼ねた夕飯、、、全然食べる気無し!
も~、、、どうなってんの!? (笑)
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
「おかあさ~ん来たよ。ご機嫌如何ですか?」
「あんちゃ~ん来てくれたのぉ!お前は優しい子だねぇ~」
「首と頭の痛みはどうですか?」
「う~ん、きょうはなんとか我慢出来るぐらいだよぉ~~~」
こんな調子で会話が嚙み合います。
会話できると息子もうれしいです!
時々話が繋がらなかったり、夢の中の話をしたり、空中を見つめて何か脳みその中で考えている様子ですが
呼び掛けには毎回しっかり反応してくれました。
薬を飲むときに「薬こんなに飲むのぉ~???」
と不安そうな顔をしたので、、、
「コレ飲むと美人になる薬だよ!」
「うそつき!!わっはっは~!」
「あっはっは、バレたか。」
「お前は優しい!」
「ふふふ」
明日もこの調子でお願いしますよ!
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
昨日はやっぱり幻だったのかなぁ、、、
今日は一昨日までと同様にボンヤリうつらうつら、、、
頭から首が痛いようで、ずっと眉間にシワがよってます。
うまくいかないなぁ、、、
昨日は「奇跡が起こってどんどん回復したら凄い嬉しいなぁ」なんて思ったけど
そんなに上手い事いかないですね。
帰りぎわに担当医と面談しましたが
やはり手術は出来ないので「対処療法」しか出来ないとのお話しです。
リハビリをしながら、、、
って言っても【歩くため】のとか【立ち上がるため】のって訳じゃなくて、、、
生きる為のリハビリ
をするっていう事ですね。
奇跡が起きたら嬉しいけど
起きなくても、、、
受け入れて頑張るしかない。
気合い入れ直して頑張ります
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
5月5日の夜中に倒れてから毎日毎日悪くなっている様子でしたが
今日は何故か???少し元気になってました。
倒れてから今までの事は殆ど覚えていない様子で記憶が飛んでいます。
自分で「え~っ、私そんなに悪いのぉ~」って言いながら笑っていました。
「昨日の事覚えてないでしょ?今日の事は明日おぼえていてね!」
「うん。なんでかなぁ昨日の事覚えてないけど、、、。今日の事は覚えてるに決まってるよ!アッハッハッハ」
この調子でどんどん良くなればいいのになぁ~
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
午後一時過ぎから検査開始です。
「だいたい一時間程度で終わります。」
結局終わったのは午後四時過ぎでした。
新米看護師が「担当医からの説明はこの後も予定が立て込んでるので後日になりそうです。」さらっと言いました。
担当医が出てきて一言言えばいいじゃないですか?
なんで一時間の予定が三時間以上かかったの?
詳細な報告は後日でいいけど長時間待たされてコレですか?
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
子供のころに母と一緒に写した写真を持っていきました。
「お母さん!分かる?懐かしいねぇ!」
「うん。、、、かわいいねぇ」
今日は熱が38度以上で眠っているような状態の時間が多いです。
息子の七五三の写真を見せました。
「あ~~~!コレは****の、、、むにゃむにゃ」
「あ~~~!****かわいいよぉ」
明日は血管の検査をする予定です。
この検査をして手術するかどうか決めるという話ですけど
おそらく、、、今の雰囲気は出来ないような感じです。
何も出来ない場合はどうなるんでしょうかね?
「お母さん!頑張ろうね!」
「むにゃむにゃ、、、うん。」
首、頭の痛みが酷いのか眉間にしわが、、、
可哀想でたまりません。
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
状態は相変わらず、、、。
話しかけた内容にハッキリ反応して会話が成立する時と
殆ど反応せずにボンヤリしている時がある。
もしかしたら、、、どんどん症状が悪くなって私の事も分からなくなってしまう可能性もあるのかな???
「お母さん!****の事忘れないでよ!ちゃんと覚えていてね。」
「うんうん。」
「お母さん頑張ろうね!二人で協力して頑張ろうね!」
「うん、、、頑張る!」
「どっちか片方だけ頑張ってもダメだからね。二人で頑張って乗り越えようね!」
「****ありがとう!」
「おかあさんこそありがとう。ヤル気出たよ!」
「うん。お母さん、、、何が起こっても動じない。」
この会話の時は目をハッキリと開き、言葉もしっかりして会話できました。
「何が起こっても動じない。」←突然こんな事を言うからちょっとビックリしちゃいます。
明日は母の日なんだなぁ、、、、、。
お母さん、、、
ラジオからの歌声などを聞いているとふと涙がこみ上げます。
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子
「お母さん来たよ!」
「あ~!お前はいい子だねぇ~。」
「ありがとう」
「あのさぁ」
「うん、どうしたの?」
「お母さんすご~くバカになっちゃったみたい。」
「、、、、、、、、、、、え?そうなの?」
「うん、なんかすご~く変な感じなの。」
「大丈夫だよ!お母さん!」
集中治療室から隣の4人部屋に引っ越し。
何も聞いていない!
月曜日の検査、、、言葉は悪いけど「実験台」にされるだけなのか?
どう考えても母の手術、処置をする雰囲気が感じられない。
この前まで学生のような医師と看護師が私にマニュアルどうりの対応・説明をする。
状態が良くなっている訳ではなく、処置出来ないからどんどん退院させようとしてるだけだと思われる。
今まで集中治療室では一対一で看護師さんが付いていたがそれでもこちらの気持ち以下の対応しか出来ていない。
集中治療室が100点満点で70点だとしたら
四人部屋は45点ぐらいの感じだ。
すべてが流れ作業で、、、患者の気持ちや痛みよりも効率が優先された対応をしている。
仕方ないのかもしれないが滅入る。
先月に心房細動の手術をした際の循環器の担当医が母の様子を見に来てくれた。
「**先生だぁ~」
母が先生の顔を見て喜ぶ。
「あのさぁ~、、、」
「はい大丈夫ですか?」
「うんとさぁ~」
「うんうん」
「**病院も堕ちたもんだねぇ~」
「あ~、、、、、ははは。」と苦笑する先生。
本人もわかっているんだなぁ~
母は現役最後の時に60歳を過ぎてから介護士の資格を取るために
娘より下の世代の人と一緒に勉強して資格を取った。
自分で介護士の仕事をしていたから余計にレベルの低さが気になるんだろう。
そういえば、、、
母は学歴は無いが本当に勉強好きだった。
元気な時は市が開催するパソコン講座やいろいろな講座をガンガン受講していた。
定員制の講座に応募して
「やった~!当たった~!今度****の講座に行くんだよ!」と目を輝かせて私に伝えてくれた。
40歳ぐらいのころに独学で調理師の免許をとった。
60歳ぐらいのころに樹木医の講座を受け資格を免許を取った
その後に介護士の資格を猛勉強してとった。
ホームヘルパーの仕事をはじめ暫くしたら
「他の人には心を開かないお婆ちゃんがエルモさんの言うことだけは聞くから。」
という家族の方の希望で指名されていた。
ひとりではなく他の家にも一度行くと「指名」されていた。
パソコンは60歳をすぎてから始めた。
それまではビデオの操作も一切出来ないほど機械音痴だった。
「お母さん、継続は力なり。だよ!頑張ってね!」
「うん!お母さん頑張る!」
と言って頑張った。
私も頑張って教えた。
暫くして自分で写真を撮って印刷してうちわに張り付けて
オリジナルの団扇を作った。
「これあげる!」
「え!」
アニマル浜口さんの講演会で写した写真を印刷したオリジナル団扇をくれた。
私は驚いた。。。
こんなの教えてないのにスッゲェなぁ。と感心した。
そんなことをふと思い出した、、、、、お母さんすごいなぁ。
変わらぬ明日が来てくれるようにただただ祈る。
代理投稿@息子