おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ノー・マンズ・ランド

2019-12-22 10:51:37 | 映画
「ノー・マンズ・ランド」 2001年 


監督 ダニス・タノヴィッチ
出演 ブランコ・ジュリッチ
   レネ・ビトラヤツ
   フイリプ・ショヴァゴヴイツチ
   カトリン・カートリッジ
   サイモン・キャロウ
   ジョルジュ・シアティディス
   サシャ・クレメール
   セルジュ=アンリ・ヴァルック
   ムスタファ・ナダレヴィッチ

ストーリー
1993年6月、霧の中で道に迷ったボスニア軍兵士のチキは、ボスニアとセルビアの中間地帯(ノー・マンズ・ランド)の塹壕にたどり着いた。
敵の生存者を確かめるため、セルビア軍兵士のニノと老兵士がそこにやってくるが、チキは老兵士を殺し、ニノにも怪我を負わせた。
そしてやっかいなことに、老兵士が死体だと思って下にジャンプ型地雷を仕掛けてしまったツェラが生きていた。
彼が動くと、地雷が爆発してしまう。
止むを得ず、この状況から抜け出すために協力しあうチキとニノ。
やがて心を通わせる二人だったが、助けにきたマルシャン軍曹たちと一緒に塹壕を離れようとしたニノの足をチキが銃で撃ち、再び一触即発の状態に戻る。
やがてマルシャン軍曹とテレビ記者のジェーンが協力し、マスコミの力を使って中々動こうとしなかった国連防備軍を動かすことに成功。
しかしツェラの下の地雷を撤去することはできなかった。
しかもマスコミが騒ぐ中、チキはニノに向かって発砲、同時に防備軍がチキを射殺。
そして防備軍は、地雷を撤去したという虚偽の発表をし、マスコミと共に塹壕から立ち去る。
塹壕にはツェラ一人が残されるのだった。


寸評
分割された旧ユーゴスラビアという国は複雑な国家で、その複雑性は「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と形容された。
この複雑な国が一つの国家として存在しえたのはチトーという偉大な指導者がいたからだ。
チトー死去後、後継者達はチトーのようなカリスマ性を発揮できず、インフレと失業率の上昇で経済も低迷し始め、抑圧されていた民族主義、宗派主義が息を吹き返し紛争が勃発した。
映画はその中の1992年から1995年まで続いた内戦(ボスニア紛争)を背景に、戦争の愚かさと虚しさを皮肉たっぷりに描いている。

ユーモアを感じるところはあるが、僕は決してそれを笑うことはできなかった。
メッセージ性の高い作品は得てして肩ぐるしくなりがちだが「ノー・マンズ・ランド」は分かりやすく、監督の独りよがりが見られず一方的でないのがいい。
敵対する二人の兵士の関係が二転三転する展開は一瞬たりとも飽きることがない。
体の下に地雷を仕掛けられた兵士という設定もユニークで、オリジナリティにあふれている。
ボスニア人のチキとセルビア人のニノはただの一兵士だが両陣営の縮図でもある。
この戦争はお前たちが始めたのだとお互いにののしり合う。
二転三転する中で、銃を突きつけられる立場になった方が「自分たちが始めた」と言わされる。
戦争は何故始まったのか分からないままに、ひょんなことから始まってしまうのかもしれない。

チキがニノの出身地にいた彼女の話をすると、彼女はニノの知り合いだった。
このとき、二人は打ち解けるかもという雰囲気が見られるのだが、二人はやっぱりいがみ合ってしまう。
打ち解け合ったかと思えばいがみ合うという内戦の複雑なところだ。
元は同じ国であった人たちが戦って泥沼化していくという愚かさだ。
にらみ合っている両軍だが、守備隊の一人が新聞を読みながらウガンダの内戦をひどいと感想を漏らす。
よその国の内戦は悲惨だと思えるのに、自分たちは内戦を起こしているという矛盾で、映画はそのようなユーモアとも皮肉ともとれる話を小気味よく挟んでいく。
描かれているのはボスニア、セルビア両軍の愚かさだけではない。
彼らを巡る国連防護軍の無力さ、戦況の最前線を興味本位に報道しようとするマスコミの偏執ぶりも描かれる。
最前線の国連兵士が許可を求めると、受けた者は上司に相談すると言い、上司は本部に報告すると言い、最終的には国連決議を待つと言った具合で、結局何もしない国連と言うことになる。
人道支援という言葉を口実に傍観者に徹したいソフト大佐が塹壕の現場にやって来るが、この時ミニスカートの美人秘書を連れているのだが、オフィスにいる時の秘書の思わせぶりな態度を見ると、ソフト大佐とこの秘書は戦場で何をやっているのだと言いたくなるような関係を想像させる。
直接描かないで想像させるところがいい。
「殺戮に直面したら、傍観も加勢と同じだ」と言うマルシャン軍曹だけが、まともで、心の底から彼らを助けたいと思っているように見えるが、そのマルシャン軍曹も何もできない。
衝撃のラストシーンには、無意味な戦争、それをとりまくあらゆる状況への痛烈な批判が込められている。