第一作は2019年2月27日に掲載しています。
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」 2007年 日本
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監督 山崎貴
出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希
薬師丸ひろ子 もたいまさこ 三浦友和
須賀健太 小清水一揮 温水洋一 平田満
ピエール瀧 小日向文世 吹石一恵
貫地谷しほり 手塚理美 上川隆也
ストーリー
昭和34年、春。鈴木オートに新しいファミリーが増えた。
事業に失敗した親類から、しばらく娘を預かって欲しいと頼まれた則文が快諾したのだ。
しかし、その娘・美加は根っからのお嬢さん育ちで、下町での生活に馴染むことができなかった。
小説家を目指す茶川は、淳之介と親子のような生活を続けていたが、淳之介の実の父親である川淵は引き取りたいと再三、申し出ていた。
大学の同窓会で肩身の狭い思いをして、踊り子のヒロミにも堂々とプロポーズできない茶川は、一念発起して芥川賞を狙った新作を書き上げると宣言する。
そんな日々の中、六ちゃんは一緒に上京してきた幼なじみの中山と再会する。
ほのかな思いを六ちゃんに寄せる中山だが、仕事の方はうまくいかず、悪い先輩にそそのかされて詐欺まがいの手口の片棒を担がされていた。
そんな中山の行状を知って六ちゃんは心配する中、茶川の小説は、芥川賞の候補として選ばれた。
大騒ぎになる三丁目に、受賞するためには審査員を接待する必要があると語る男が現れる。
その口車に乗せられてしまう則文たちだったが、それは中山が関わった詐欺だった。
芥川賞には落選して、深く落胆する茶川だが、彼を待っていたのは裕福な男からのプロポーズも断ってやってきたヒロミだった。
これからは三人で暮らせることに、淳之介も大喜びする。
その一方で、父親が迎えにきて、鈴木オートから美加が別れを告げる日がやってきた。
別れの言葉を交わす一平と美加を、三丁目の夕日はやさしく照らし続けていた。
寸評
あんなにエピソードは必要だったのだろうか?というのが第一印象。
たとえば同窓会のエピソードは、この映画の中でどんな意味を持っていたのだろうと思ってしまう。
預かる事になった女の子が心を開いていく様も、上辺をさらっとすくっていったような感じ。
六子の同郷のボーイフレンドの話も同様に感じたし、小雪演じるヒロミとの恋の行方もまた然りであった。
エピソードが多い分だけ、それぞれの話の密度は薄いのだが、それでも退屈させずに146分を引っ張れたのは、それぞれが納得できるエピソードとして、観客である我々が物語に同化できた為だろうと思うが、作品としては前作の方が良かったと思う。
それでもこの映画がいいなと思えるのは、懐かしい昭和があって、登場人物が良い人たちで、見終わってホッとする気持ちになれるからだ。
茶川が作品を書き上げ、作者名を書いてからタイトルを書き込むで場面が切り替わったが、雑誌に載った作品のタイトルを見てゾクッとした。
大人が子供に見せる細やかな愛情にホロリ、近所の者達の人情味溢れるつき合いにホロリ。
感涙に咽ぶシーンが多いのがこの映画の良いところで、昭和のノスタルジーと共に、人と人の温かい交流が底辺にある。
そしてここに描かれる人間関係を失くしてしまった懐かしいものとして感じてしまうのは、なんともなんとも本当になんとも悲しいことだと思う。
前作では鈴木オート一家の三人が夕日を見て終わったが、今回は茶川、ヒロミ、淳之介の三人が夕日を眺めるシーンで終わる。
真っ赤な夕日は明日の幸せの象徴だから、この三人にも幸せがやってくることを暗示していて、見ているこちらも幸せな気分になれた。
映画は希望を持って終わらなくては・・・と感じた次第。
前作において、当時圧倒的な風俗として存在していた「映画」に関するシーンが全く登場していなかったが、今回はその挽回とばかりに2度登場する。
一つは懐かしのTOHOスコープの後に登場する東宝としてのプレゼントであり、一つは風俗として象徴的な日活の裕次郎映画だった。
映画館の入り口には、裕次郎特集の看板が見え、「錆びたナイフ」「嵐を呼ぶ男」が掛かっており、次週上映に「狂った果実」のポスターが見えていた。
「嵐を呼ぶ男」のドラム・シーンの場内を描いていたが、裕次郎の歌うシーンは見ることは出来なかった。
エンド・ロールでは、ポスター協力=日活とだけあった。
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」 2007年 日本
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監督 山崎貴
出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希
薬師丸ひろ子 もたいまさこ 三浦友和
須賀健太 小清水一揮 温水洋一 平田満
ピエール瀧 小日向文世 吹石一恵
貫地谷しほり 手塚理美 上川隆也
ストーリー
昭和34年、春。鈴木オートに新しいファミリーが増えた。
事業に失敗した親類から、しばらく娘を預かって欲しいと頼まれた則文が快諾したのだ。
しかし、その娘・美加は根っからのお嬢さん育ちで、下町での生活に馴染むことができなかった。
小説家を目指す茶川は、淳之介と親子のような生活を続けていたが、淳之介の実の父親である川淵は引き取りたいと再三、申し出ていた。
大学の同窓会で肩身の狭い思いをして、踊り子のヒロミにも堂々とプロポーズできない茶川は、一念発起して芥川賞を狙った新作を書き上げると宣言する。
そんな日々の中、六ちゃんは一緒に上京してきた幼なじみの中山と再会する。
ほのかな思いを六ちゃんに寄せる中山だが、仕事の方はうまくいかず、悪い先輩にそそのかされて詐欺まがいの手口の片棒を担がされていた。
そんな中山の行状を知って六ちゃんは心配する中、茶川の小説は、芥川賞の候補として選ばれた。
大騒ぎになる三丁目に、受賞するためには審査員を接待する必要があると語る男が現れる。
その口車に乗せられてしまう則文たちだったが、それは中山が関わった詐欺だった。
芥川賞には落選して、深く落胆する茶川だが、彼を待っていたのは裕福な男からのプロポーズも断ってやってきたヒロミだった。
これからは三人で暮らせることに、淳之介も大喜びする。
その一方で、父親が迎えにきて、鈴木オートから美加が別れを告げる日がやってきた。
別れの言葉を交わす一平と美加を、三丁目の夕日はやさしく照らし続けていた。
寸評
あんなにエピソードは必要だったのだろうか?というのが第一印象。
たとえば同窓会のエピソードは、この映画の中でどんな意味を持っていたのだろうと思ってしまう。
預かる事になった女の子が心を開いていく様も、上辺をさらっとすくっていったような感じ。
六子の同郷のボーイフレンドの話も同様に感じたし、小雪演じるヒロミとの恋の行方もまた然りであった。
エピソードが多い分だけ、それぞれの話の密度は薄いのだが、それでも退屈させずに146分を引っ張れたのは、それぞれが納得できるエピソードとして、観客である我々が物語に同化できた為だろうと思うが、作品としては前作の方が良かったと思う。
それでもこの映画がいいなと思えるのは、懐かしい昭和があって、登場人物が良い人たちで、見終わってホッとする気持ちになれるからだ。
茶川が作品を書き上げ、作者名を書いてからタイトルを書き込むで場面が切り替わったが、雑誌に載った作品のタイトルを見てゾクッとした。
大人が子供に見せる細やかな愛情にホロリ、近所の者達の人情味溢れるつき合いにホロリ。
感涙に咽ぶシーンが多いのがこの映画の良いところで、昭和のノスタルジーと共に、人と人の温かい交流が底辺にある。
そしてここに描かれる人間関係を失くしてしまった懐かしいものとして感じてしまうのは、なんともなんとも本当になんとも悲しいことだと思う。
前作では鈴木オート一家の三人が夕日を見て終わったが、今回は茶川、ヒロミ、淳之介の三人が夕日を眺めるシーンで終わる。
真っ赤な夕日は明日の幸せの象徴だから、この三人にも幸せがやってくることを暗示していて、見ているこちらも幸せな気分になれた。
映画は希望を持って終わらなくては・・・と感じた次第。
前作において、当時圧倒的な風俗として存在していた「映画」に関するシーンが全く登場していなかったが、今回はその挽回とばかりに2度登場する。
一つは懐かしのTOHOスコープの後に登場する東宝としてのプレゼントであり、一つは風俗として象徴的な日活の裕次郎映画だった。
映画館の入り口には、裕次郎特集の看板が見え、「錆びたナイフ」「嵐を呼ぶ男」が掛かっており、次週上映に「狂った果実」のポスターが見えていた。
「嵐を呼ぶ男」のドラム・シーンの場内を描いていたが、裕次郎の歌うシーンは見ることは出来なかった。
エンド・ロールでは、ポスター協力=日活とだけあった。