おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

愛人/ラマン

2022-01-17 08:41:51 | 映画
「愛人/ラマン」 1992年 フランス / イギリス


監督 ジャン=ジャック・アノー
出演 ジェーン・マーチ
   レオン・カーフェイ
   メルヴィル・プポー
   リサ・フォークナー
   アルノー・ジョヴァニネッティ

ストーリー
1929年、フランスの植民地インドシナ(現在のヴェトナム)。
メコン川をゆったりと渡る船の上で、田舎町サデックの自宅から寄宿舎のあるサイゴンに帰る途中の少女に、黒いリムジンから降りてきた中国人の男性が声をかけた。
男は32歳で、この植民地で民間不動産の全てを掌握している華僑資本家の息子だという。
少女は何となく興味をひかれ、男の車に乗り込んだ。
その日から男は毎日リムジンで少女の学校の送り迎えのために現れた。
ある日、少女は誘われるままに、中華街ショロン地区の騒がしい通りにある薄暗い部屋に連れていかれる。
秘密めいたその部屋で、少女は誘うように男を求め、男は少女を抱いた。
こうして始まった2人の愛人関係は、誰にも知られることなく続いていく。
少女の父親は植民地で死に、母親が貯金をはたいて買った土地は詐欺にあい耕作不能地であった。
生きていくために母親は小学校を経営しているが、上の兄は阿片で働く意欲を失い、下の兄をいじめ抜いていて、異国の地での貧しい暮らしに家族の心はすっかり荒んでいた。
母親は娘の変化に気づきながらも、娘を通して金品を援助してくれる男を黙認するしかなかった。
激しい欲望に引きずられるように重ねてきた2人の逢瀬だったが、ピリオドを打つ時がやってきた。
男は父親の命令通り中国の富豪の娘と結婚式をあげ、少女は家族とともにフランスに帰国することになった。
「金のために抱かれたと言ってくれ」と男は言う。
「お金のために貴方に抱かれたわ」と少女は答えた。
フランスへの旅立ちの日、船の上から男のあの黒いリムジンが見えたとき、「男を愛していたのかもしれない」とふと思った少女は、初めて涙を流した。


寸評
非常に官能的な映画で目がそちらばかりに行ってしまう。
男は家の財産を守るため、家と親が決めた顔も知らない女性と結婚する。
それが中国の習慣だからだ。
愛する少女との結婚を訴えても許してもらえない。
儒教思想の中国では親に逆らえないし、ましてや男は父親の財産で働きもせず生きているのだ。
男は不徳の愛で結ばれていた少女と別れるが一生愛し続ける。
結ばれなくても秘密裏に一生愛し続ける人が居てもおかしくはないし、そのような悲恋もあるだろう。
少女は17歳の高校生で男は32歳。
歳の差15歳は今なら不思議ではないが、なにせ相手は寄宿舎に住みながら高校に通う少女である。
禁断の愛ともいえる関係を描いているのだが、前半においては官能的な場面が多すぎる。
最後に遊びではない本心からの愛を語られても、前半との温度差を感じてしまってピンとこない。
白人が二人しかいない寄宿舎の一方の友人は、学校を出て看護師になるよりも娼婦になりたいなどと言い、少女も知らない男性に抱かれることへのあこがれを語る。
思春期の少女における性への目覚めでもあり、そのこと自体は描かれるテーマとしては成り立つものである。

男は中国の金持ちはこのような家で愛人と密会するのだと言う。
調度品は父親が用意したものだから、父親も愛人の存在は認めているのだろう。
少女は寄宿舎を抜け出しては、その家で逢瀬を重ねる。
金銭的援助を受けるようになった母親は夜間の外出を認めるように学校側と交渉する。
少女は自身に対する売春のうわさの為に孤立するようになっても気にする風でもない。
少女の家は父が死に、母親が詐欺にあったことも有り貧しい家庭である。
長男は家庭内暴力をふるっているが、母親は何もできないし何も言わない。
子供たちに対する愛情を持ちながらも、どうすることも出来ず時間だけを費やしている。
少女は同世代の少女が経験し得ない男との愛人関係を含め、とんでもない環境下にいるのだ。
男に体を捧げ、家庭に安住を得れない少女をジェーン・マーチが見事に演じている。
この映画におけるジェーン・マーチは素晴らしいの一言に尽きる。

セピア調の画面、ベトナムの農村地帯の風景、メコン川を俯瞰したベトナムの遠景、チャイナタウンの雑多な雰囲気など、映像は時に絵画的であり素晴らしいと思う。
男は少女を諦めるために「金の為に付き合っていた」と少女に言わせる。
男は結婚式を見つめる少女と視線を合わせる。
結婚式後に会う約束をした密会場所の家は引き払われて男は現れないが、少女の帰国を陰ながら見送る。
そして希望通り小説家となった晩年の少女に一生愛し続けることを告げる。
ラストにつながる一連のエピソードに僕は酔いしれたのだが、だからこそ前半におけるくどいような官能シーンは一体何のために必要だったのかと思えてくるのだ。
それにしても、少女の面影を残しながら大人の振る舞いをするジェーン・マーチの何と素敵なことか!