「尼僧物語」 1959年 アメリカ
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監督 フレッド・ジンネマン
出演 オードリー・ヘプバーン ピーター・フィンチ
イーディス・エヴァンス ペギー・アシュクロフト
ディーン・ジャガー ミルドレッド・ダンノック
コリーン・デューハースト ビアトリス・ストレイト
ストーリー
ベルギーの都会ブルージスの家を棄てて、ガブリエル・バン・デル・マルは修道院に入った。
医師として有名な父バン・デル・マル博士をはじめ、弟妹たちや恋人ジャンの住む俗世との縁を絶って、修道志願女としての彼女の生活が始まった。
師長のシスター・マルガリタや、シスター・ウィリアム、修道院長マザー・エマニュエルのもとで、厳しい修道の日日が彼女に課せられる。
沈黙、謙譲と没我、絶えざる反省と自己叱責の連続に、落伍していく修道志願女たちもあった。
こうして、彼女は見習尼となり、シスター・ルークの名を与えられた。
彼女の望みは、やがて看護尼としてコンゴに派遣されることだった。
熱帯医学の学校にやらされることになった彼女は、そこで、かつてコンゴにいたことのある、同じコンゴ行きを望むシスター・ポーリンとの反目に苦しんだ。
マザー・マルセラは、彼女に謙譲の心を示すために、わざと試験に失敗することができるかと聞いた。
しかし、苦しみの末、結局彼女は優秀な成績で試験に合格し、シスター・ポーリンとともに学校を卒業した。
ブリュセル近郊の精神病療養所での奉仕の生活を経て、彼女は、かねて望みのコンゴに派遣された。
シスター・ルークはここでヨーロッパ人病棟を受けもたされた。
外科医フォルテュナティ博士の下で働くこととなった彼女は、博士の有能な助手として、彼女の仕事は休む暇もなかった。
ハンセン病患者収容所を経営するブエルミュレ神父を奥地に訪ねたり、現地民の青年イルンガを寛容の心によって信仰に帰依させたりして、彼女の生活は続いた。
過労による結核菌の感染もフォルテュナティ博士の手あてによってなおった。
だが、シスター・ルークはベルギーに呼びもどされた。
故国はナチスの軍隊にふみにじられようとしていた。
寸評
映画は父や弟妹と別れてガブリエルが修道院に入るところから始まる。
それから描かれるのは厳しい戒律の中で過ごす彼女の姿で、沈黙、謙譲と没我、絶えざる反省と自己叱責の連続を淡々と描いていくだけなので、そこに大きなドラマは発生しない。
儀式の物珍しさに興味がわくものの、ドラマを期待する者には退屈な内容となっている。
それにも係わらず観客を引っ張っていけるのはガブリエルを演じるオードリー・ヘプバーンの清楚な姿である。
長い髪を切り落とし修道女の衣服をまとった彼女の容姿には、観客をうっとりとさせてしまう雰囲気が漂っている。
落伍していく修道志願女のエピソードや、精神異常者による暴行など、ちょっとした出来事があるものの、本格的なドラマは熱帯医学の学校に行ってから描かれることになる。
学校ではコンゴ行きを望むシスターに謙譲の心を示すために、わざと試験に失敗することができるかとマザー・マルセラから言われて悩むことになる。
彼女は苦しみの末に試験に合格するのだが、マザー・マルセラの宗教者としての助言には疑問を持つ。
後に、あの助言は間違いであったと別のシスターに述べさせているが、命を預かる医療従事者に対してお目こぼしがあってはならないと思う。
僕は宗教家の欺瞞を感じてしまった。
彼女は人間を磨くためにコンゴ行のメンバーから外される。
学校では飛びぬけて優秀なように描かれていたのだが、試験の成績は8人中4番目だったのは意外で、トップだったけれどメンバー漏れとなった方が良かったと思うが、それだと現実味がなさ過ぎたかもしれない。
シスター・ルークとなったガブリエルがコンゴに行ってからは見応えが出てくる。
先ずはコンゴの自然が我々を迎えてくれる。
フォルテュナティ医師とのやりとりも変化をもたらすが、一番の出来事は占い師に言われた現地人がシスターを撲殺したことだ。
キリスト教は善で、土着の宗教は悪と言っているようで、白人至上主義を感じる。
別の現地人がシスター・ルークに「犯人を恨まないのか」と尋ねると、シスター・ルークは「我々はすべての人を許す」と答える。
しかし、ベルギーに戻ったガブリエルは侵攻してきたドイツ軍に父親を殺されたことで、ドイツへの憎しみを消し去ることが出来ず修道院から出ていくことになる。
すべての人を許すと言っていた彼女なのに、自分の父親となると平常心ではいられないのだ。
殺されたシスターはガブリエルには結局のところ他人だったのだ。
厳しいことを言えても、自分の子供には甘くなってしまうようなものだ。
それが人間と言うもので、僕は見ていてどうも人間性に欠ける修道女たちの姿が異様に感じ続けていた。
映画は、自己を抑制する厳しい戒律と、本来の自分の心との間で葛藤する一人の尼僧の姿を描いていたのだが、僕の宗教観からどうもこの作品には乗り切れないものがある。
レジスタンスに身を投じるガブリエルの心変わりの描き方も弱かったように思う。
僕にはオードリー・ヘプバーンでなければ存在しない作品となっている。