おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

肉弾

2019-12-05 08:19:51 | 映画
「肉弾」 1968年 日本


監督 岡本喜八
出演 寺田農 大谷直子 天本英世
   三橋規子 今福正雄 笠智衆
   北林谷栄 春川ますみ 園田裕久
   小沢昭一 菅井きん 三戸部スエ
   田中邦衛 中谷一郎 高橋悦史

ストーリー
昭和二十年の盛夏。魚雷を脇に抱えたドラム岳が、太平洋に漂流していた。
この乗組員、工兵特別甲種幹部候補生のあいつは、まだ終戦を知らなかった。
あいつが、ここまで来るには可笑しくも悲しい青春があった。
演習場のあいつ。候補生たちは、みな飢えていた。
あいつは、めしと死以外を考える余裕はなく、乾パンを盗んで裸にむかれたこともあった。
それから、広島に原爆が落ち、ソ連が参戦した。
そして予備士は解散され、あいつら候補生は特攻隊員にされた。
一日だけの外出を許されたあいつは、無性に活字が恋しくなって古本屋へ行った。
そこには、B29に両腕をもがれた爺さんと観音さまのような婆さんがわびしく暮していた。
あいつは、やりきれなくて焼跡の中の女郎屋に飛込んだ。
けばけばしい女たちの中で、因数分解の勉強をしているおさげ髪の少女が、あいつに清々しく映った。
再び雨の中へ飛出したあいつは、参考書を待った少女に出会った。
なぜか少女はついて来て、やがて二人は防空壕の中で結ばれた。
翌日のあいつは、対戦車地雷を抱えて砂丘にいた。
少女、古本屋の老夫婦、前掛けのおばさん、そして砂丘で知りあった小さな兄弟とモンペ姿の小母さん。
あいつが死を賭けて守る祖国ができたが、その夜の空襲で少女が死んだ。
それから、作戦が変更されあいつは魚雷と共に太平洋に出た。
日本は敗けたが、あいつはある朝、大型空母を発見した・・・。


寸評
日本アート・シアター・ギルドは1961年から1980年代にかけて活動した日本の映画会社でATGの略称で呼ばれていた。
初期の頃は一般では公開されない外国映画を上映していて、その頃の僕には難解な映画を上映する映画館という印象だった。

第2期に当たる1970年前後は1000万円映画と呼ばれるATGと独立プロが制作費を折半して製作された日本映画が数多く上映された。
僕はこの頃大阪の梅田にあるATGの常設館である北野シネマの会員となって通っていた。
ATG作品は独立プロの主催者である監督が好きなように作り、劇場はその作品を最低1カ月は上映するという決まりだった。
もっとも、寺山修司の「田園に死す」などは、あまりの不意入りに上映が打ち切られ、契約違反だと怒った寺山が殴りこみをかけるかもしれないなどと噂が飛んだこともあった。
それでも大島渚の「絞首刑」や篠田正浩の「心中天網島」など、上映作品は傑作が目白押しだった。
この「肉弾」もATGとの提携作品である。
あの頃の映画館はそれぞれに特徴が有り、上映作品にもおのずから傾向が表れていて、作品名を聞くだけで多分あの劇場で見たはずだと思い出されるのである。
大阪梅田にあったOS劇場は上映される大作と共にそのゴージャス感で入る前からワクワクした映画館だったし、阪急のビルには東宝の封切り館の梅田劇場、洋画の封切り館である北野劇場、ちょっと大人びたスカラ座などがあった。
トコトコと地下に下りていくニューOS劇場、そしてその向かい側に同じように地下へトコトコ降りていく劇場として北野シネマがあった。
「イージー・ライダー」もここで見たし、この「肉弾」もここで見た。僕に映画を監督という視点から見ると言うことを知らしめてくれたのも北野シネマだった。

さて「肉弾」。戦争映画の傑作だ。ドンパチはない。先の戦争で散った特攻隊員の若者たちは一体誰のために死んでいったのか?という、戦争を知らない僕たち団塊の世代の疑問に答えている一遍だ。
あいつは、古本屋の老夫婦、観音様の様な少女、前掛けのオバサン、もんぺのオバサンなどを守るために死んでいった。国家のためでもなく、天皇陛下のためでもなく、命令のためでもなく、最後には守るべき人々を見つけて死のうとした。
神風、回天の特攻隊員達もおそらくそんな気持ちだったのではないか?そして彼等の無駄死にとも思える犠牲の上に今の繁栄が有るのだとラストで叫んでいる。
白骨化したあいつは叫んでいる。
俺が守りたかったのは享楽に浮かれるお前たちの様な日本人ではなかったのだと。
この映画は戦争の愚かさとそれによって踏みにじられた幾多の青春への思いをコミカルなタッチで痛切に描いていた風刺劇だ。戦争はバカバカしいのだ。
大谷直子=鮮烈のデビュー、寺田農=渾身の一作である。