おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

オペラ座の怪人

2022-04-15 07:36:38 | 映画
「オペラ座の怪人」 2004年 アメリカ / イギリス


監督 ジョエル・シューマカー
出演 ジェラルド・バトラー
   エミー・ロッサム
   パトリック・ウィルソン
   ミランダ・リチャードソン
   ミニー・ドライヴァー
   シアラン・ハインズ

ストーリー
1919年のパリ。
今や廃墟と化したオペラ座で、かつて栄華を極めた品々がオークションにかけられていた。
そこには、老紳士ラウル・シャニュイ子爵(パトリック・ウィルソン)と年老いたバレエ教師、マダム・ジリー(ミランダ・リチャードソン)の姿があった。
やがて、謎の惨劇に関わったとされるシャンデリアが紹介され、ベールが取り払われると、ふたりは悲劇の幕開けとなった1870年代当時へと一気に引き戻される。
1870年代のパリ。
オペラ座では奇怪な事件が続いていた。
オペラ「ハンニバル」のリハーサル中、プリマドンナのカルロッタ(ミニー・ドライヴァー)の頭上に背景幕が落下し、腹を立てたカルロッタは役を降板。
代役を務めたのは、バレエダンサーのクリスティーヌ(エミー・ロッサム)だった。
喝采を浴びた彼女は、幼馴染みのラウルと再会。
だが、その喜びも束の間、仮面をかぶった謎の怪人・ファントム(ジェラルド・バトラー)にオペラ座の地下深くへと連れ去られてしまうが、そこには怪人の憎しみと哀しみがあった。
クリスティーヌは、ファントムを亡き父親が授けてくれた‘音楽の天使’だと信じてきたが、地下の隠れ家で仮面をはぎ、その正体を知ってしまうと同時に彼の孤独な心と自分に対する憧れにも気づくのだった。
その頃、オペラ座の支配人たちは、オペラ「イル・ムート」の主役にクリスティーヌを据えよというファントムからの脅迫状を受け取っていたが、その要求を無視してカルロッタを主役に立てた舞台は大混乱。
ついに殺人事件が起きてしまう・・・。


寸評
冒頭はモノトーンで描かれるオペラ座でのオークション場面だ。
男女の老人二人がオークションに参加しているが、過去に何かしらの因縁が有り顔見知りのようである。
そのようなちょっとした謎を秘めてシャンデリアの覆いが取り除かれると、物語は1870年当時のシーンに移行するのだが、この場面はCGを駆使した映画らしいダイナミックな演出で、廃墟のオペラ座が一気にゴージャスな全盛期に戻る様子は圧巻だ。
モノトーンの画面に描かれるオペラ座の劇場内に積もった埃が吹き飛ばされていくと、カラーに変わっていき全盛時のオペラ座が出現する。
ミュージカル映画が好きな僕ではあるが、このシーンで一気に引き込まれてしまった。
ストーリーなど知らなくても映画の世界に誘ってくれる秀逸なシーンで、まさに映画を感じさせる。
モノトーンの現在から、カラーの過去へと切り替わるシーンでは同じような手法が使われているが、それもなかなかスムーズで映画らしい演出だ。

しかし、視覚的効果を狙ったものなのか、怪人の仮面というかメイクは綺麗すぎたように思う。
そのために、怪人がヒロインに感じる純愛の切なさ、かなわぬ恋の哀れといったテーマが弱くなってしまっていたようだ。
ビジュアル的にもそうだが、怪人がどのようにしてクリスティーヌに恋するようになったのかの説明がないことが第一の原因だった。
劇場内を飛び回るカメラワークや、ゴージャスな衣装、凝りに凝ったセットなど、見た目の派手さはかなりのものがあっただけに残念だ。
アンドリュー・ロイド=ウェバーの主題曲は耳にしたことがあるが、その他の曲は僕には馴染み深いものではない。それでも曲がうたわれるシーンでの、その歌声はを聞かせるに十分なもので存分に楽しめる。
怪人ファントム役のジェラード・バトラーの歌唱がもう少し迫ってくるようなパワーのあるものだったらもっと良かったのに・・・。

クリスティーヌは催眠術にかかっているかのように怪人のもとへ行ってしまう。
それは音楽による呪縛で、彼女のプリマドンナとしての技量は怪人によってもたらされたものであることを自覚していたからだと思うし、プリマドンナの地位を失いたくない気持ちもあったのかもしれない。
ラウルへの愛とプリマドンナの地位の間で揺れ動くクリスティーヌが描かれたならもっと奥深かっただろうなと思ったのだが、テーマはそんなところにはない作品のようだし、それは僕の無い物ねだりであった。

怪人は結局ふたりの愛を見守り続けたのだろうし、今もクリスティーヌへの愛を抱き続けているのだろう。
クリスティーヌの墓前に添えられた黒いリボンのバラの花がそれを物語っていた。
ミュージカルなので話の大筋は単純だ。
言ってしまえばクリスティーヌをめぐって繰り広げられる、音楽の師である怪人と幼馴染で憧れの人であった男との三角関係を描いただけのものである。
それでもやはり、怪人が捧げた愛の切なさはもう少し感じたかったなあ・・・。

おはん

2022-04-14 10:05:02 | 映画
「おはん」 1984年 日本


監督 市川崑
出演 吉永小百合 石坂浩二 大原麗子 香川三千
   ミヤコ蝶々 常田富士男 音羽久米子
   早田文次 宮内優子 上原由佳里
   伊藤公子 横山道代 頭師孝雄 浜村純

ストーリー
幸吉(石坂浩二)は、おばはん(ミヤコ蝶々)の家の軒を借りて古物商を営みながら、自分の小遣銭を稼いでいるしがない男である。
七年前、幸吉が町の芸者おかよ(大原麗子)と馴染みになったことから、妻のおはん(吉永小百合)は身を退いて実家へ戻り、幸吉は二人の抱え妓をおいて芸者家をしているおかよのところに住みついていた。
ある夏の日、おはんを見かけた幸吉は、悟(長谷川歩)という自分の子がいることを聞かされ、一度逢いに来てくれと言ってしまう。
秋になり、幸吉の店の前におはんが現れ、幸吉はおばはんに奥の間を借りて、彼女を引き入れる。
二人はふと手が触れ合い、愛しさがつのり身を重ねた。
その晩、おかよは幸吉に、二階が建増しできるようになったことや、姉の娘お仙(香川三千)を養女にすることを嬉しそうに話す。
そんなある日、幸吉の店へゴム毬を買いに来た子供がいた。
おはんの口からそれが悟と知った幸吉は、もう一度おはんと一緒になろうと決心する。
おはんと幸吉は、おばはんの力を借りて借家をみつけた。
おはんはおかよのことを案じたが、幸吉は納得して貰ったと嘘をつく。
おはんは悟に、実の父親が幸吉で、これからは三人一緒に暮らせると打ちあけた。
幸吉はおかよに何も言わず家を出て、おはんと共に荷を運んだ。
叔父富五郎(常田富士男)とおもちゃ市へ出かけた悟とは、午後に借家でおちあうことになっていた。
しかし、悟は土砂降りの雨の中を帰る途中、崩れかかった崖に足をとられ、渦巻く淵へ落下して死んでしまう・・・。


寸評
タイトルバックと共に五木ひろしの歌う演歌「おはん」が流れる。

だましてください さいごまで
信じるわたしを ぶたないで
おんな おんな わたしはおんな
髪のひとすじ くちびるさえも
あなたの女で いたいのよ

どんなにつめたく されたって
抱かれりゃあなたを ゆるしてる
おんな おんな わたしはおんな
声をころして すがれば熱い
死んでもあなたに つくしたい

と切々と女心を歌い上げるのだが、たしかに映画は歌われているような二人の女の性格と立場の違いによる幸吉に寄せる思いを描いていたのだが、同時に二人の女の間を行き来する情けない男の物語でもあった。

冒頭は、幸吉が芸者のおかよと深い仲になり、正妻であるおはんのほうが身を引くことになり、家財道具を処分して別れる場面である。
ここでの男の言い分は随分と身勝手なもので、男にとっては都合のよい理屈である。
関係が出来てしまった愛人を捨てておくわけにはいかないので、自分はそちらにいったん行くが落ち着いたらまた妻の元へ戻ってくると言うものである。
どちらの女も自分は大切に思っているのだという身勝手なものである。
本来なら愛人を作った夫を非難しても良い立場の妻なのだが、妻のおはんは「本来ならあなたの帰りをこの家で待たねばならないのだが、帰って来いと言う実家の意見に従うことを申し訳ない」と詫びる。
亭主も亭主なら、妻も妻ではないかと思ってしまう。
幸吉はおばはんと呼ぶ老婆の家の軒を借りて古物商を営んでいるが商売熱心とも思えず、芸者おかよのヒモ状態である。
幸吉は何とも情けない男で、一昔前なら市川雷蔵あたりがやっても似合ったであろう人物だ。
「夫婦善哉」の柳吉みたいな男だが、幸吉は二人の美女に思いを寄せられている。
おさんは幸吉に求められるままにずるずると肉体関係を復活させてしまう。
これはもう個人的な好みの問題であるが、僕はこのずるずる感をもう少し上手く描けていたらもっと面白かったと思っているのだが、吉永小百合にはそのふしだらな女を要求するのは無理のような気もする。
ダメ男は何があっても最後までダメ男で、お仙のお披露目の時に祝いの品を詰めた包みをもって、人力車のそばを嬉しそうに走っていく幸吉の姿を見ると、「懲りないなあ…この男…」と思ってしまう。
何とも羨ましい男の映画でもあった。

鬼火

2022-04-13 07:29:09 | 映画
「鬼火」 1963年 フランス


監督 ルイ・マル
出演 モーリス・ロネ
   ベルナール・ノエル
   ジャンヌ・モロー
   アレクサンドラ・スチュワルト

ストーリー
アルジェリア戦争の元将校でインテリの男、アラン・ルロワ(モーリス・ロネ)は、以前は妻のドロシーとともにニューヨークに住んでいたが、アルコール依存症の治療のためにドロシーを置いてフランスに帰国していた。
ヴェルサイユの病院に入院し、アルコール依存症は完治したが、大人になり年を取ることを拒絶するアランは人生に絶望し、自殺することを決意していた。
壁の鏡には、7月23日の文字。彼の人生最期の日だ。
鏡の周囲には、彼を愛さなかった妻の写真、マリリン・モンローの自殺記事の切り抜き、悲惨な事件の切り抜きがあり、アランは拳銃の弾丸を点検する。
アランは自殺決行の前日にパリで友人たちを訪ねる。
家庭生活に安住するプチブルの友人や、極右軍事組織OASのメンバーとして活動する友人たちと再会するが、彼らに共感することができず、アランは虚無感を募らせてゆく。
エヴァ(ジャンヌ・モロー)らは麻薬に日々を送る退廃した生活を送っている。
物事を待つだけの希望と虚偽の青春。
待ちくたびれ荒廃に絶望を感じるのはアランだけなのだろうか。
昔なじみのソランジュ(アレクサンドラ・スチュワルト)が催す晩餐会での彼女の優しさも、アランの孤独感をつのらせるばかりだった。
翌朝、療養所に戻ったアランは、読みかけの本の最後のペーッジを読み終えると、静かにピストルの引き金をひくのだった。


寸評
アランはアルコール依存症だったが、今は完治して病院からも退院を促されているが病院に居ついている。
青春時代には情熱をもって過ごしていたのだろうが、今はその情熱もなくし、人を愛することも人から愛されていることも感じられず自殺する虚無的な男である。
何もなすべきことが見つからないという不安から死を選ぶブルジョワ青年でもある。
苦渋する男の最後の二日間を痛々しくスケッチしているのは認めるとしても、この男そのものには同調できない。

僕は自分の青春時代は充実していたと自己満足している。
特に学生時代は勉学を除いては情熱も満ち溢れていた。
その為に社会人となった時には虚脱感を覚えたもので、その時の感覚を思い起こせばアランの気持ちも分からぬでもないが、それでも死を選ぼうなどとはほんの一瞬でも思ったことはない。
当たり前のように高校に進学し、当たり前のように大学に行き、当たり前のように就職した。
平凡と言えば平凡と言えなくもないが、そうすることが当然と思い疑問など抱かなかった。
それまで情熱を注いできたことと離れて虚脱感はあったが、やがて新たなことへの情熱も湧いてきたのだ。
確かに僕もただ生きているだけの人生は拒絶する。
歳をとった今でもその思いは変わらない。
社会に必要とされる人間でありたいし、ライフワークと呼べるものを持ちたいし、何かに情熱を注ぎたい。
ただ何となく食べて寝てという生活を僕は送れない。
そうなった時には、もしかしたらアランのような感情が湧いてくるのかもしれない。
しかし僕は決してそのような晩年を送ることはないだろう。

アランは自らの最後を明日に控えている。
人生に絶望してのことなのだろうが、それでも彼は親友を初めとする友人たちを訪ねる。
彼らに何を求めたのだろう。
自らの死を押しとどめてくれるものを探していたのだろうか。
アランにとって彼らの生活は平凡に映るし、共感できるものはない。
友人たちは「また来いよ」と声をかけるが、アランに明日はない。
友人たちを初め多くの人々は平凡な生活の中に幸せを感じているがアランはそうではない。
すれ違う若者たちの笑い声に、かつての自分を重ねて微笑んでしまう。
青春時代は良かった、歳はとりたくないとは子供じみている。
いやアランは子供の純真さ、純粋さを持ち続けていたのかもしれない。
人は皆子供から大人になっていくが、大人になるとはどういうことなのだろう。
ただ単に年齢を重ねることではないことは確かだ。
僕は大人になれたと思っているが、それは僕の自己満足なのだろうか。
僕にも孤独を感じる時がやってくるのだろうか。
やってきたとしても僕はアランのような行動はとらないだろう。
だからこの映画には乗り切れないものがある。

踊る大捜査線 THE MOVIE

2022-04-12 08:23:44 | 映画
「踊る大捜査線 THE MOVIE」 1998年 日本


監督 本広克行
出演 織田裕二 柳葉敏郎 深津絵里 水野美紀
   いかりや長介 ユースケ・サンタマリア
   佐戸井けん太 小林すすむ 北村総一朗
   小野武彦 斉藤暁 浜田晃 筧利夫
   小泉今日子 神山繁 隆大介 木村多江

ストーリー
お腹に熊のぬいぐるみを詰められ川に委棄された男の殺人事件と、刑事課のデスクから領収書や小銭入れなどが盗まれる窃盗事件の捜査で慌ただしい湾岸署に、その日、警察庁参事官の室井を筆頭とした本庁の面々が物々しい装備でやって来る。
実は、湾岸署管轄内に住む警視庁の吉田副総監が身代金目的の誘拐にあっていたのだ。
本庁の連中は秘密裡に捜査を進めるばかりで、一切湾岸署には協力を求めようとはしない。
そんな彼らのやり方に腹を立てながらも、湾岸署の刑事は殺人事件の捜査に躍起になっていたが、真下刑事と捜査講習を終えたばかりの桂木刑事によって、被害者がインターネットで仮想殺人のホームページに頻繁にアクセスしていたことを知った青島は、そのホームページの開発者・テディとの接触を図る。
同じ頃、室井たちは誘拐犯との身代金の受け渡しを実行に移そうとしていたが計画は失敗。
一方、青島たちも実はテディと名乗る人物が女であることを突き止めながら、彼女を取り逃がしてしまう。
そんな中、誘拐犯グループから、副総監殺害を予告する電話が入った。
室井たち本庁捜査陣は、仕方なく公開捜査に切り替え、湾岸署の刑事たちにも出動命令を下す。
その時、湾岸署に拳銃を持ったテディこと殺人マニアの日向真奈美が姿を現した。
不適な笑みを浮かべる彼女は、殺人を犯した自分を早く逮捕し、死刑台へ連れて行けと言う。
ひとりの警官の活躍で彼女を逮捕することに成功する青島だったが、その警官は制服を巧みに使用して、所内で領収書以外の小銭入れなどの窃盗を働いていた犯人でもあったのだ。
しかし、誘拐犯の方は未だなんの手がかりも得られていない・・・。


寸評
マニュアル通りに動き縄張り意識の強い官僚と現場の刑事たちの対比が面白い。
所轄の刑事たちが複数の事件を担当しながらてんてこ舞いするのだが、本庁と同様に所轄警察である湾岸署にも上層部として北村総一朗の署長や斉藤暁の副署長、小野武彦の袴田が道化役として登場し実働部隊を引っ掻き回して混乱に輪をかける。
この三人が「踊る大捜査線シリーズ」の映画としての性格付けを行っている。
深津絵里も絡ませて硬派な刑事物ではない、喜劇的要素を加味した気楽な作品でテレビ向きではある。

張り込み捜査をしている青島達の犯人逮捕と思わせておいて、実は警視副総監の接待に駆り出されていたという出だしから半分喜劇の様相を呈している。
それが副総監誘拐の伏線となっているとは言え、このバカバカしさがこの映画を肩の凝らない娯楽作に押し上げていて、観客は理屈をこねずに単純に楽しまないといけない。
猟奇事件は添え物的だが、その犯人をこの人がやるのかと驚かされる。
そしてこの犯人は「羊たちの沈黙」におけるレクター博士を多分に意識した描きかたをしている。
いわば知っている人には分かる楽屋落ちだ。
襲われて監禁された和久さん(いかりや長介)の居場所を発見するシーンは黒沢明の「天国と地獄」で、こちらは青島が「天国と地獄か・・・」と言葉を発している。
作り手が楽しんでいる感じだ。

署内で起きた窃盗事件は猟奇事件の犯人逮捕と、領収書紛失の顛末を描くために挿入されているという印象で、騒ぎの割には軽い扱いだ。
制服を着ていればだれも疑わないと言う揶揄が面白い。
複数事件を同時進行で描いて、警察庁本部と違って所轄警察がバタクサイ事件を何件も必死で解決しようとして走り回っている姿を感じさせてる。
それは捜査本部に陣取って本庁の上司の命令を受けながら指示だけ出しているエリートとの対比でもある。
室井はその板挟みになっている立場なのだが、和久さんが自分と副総監の関係を話すことで青島と室井の溝を埋めるている。
和久さんはたたき上げの刑事の象徴である。
「何がマニュアルだ!」と言って、禁止されている現場の聞き込み捜査をやっている。
青島も決め台詞である「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」という叫びも同様で、本当に働いているのは下っ端の人間なんだという主張である。
下っ端の代表格が青島なのだ。
青島が重傷を負っているという報告を聞かずに解散してしまう上層部に対し、下っ端の警察官たちが敬意をもって青島を迎えるシーンが感動を呼ぶ。
で、犯人だが、こういうバカを何とかしてほしい。
同じ悪さでも、やっていいことと悪いことの判別がつかない輩が増殖しているような気がする。

おとなのけんか

2022-04-11 08:04:07 | 映画
「おとなのけんか」 2011年 フランス / ドイツ / ポーランド


監督 ロマン・ポランスキー
出演 ジョディ・フォスター
   ケイト・ウィンスレット
   クリストフ・ヴァルツ
   ジョン・C・ライリー

ストーリー
ニューヨーク、ブルックリン。
ザッカリー・カウワンがイーサン・ロングストリートの顔を棒で殴り、前歯を折るケガを負わせたという11歳の子供同士の喧嘩の後、彼らの両親が話し合いのため集まることに。
リベラルな作家であるペネロピ(ジョディ・フォスター)、金物商を営むマイケル( ジョン・C・ライリー )のロングストリート夫妻、そして投資ブローカーの仕事をするナンシー(ケイト・ウィンスレット)と、製薬会社をクライアントにするやり手の弁護士アラン(クリストフ・ヴァルツ)のカウワン夫妻は当初、友好的に「子どものけんか」を解決しようとする。
お互いに社交的に振る舞い、冷静に平和的に始まったはずの話し合いは、次第に強烈なテンションで不協和音を響かせる。
やがてお互いの本性がむき出しになっていき、夫婦間の問題までもが露わになっていくのだった……。


寸評
被害者の家で繰り広げられるワンシチュエーションの大人の喧嘩は醜いけれど、第三者的立場で見ていると面白いし、くすぐったくなってくるようなところもある。
日本人ならわずらわしい問題を解決したら、さっさと別れてしまいたいだろうに、さすがは訴訟大国のアメリカだけあって、そうは簡単に別れない。
引き返しては言い分がエスカレートしていく。
その光景は全くもって喜劇なのだが、喜劇と言えば、ポランスキーはレイプ事件でアメリカに入国できないから、設定はニューヨークだが撮影は米国以外で行われている筈で、僕等はそのシチュエーションそのものが先ずは喜劇的だと思ってしまう。

映画は何回も何かのきっかけで元の部屋へ戻って言い争いを再開することの繰り返し。
そうなる為のどうしようもない不自然さに目をつむることで僕はこの映画の中に参加していた。
もっともポランスキーの演出には、その不自然さに目をつむらせるだけの巧さがあったとは思う。
もともとは戯曲だったらしいが、演劇的なリアリティ空間に飛び込むことで十分に楽しめた。
初めは子供に関する話の行き違いだったのが、それが次第にまったく関係のない話になっていく。
その中で、2組の夫婦が対立するだけでなく、次々に関係性が変化していくのがこの映画の見どころで、もとは舞台劇だったことを納得させられる脚本になっている。
それぞれの夫と妻が言い争ったり、1対3の情勢になったり、さっきまで対立していた同士が仲良くなったり、めまぐるしい展開で飽きさせないが、小さなアクシデントで展開に強弱をつけているのが面白い。
ペットのハムスターの話、それぞれの夫婦の愛称の話、趣味の話、はてはアフリカの紛争の話まで、話はあちらこちらに飛びまくり、挙句の果てに片方の夫に何度も仕事の電話がかかって会話が中断したり、その妻が気持ちが悪くなってゲロを吐いたりと滅茶苦茶だ。
その描き方は映画的ではなく、舞台劇そのものなのだが、これはポランスキー監督の意図よるものだろう。

けれども見終わると一体どんなやり取りをしていたのかは、遠く彼方に飛んで行ってしまっている。
残っているのは子供の喧嘩に親が出て来て、初めはお互いに譲り合って和やかムードだったのが、何かのはずみで「うちの子は悪くない」と言い争いを始め、ついには夫婦間にあった本音が出だして夫婦げんかになってしてしまうという大筋だけだった。
それは私にも思い当たる節が有り、何かで議論を始めるとやがて感情がぶつかり夫婦喧嘩に発展していく経験で、年齢を重ねると自己主張が強くなり多分にその傾向が有る。
私などは家庭円満の為に家人に対する自己主張はなるべく控え目にと心している次第だ。
そんな自己の経験が必死に字幕を追わせ、クスクスと笑いを誘うのだった。

4人の丁々発止のやり取りは流石の演技だったと思う。
特に美人系女優のケイト・ウィンスレットの醜態は女優魂といったところだった。
結局、棄てたハムスターも子供達も大人の振る舞いに関係なく、次の日には何事もなかったかのように元気に生きてるよってことかな…。

大人が見る絵本 生れてはみたけれど

2022-04-10 07:46:20 | 映画
「大人が見る絵本 生れてはみたけれど」 1932年 日本


監督 小津安二郎
出演 斎藤達雄 吉川満子 菅原秀雄 突貫小僧
   坂本武 早見照代 加藤清一 小藤田正一
   西村青児 飯島善太郎 藤松正太郎 

ストーリー
餓鬼大将、良一、啓二の兄弟のお父さんはサラリーマン。
重役の岩崎の近くに引っ越して出世のチャンスをうかがっているが、兄弟の前では厳格そのもの。
引っ越すなりすぐにご機嫌伺いの挨拶へ行き、岩崎の息子・太郎にまで気を使う。
その太郎は子分を引き連れて原っぱへ行き、吉井の子供・啓二が1人で遊んでいるのを見て喧嘩を仕掛ける。
泣いて帰った啓二の仇を取りに兄の良一が原っぱに出かけ、太郎と取っ組み合いになるが、父親の吉井が来たため争いは中断し、そのまま兄弟は吉井と帰宅した。
翌朝、吉井は会社からの帰り道で息子たちの教師に会い、学校をサボっていることを知らされる。
叱りつけられて2人は事情を説明するが、父親はただ「ちゃんと学校へゆけ」と言うばかり。
2人は作戦を立て、親しくなった酒屋の御用聞きにいじめっ子をやっつけてもらう。
兄弟はたちまち太郎の優位に立ち、彼を子分のように扱う。
やがて、岩崎の家でホームムービーの上映会が行われることになり、吉井も呼ばれた。
良一と啓二も太郎の誘いで上映を見ることになったが、そのフィルムで父親が道化者を演じているのを見て、兄弟はショックを受ける。
上映会の途中で帰宅し、不貞腐れているところへ父親が帰ってきた。
「お父ちゃんはちっとも偉くないんだね。なんで太郎ちゃんのお父ちゃんにあんなに頭を下げるの?」と問いかけると、吉井は激怒。
納得がゆかない兄弟は翌日ハンガーストライキを決行するが、空腹には勝てず、またご飯を食べ始める。
それから父親と兄弟は会社と学校に。
たまたま岩崎を見かけたため、兄弟は父親に対して「挨拶してきなよ」と促した。


寸評
僕が今見ることができる作品は後から音声を入れ込んだもののように思われるが、ビデオを無音にして見ても面白さは伝わってくるすぐれた作品だと思う。
子供の素直な視点から、肩書きに振り回されるサラリーマン社会の悲哀をユーモアを織り交ぜて描いている。
フェードイン、フェードアウトを使わずカットのつなぎで場面が展開されていくのは小津作品の特徴でもある。
前半は子供たちのユーモラスな描写が続く。
良一、啓二の兄弟が父親が務める会社の専務の家の近くに引っ越してくる。
兄弟も腕白だが、引っ越し先には引っ越し先の子供たちの世界がある。
金持ちの家の子として太郎が羽振りを利かしているが、ガキ大将は体の大きい亀吉である。
二人はガキ大将グループと喧嘩になるが、いつも多勢に無勢で負けてしまう。
誰が大将なのかを示すのが、変な呪文によって子分とも言える子供を倒す仕草だ。
ガキ大将に従っている子供たちは、亀吉から呪文をかけられると倒れなければならない。
そして再び亀吉の呪文によって起き上がるという子供らしい遊びだ。
しかし、そこには子供の世界における序列が存在しているのである。
いつもやっつけられている二人は親しくなった酒屋の小僧に助っ人を頼み、亀吉をこっぴどくやっつけてもらう。
太郎もやっつけてくれと頼むが、小僧は大得意の家の子供だからと何もせずに去っていく。
金が支配している世の中への批判を子供を通じて行っている。
ガキ大将の地位が入れ替わって良一と啓二たちがグループを率いることになる。
先ほどの呪文が良一と啓二によって行われるようになり、その事を通じて子供の世界におけるトップ交代が示されるのが愉快である。

後半は父親をなじり大人の世界を告発する子供のシリアスなシーンへと一転する。
父親は子供たちには厳格だが、会社では専務にゴマをすっている男と見られているようである。
引っ越しを手伝いに来ている部下と思われる社員の会話や、吉井が専務に呼ばれていなくなった社内では、吉井を誹謗中傷する会話がなされている。
上司の家の近くに引っ越しするのはどうかと思うが、上司に気を遣うのはサラリーマンなら当然の行いであろう。
出世欲に駆られたものでなくても、それが目上の者に対する礼儀と言うものだ。
企業戦士として働く父親は、子供たちから見れば頼もしく見えることも有るだろうが、一方で上下関係から生じる父親の態度を卑屈と思うのもまた子供ならではの感情だろう。
専務の家で映写会が開かれるが、フィルムに映っている父親の姿は子供たちからすれば屈辱的だ。
しかし父親は家庭を支えるためには出世して家庭を裕福にしなければならない。
子供たちによって大人の世界が告発されているが、それでも男たちは頑張っているのだ。
サラリーマンをリタイアした僕は、お父さん頑張れとエールを送りたくなった。
登場人物たちには子供たちから大人に至るまで細かい仕草を要求し、実に丁寧な描写がなされている。
その躍動する画面はサイレントであることを忘れるほどである。
サイレント時代にこれだけ上質の作品が撮られていたとは驚きである。
この時、小津は20才台後半であろうが、やはり彼はただ者ではなかったのだ。

男はつらいよ お帰り 寅さん

2022-04-09 10:11:58 | 映画
「男はつらいよ お帰り 寅さん」 2019年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟
   美保純 佐藤蛾次郎 後藤久美子 笹野高史
   池脇千鶴 浅丘ルリ子 夏木マリ 桑田佳祐

ストーリー
満男(吉岡秀隆)も今や50歳、かつて勤めていた靴会社を辞めて今では小説家に転身していた。
満男は6年前に妻を亡くしており、今では中学3年生になる一人娘のユリ(桜田ひより)と二人暮らしをしている。
満男は担当編集者の高野節子(池脇千鶴)から著書のサイン会開催を提案されているが、恥ずかしいからという理由で断っている。
後日、満男の亡き妻の七回忌が柴又の実家で営まれ、満男の母で寅さんの妹のさくら(倍賞千恵子)、満男の父・博(前田吟)、ユリ、妻の父・窪田(小林稔侍)らが集い、先代からその座を受け継いだ御前様(笹野高史)を迎え入れて法要が始まった。
満男はかつて両親の縁を取り持った“フーテンの寅”こと車寅次郎(渥美清)のことを思い出していた。
窪田や“タコ社長”の娘・朱美(美保純)は満男に再婚を勧めるが、満男は余計なお世話だと怒る。
しかし、満男はこの賑やかな光景に、お茶の間はいつも寅さんも交えて賑やかだったと振り返っていた。
駅で満男とユリを見送るさくらは、満男の初恋の相手だった泉(後藤久美子)は今頃どうしているかと思った。
そんなある日、結局都内の書店でサイン会を開くことになった満男は、見覚えのある女性からサインを頼まれたが、それは泉だった。
久しぶりに再会を果たした満男は泉を寅さんのかつての想い人だったリリー(浅丘ルリ子)の経営する神保町のジャズ喫茶に連れて行き、その夜、泉を両親の住む柴又の実家の2階に泊めることにした。
翌日、満男は泉を確執のあった父・一男(橋爪功)が暮す神奈川の介護施設まで送っていった。
施設では泉の母・原礼子(夏木マリ)が待っていた。


寸評
この映画は山田洋次が敬愛する渥美清にささげた作品であると同時に、「男はつらいよ」シリーズのファンに贈る作品でもある。
作中で渥美清の寅さんが幻となって表れ、過去の作品の一場面が再現される。
過去のフィルムから挿入された場面はどれもが記憶にあるシーンの連続で懐かしかしい。
当然若かりし頃のさくらも登場するのだが、倍賞千恵子さんも歳をとったなあと感じて感慨深いものがある。
歴代のマドンアたちもワンカットで登場するが、亡くなられている方もおられる中で皆さん若い。
やはり若い頃は輝いている。
反面、役者さんは若い頃の姿を作品の中に残せて幸せだなあとも思う。
50作目となる本作は、この作品の為に撮ったシーンに加えて過去の作品を登場させ、そこに渥美清の寅さんをはめ込むという手法がとられているが、映像的にもストーリー的にもその場面に対する違和感はない。
僕は「男はつらいよ」シリーズが始まったころ、映画監督の加藤泰氏と話す機会があり、氏から「音はつらいよは落語的な面白さだから長続きするよ」と言われたのだが、正に図星であった。
しかしマンネリから逃れることは出来ず、僕は前半の作品の方が好きだ。
最後の方は渥美清の体調もあって、吉岡秀隆演じる満男が中心の話になっていたのだが、それは満男と満男が想いを寄せる及川泉を絡ませたものだった。
今回は愛し合っていたが結ばれなかった満男と泉の後日談といった感じである。

満男は別の女性と結婚したが、妻に先立たれ一人娘のユリと二人暮らしである。
泉はヨーロッパで結婚してイズミ・ブルーナと名乗り、国連難民高等弁務官事務所の職員として働いている。
二人が偶然出会って過ごす三日間の話は僕の思い出も重なって、二人の心情が感じ取れる内容だった。
思い出の中の寅さんは自らの恋愛をはぐらかす満男に「思っているだけで言葉で言わないと何もしないのと同じだ」と語っていたし、満男が「いつも肝心な時に自分から逃げ出すのが寅さんの悪い癖なんだ」と言っているのだが、それは満男自身のことでもあった。
しかし僕は青年期にも満たない時期にあっては起こりえる恋愛感情と行動であったと思うのだ。
そのじれったさが思春期の恋だと思う。
その二人がお互いに結婚し子供もできた時期に再会し、一時は昔の頃に立ち返る。
僕は二人が過去の気持ちを再確認しあう空港のシーンが羨ましかった。
再び別れなければならない二人だが、気持ちだけは一生を通じて持ち続けるのだろう。

タコ社長の生まれ変わりとして娘の朱美(美保純)が登場し、寅さんの生まれ変わりが朱実の息子・浩介(中澤準)だったと思う。
この映画を見ると、歳をとって白髪が混じった寅さんの姿も見たかったなあという気になった。
東映の任侠映画が全盛で、日活のロマンポルノが登場した頃に始まった松竹の「男はつらいよ」シリーズだったが、僕にとってはまさしく青春の一ページを飾った映画だった。
ファンにとっては懐かしさを感じる作品だったが、シリーズに縁のなかった人にとっては実につまらない作品だったのではないかと思う。

男はつらいよ ぼくの伯父さん

2022-04-08 08:18:35 | 映画
「男はつらいよ ぼくの伯父さん」 1989年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 後藤久美子 檀ふみ
   吉岡秀隆 下絛正巳 三崎千恵子 前田吟
   太宰久雄 佐藤蛾次郎 関敬六 イッセー尾形
   戸川純 笹野高史 夏木マリ 笠智衆

ストーリー
寅次郎の甥・満男(吉岡秀隆)は浪人中の身であり人生に悩んでいた。
そんな時、寅(渥美清)が柴又に帰ってきた。
息子の悩みに応えきれないさくら(倍賞千恵子)は、寅に満男の悩みを聞いてくれと頼む。
気軽に引きうけ、さっそく近くの飲み屋に満男を連れていき、そこで高校時代の後輩で佐賀へ転校してしまった泉(後藤久美子)という少女に恋していることを聞かされる。
その夜満男のことで博(前田吟)と大ゲンカした寅はいつものごとくプイッと飛び出してしまう。
一方満男は日に日に大きくなる恋と進学の悩みに遂に親子ゲンカ、そしてバイクに乗って泉のいる佐賀へと向かっていった。
満男の出現にビックリしながらも感激する泉だった。
そこで偶然寅と再会した満男はさっそく二人で泉の家へ訪れていった。
郷土史研究家で人に説明するのが大好きな祖父(イッセー尾形)が寅次郎たちを迎え入れ、二人はすっかり気に入られ、ぜひ泊まってゆけという。
母親の妹に当たる寿子(檀ふみ)も親切にしてくれた。
夫の嘉一(尾藤イサオ)だけは人が家に泊まるのを嫌がっていたが、しぶしぶ了解する。


寸評
本作から後藤久美子の及川泉が重要な登場人物となるのだが、当時ゴクミと呼ばれ美人の代表の様に扱われていたた後藤久美子は派手さはないがやはり美人である。
寅さんが登場してこなかったら完全な青春映画で、流れるBGMもそれらしく感じさせる。
満男が泉に恋い焦がれる姿にいじらしさともどかしさを感じさせるが、それが青春だと思うと懐かしい。
満男が中心の話なので寅さんが失恋するエピソードはない。
泉の伯母である檀ふみに恋しそうになるが夫がいてそこから先には進まない。
「奥さん、幸せになってくださいね」と言うのがやっとである。
そしていつものように大失敗をやらかすこともない。
せいぜい満男を連れて行った飲み屋の飲食費をさくらに払わせる程度だ。
むしろ今回の寅さんは立派だ。
寅さんは満男を励ますために小野小町と深草少将の話を聞かせる。
小野小町に恋い焦がれた深草少将が100日間通い詰めて思いを遂げたんだから満男もそれぐらいの事をしろと寅さんは励ますのだが、小野小町と深草少将の話はそうではない。

小町は度々文を送り恋の成就を願う深草少将に「それほど私を想ってくださるなら、その証拠に百日の間、毎夜私の元へ通ってください。もし百夜通い続けてくださったら、私はあなたの心に応えます」と告げる
深草少将は小町の言葉を信じ毎夜小町のところへ長い道のりを通い続ける。
深草少将は、苦行のような通い道をひたすら続けて99日、あと一夜というところで雪と病により通い道の途中で倒れてしまう。
深草少将の想いにいつしか小町も少将を想うようになり、百夜目を心待ちにしていたのだが叶うことなく、二人は永遠に別れてしまったという悲劇である。
流石にこれでは励ましにならないから、寅さんは二人が結ばれたことにしている。
寅さんにそこまでの教養があったとは思えないが、見ている人たちも寅さんの話に納得してしまいそうで、間違った知識を得てしまうかもしれない。
寅さんがカッコいいのはそれだけではない。
高校教師の嘉一が満男をけなしたことに対し「私のようなできそこないが、こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、私は甥の満男は間違ったことをしてないと思います。慣れない土地へ来て、寂しい思いをしているお嬢さんを慰めようと、両親にも内緒ではるばるオートバイでやってきた満男を、私はむしろよくやったと褒めてやりたいと思います」とキッパリ言うのである。
こんな寅さんは見たことがない。
大体、嘉一という男は「満男と泉がバイクに乗っているのを見られたら、高校教師の自分はどう思われるか」とか、「泉に何かあれば自分は切腹ものだ」などと自分の身ばかりを気にしている自己中心的な教育者だ。
泉はけっして幸せとは思えないが、寅さんは泉の学校を訪問し泉に優しい言葉をかける。
優しい心を持っているが、非常に自分勝手な感情で騒動を巻き起こしてきた寅さんであるが、本作での寅さんは優等生で別人を見る思いがする。
それを是とするか非とするかは長年のファンにとっては評価の分かれるところだろう。

男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日

2022-04-07 08:47:09 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」 1988年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 三田佳子 三田寛子
   尾美としのり 前田吟 下絛正巳 三崎千恵子
   太宰久雄 佐藤蛾次郎 吉岡秀隆 すまけい
   笹野高史 奈良岡朋子 笠智衆

ストーリー
初秋の信州、寅は中込キクエという老婆の家で一晩世話になった。
翌朝、老婆を原田真知子という美しい女医が迎えにきた。
老婆は体が悪く、寅の説得もあって入院することになった。
寅は真知子の家で彼女の姪・由紀と共に夕食をご馳走になった。
由紀は早稲田の学生で短歌を趣味にしていた。
寅は真知子に一目惚れ、真知子も寅に好意をもったが、夕食が終わると寅は帰って行った。
東京に戻った寅さんは真知子のことが忘れられず、由紀が通う早稲田大学を訪れる。
尾崎茂と言う学生に由紀のクラスを調べてもらい、由紀が受講している教室に紛れ込んだが、ワットに始まる産業革命を語る教授に対しておかしな質問をし、講義を滅茶苦茶にしてしまう。
なんとか由紀と再会を果たすが、たまたま真知子も東京に遊びに来ているということを知らされる。
数日後、真知子は由紀を連れて「とらや」を訪ねてきた。
さくらやおばちゃんが暖かく迎えてくれ、寅も真知子も楽しい一日を過ごした。
しばらくして由紀から連絡が入った。
信州のお婆ちゃんが危篤だという。
寅次郎は由紀と茂の車で急いで小諸へ向かう。
残念ながら寅は臨終には間に合わなかった。
人の最期についてどう迎えさせていいのか悩む真知子は、寅次郎の胸で泣く。
寅は病院をやめたいという真知子を励まし、そして由紀にそっと別れを告げたのだった。


寸評
俵万智さんの歌集『サラダ記念日』がベストセラーとなって新感覚の短歌ブームが起きた。
歌集のもとになった短歌が「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」と言うものである。
俵万智さんの短歌もどきと共に寅さん、由紀の物語が進んでいくが、心に迫るのは独居老人問題だ。
一生の終わりをどう迎えるかは、或る程度の年齢になれば自分の前に大きく横たわってくる。
それを真知子先生を絡ませながら切々と訴えてくるのである。
「男はつらいよ」シリーズも40作を迎え、ネタも尽きてきてパワー不足が否めなくなってきたが、終の問題を据えたことでなんとか水準を保った。

小諸の駅前で知り合った老婆に気に入られ、楽しい一夜を過ごした寅だったが、実は老婆は不治の病に侵されていて余命いくばくも無く、老婆はそのことを知りつつも自分が長年連れ合いと住み続けたこの家で最後を迎えたいと願ってもいたのだ。
入院を渋っていた老婆が寅さんにも説得されて真知子先生の車で入院する日、老婆は「ちょっと待ってくれんかな…」 と言って車の窓を開ける。
見えるのは朽ち果てかけているが長年住み慣れた我が家で、老婆は「これがへえ… 見納めだ」 とつぶやく。
老婆は目をつむって淋しさに耐えながら一心に拝み、そして涙をこぼす。
真知子先生も涙をぬぐうが、見ている僕も涙がながれてしようがなかった。
一人になってしまった老人は最期をみとる者がいない。
長年住み慣れた家で終えたい、あるいは家族に見守られて一生を終えたいと思ってもかなわぬ夢である。
老婆はあの家に居続けても、もしかすると孤独死を迎えていたかもしれない境遇である。
真知子先生のような方がいてよかったと思う。

同時に提示されるのが地方の医師不足の問題だ。
真知子先生は末期医療のことや、東京に残した自分の息子との同居のことで悩み、小諸病院を辞めて自分を見つめ直したいと申し出る。
そこですまけいの院長は「自分を見つめたいか…その程度のことで辞められたら医者が何人いたって足りませんよ。こういう土地じゃね。この病院はあなたを必要としている、それが何よりも大事なことで、あなたが抱えている問題などはたいしたことじゃない」と言い切るのである。
地方は限界集落の維持に悩み、医師不足に悩んでいるのだ。
もっとも院長は続けて「東京の郊外のお母さんの家で花でも眺めながら休息の日々を送る。そのうち縁談があって、しょうしゃな病院の奥様に納まる。そんな人生があなたにとって幸せなんですか。ちっとも幸せなんかじゃない」と言っているので、どうやら院長は真知子先生に気があるような描き方でもあった。

寅さんは由紀ちゃんに、「伯母さんにいい人を紹介してやってくれ」と頼むと、由紀ちゃんは「でも、その人が寅さんじゃいけないの?」と聞き、続けて「寅さん好きなのね… おばちゃまが…」とつぶやく。
真知子先生も寅さんの胸に顔をうずめて泣くシーンがあったりしてまんざらでもなさそうなのである。
この頃の寅さんは微妙に女性から思われる寅さんに変化していて、シリーズの長期化を感じさせた。

男はつらいよ 知床慕情

2022-04-06 07:51:15 | 映画
「男はつらいよ 知床慕情」 1987年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 竹下景子 三船敏郎
   淡路恵子 下絛正巳 三崎千恵子 前田吟
   吉岡秀隆 太宰久雄 美保純 すまけい
   イッセー尾形 佐藤蛾次郎 笠智衆

ストーリー
久しぶりに寅次郎が帰ってきたというのに、“とらや”は竜造が入院のため休業中。
翌日から店を開けるというつねに、寅次郎は手伝いを買って出るが勤まる訳がない。
またまた口論の末、飛び出した。
北海道の知床にやって来た寅次郎は、武骨な獣医・上野順吉が運転するポンコツのライトバンに乗ったのが縁で彼の家に泊ることになる。
順吉はやもめ暮らしで、この町のスナック“はまなす”のママ・悦子が洗濯物などの世話をやいていた。
“はまなす”は知床に住む気の良い男たちのたまり場で、常連は船長、マコト、文男、それにホテルの経営者の通称“二代目”たち。
そこに寅次郎が加わって宴はいっそう賑いだ。
そんなある日、順吉の娘・りん子が戻って来た。
駆け落ちして東京で暮らしていたが、結婚生活に破れて傷心で里帰りしたのだ。
寅次郎たちは暖かく迎えたが、父親の順吉だけが冷たい言葉を投げつける。
身辺の整理のため、東京に一度戻ったりん子は、寅次郎からの土産を届けにとらやを訪れ、さくらたちから歓待を受けたが、とらやの面々はまた寅の病気が始まったと思うのだった。
東京から戻ったりん子も囲んで、“知床の自然を守る会”と称するバーベキュー・パーティが広々とした岸辺で開かれた。
そこで一同は悦子が店をたたんで故郷に帰る決心であることを知らされた。
順吉が突然意義を唱え、寅次郎は「勇気を出して理由を言え」とたきつける。
順吉は端ぐように「俺が惚れてるからだ」と言い放った。
悦子の目にみるみる涙が溢れる。
寅次郎はりん子に手を握られているのに気づき身を固くした・・・。


寸評
何といっても渥美清と三船敏郎の共演である。
コマーシャルで引切り無しの人気タレントは数多くいるが、大スターと言われる俳優は滅多にいないものだと痛感させられる三船敏郎の存在感である。
それにベテランの淡路恵子が絡んで大人の芝居を見せてもらった。
知床の草原でバーベキューをやっているのだが、そこで三船敏郎が寅さんに促されて愛を告白する。
「今言わなかったらな、一生死ぬまで言えないぞ」と寅さんは三船の先生に言うのだが、それはずっと寅さんがやってきたことの反面教師から出た寅さんの叫びである。
先生は意を決して「よし!…、言ってやる…。言ってやるぞ!」と吐き出すと、寅さんは「よし!!いけええー!!」と応援する、まるで青春ドラマの1コマが演じられる。
そして三船敏郎の先生は、スナックをやめて田舎の新潟に帰るというスナックのママに叫ぶ。
「俺が反対しているのは…、俺が惚れているからだ!悪いか!」
それを聞いたママの淡路恵子が女学生のように顔を覆って泣く。
彼女の目、表情、口跡がまるで少女のように変化するのである。
プロポーズした三船さん、プロポーズされた淡路さんに、ベテラン俳優の凄さを感じた瞬間だった。

渥美清さん、三船敏郎さん、淡路恵子さんの共演に加えて、森繁久彌さんの「知床旅情」が流れる。
それだけで非常に贅沢な作品だと言える。
そして珍しいことに、りん子さんが2度もとらやを訪ねているのに、とらやで寅さんと出会う場面がない。
美人のマドンナが現れて恋の騒ぎが巻き起こるのが定番だったのにそれはない。
ちょっと寂しい気がする。
寅さんはりん子さんとの仲を冷やかされたことで知床を去っていくが、それは三船先生が淡路ママへの思いを寅さんに指摘された時と同じ状況で、船長の寅さんへの指摘もズボシだったのだ。
寅さんは美しい知床に定住することなく、再び旅がらすとして去っていくのだが、いつになく美しい知床の自然と景色がいっぱい映し出されていた。
すまけいの船長は「アキアジが生まれた川に戻ってくるようにりん子ちゃんが帰って来た」と挨拶し、「オジロ鷲がシベリアから飛んできて、この知床半島に羽を休めるように、寅さんという色男が仲間に入ってくれた」と挨拶したが、結局りん子さんが北の大地で羽を休め、そして羽ばたいて行ったのだ。

見ていると細やかな演出が目に付いた。
寅がいるとらやの向こうに印刷工場があって、芝居をする向こうの窓越しに印刷工場で働く一人の工員の姿がぼんやりと背景で小さく写り込んでいる。
工員が居なくても良いようなカットだが、そこでも芝居させているのだ。
先生の動揺する気持ちを愛用の帽子で上手く表現していた。
りん子が帰ってきた時に、先生は居場所をなくして出かけるのだが、その時帽子がポトリと落ちる。
ママさんが店をやめると聞いた時もやはりポトリと帽子が落ちる。
それは自然なカットで目にも止まらないものなのだが、そのような些細なことにも気を配るのが映画だと思う。

男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎

2022-04-05 07:35:03 | 映画
「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」 1983年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 竹下景子 中井貴一
出演笠智衆 前田吟 松村達雄 杉田かおる

ストーリー
車寅次郎(渥美清)がふらりとやってきたのは義弟の博の生家がある備中高梁。
今年は博(前田吟)の亡父の三回忌にあたり、その墓参りを思いついて訪れたのである。
そこで寺の和尚(松村達雄)と娘の朋子(竹下景子)に出会った寅次郎はお茶に呼ばれ、すすめられるままに酒へと座は盛り上がりすっかり和尚と意気投合。
朋子の弟・一道(中井貴一)は仏教大学に在籍しているものの写真家になりたいといって父と対立していた。
翌日、帰ろうとした寅次郎は朋子が出戻りだということを知る。
そこに法事の迎えがやって来て、二日酔の和尚に代って買って出た寅次郎は、名調子の弁舌がすっかり檀家の人たちに気に入られてしまい、寺に居つくハメになった。
数日後、博、さくら、満男(吉岡秀隆)の親子三人が三回忌の法事で寺にやってきた。
そして、介添の僧の姿をした寅次郎を見て度胆を抜かれる。
ある日、大学をやめて東京の写真スタジオで働くという一道を和尚は勘当同然に追い出した。
一道には病弱な父を支えて酒屋を切り盛りしているひろみ(杉田かおる)という恋人がいた。
ある夜、和尚と朋子の「寅を養子に」という会話を耳にした寅次郎は、翌朝、書きおきを残して東京に発った。
とらやに戻った寅次郎は、一同に余生を仏につかえることを告げ、帝釈天での押しかけ修業が始まった。
ある日、とらやに一道とひろみが訪ねてきた。
お店の休みを利用して上京してきたひろみ(杉田かおる)を泊めてほしいとのことだった。
結局、二人共二階の寅次郎の部屋に泊まり、数日後、朋子がそのお礼に訪ねてきた。
寅次郎は嬉しいのだが、そわそわしてゆっくり話そうともしない。


寸評
「男はつらいよ」シリーズで寅さんの相手役となるマドンナとして浅丘ルリ子がリリー役で4回登場しているが、竹下景子はそれに次ぐ3回の登場を果たしている。
「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」が第1回目の作品となる竹下景子だが、山田洋次が気に入ったのか渥美清が気に入ったのか浅丘ルリ子と違い竹下景子は毎回違う役柄で登場している。
帝釈天で産湯を使ったと口上を述べている寅さんが僧侶になって活躍すると言うのが面白い設定となっている。
2代目のおいちゃん役をやった松村達雄が和尚役で顔を見せて懐かしさを感じさせる。
当初は寅さんの片思いが定番だったが、この頃になると寅さんがその気になれば結婚できたであろうと思われる女性が登場していて、本作もその部類に入る作品だ。

寅さんは人情味の熱い男だが失敗ばかりを繰り返している。
しかし法事の仕切りなんかをやらせると力量を発揮する男でもあり、寺男として活躍するのが可笑しい。
もっと寅さんの寺男としての活躍を見たかったという気持ちがある。
「不揃いの林檎たち」というテレビドラマでブレイクしていた頃の中井貴一が登場し、父親と反目する長男を、そして杉田かおるに思いを寄せる青年をさわやかに演じていて片りんを見せている。

当初、寅さんは朋子さんとの結婚を考えていたはずで、さくら達に本気で相談していたと思う。
御前様の下で修業するようになるが3日で音を上げてしまう。
その様子は全く描かれていないが、それも見せ場の一つになったはずで、僕としては描いて欲しかった。
普段は冗談を言わないおいちゃんの竜造が「これが本当の三日坊主ですな」と言って、御前様のひんしゅくを買う場面や、御前様が竹下景子に見とれて「修行が足りない」とつぶやくシーンなど、相変わらず小ネタの笑いがシリーズファンの感性をくすぐる。

一道がひろみと再会するシーンは感動的だが、朋子が高梁まで帰る時間になってからの、寅さんと朋子さんの見せる行動はそれ以上に感動的だ。
朋子さんは寅さんに思いを伝えたいが時間がない。
駅まで送ってくれるようにそっと言うが、寅さんは照れ臭くなって土産物を買いに出ていってしまう。
寅さんが土産を買って来て柴又駅に来た時はもう電車が来る時間だ。
必死で思いを告げようとするが、一道やひろみのようには寅さんも朋子さんもなれない。
気を利かせたさくらがそっと二人から離れて電車を待つ。
じんわりとくるいいシーンだし、竹下景子がそっと寅さんの袖口をつかむ仕草にグッとくる。
寅さんによれば、それが大人の男と女の秘密なのだろうが、肝心なところで寅さんは茶化してしまう。
朋子さんは「私の勘違い?」と言って去っていく。
二人が分かれるシーンとしては出色の出来と言っていい。
竹下景子はこの後、第38作「男はつらいよ 知床慕情」、第41作「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」で再び登場するが、この朋子役がいちばんいい。

男はつらいよ 花も嵐も寅次郎

2022-04-04 07:53:42 | 映画
「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」 1982年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 田中裕子 沢田研二
   下絛正巳 三崎千恵子 前田吟 太宰久雄
   佐藤蛾次郎 吉岡秀隆 内田朝雄 児島美ゆき
   馬淵晴子 殿山泰司 アパッチけん 光石研
   高城美輝 笠井一彦 朝丘雪路 笠智衆

ストーリー
大分は湯平温泉でバイをする寅は、馴染みの湯平荘に宿をとった。
夜、寅と宿の親父、勝三が酒を飲んでいると、そこへ、ひとりの青年が現れた。
三郎というその青年は、かつて、この宿で女中をしていた女性の息子で、その母がひと月ほど前に病死し、遺骨を埋めにこの地にやって来たという。
彼の親孝行に感心した寅は、さっそく昔の知り合いを集め、供養をしてやる。
同じ宿に泊り合わせていた、東京のデパートに勤めている旅行中の螢子とゆかりという二人の娘も、寅はその席に座らせてしまう。
翌日、二人の娘と見物をしていた寅は、車で東京に帰ろうとしていた三郎と出会い、その日は四人でドライブをすることになった。
そして夜、二人の娘と別れるときになって、三郎は螢子に付き合って欲しいと言う。
突然のことで、螢子はとまどうようにフェリーに乗り込んだ。
車で東京に帰った寅と三郎はヘ卜ヘトになって柴又に辿り着く。
とらやの家族の団らんは、母と二人で育った三郎にはとてもうらやましく思えた。
そして、三郎は自分の思いを螢子に伝えてほしいと寅に頼んで帰っていった。
一方、螢子も、寅との楽しい会話が忘れられず、とらやを訪ねた。
寅は三郎の気持ちを螢子に伝える。
親のすすめる見合いを断った螢子だが、三郎は二枚目すぎると乗り気ではない。
そこで寅は、螢子をとらやに招待し、彼女には知らせずに三郎も呼んだ。
ぎこちない二人だが、なんとかその日からデートをするようにはなったけれど・・・。


寸評
渥美清さんと仲のいい朝丘雪路さんがチョイ役で出演。
とらやの前の江戸家の桃枝として派手な服装で登場する。
馴れ馴れしくじゃれる桃枝と寅をみて社長が「もう惚れちゃったのかい?早いねェ~今度は」と茶々を入れる。
ふたりが過激にいちゃついているところへ、怒った旦那がやって来て桃枝は旦那のところへ…。
ハイさよならとなって、再び社長が「もう、ふられちゃったのかぁ、こりゃまた早いねえ~」と言う。
この頃のシリーズの中では、このギャグでなかなかよくできた導入部になっていたと思う。

次に起こるのが夕飯時の松茸騒動である。
少量の松茸を使った松茸ご飯を皆で食べるが、松茸はどこにあるのか分からないくらいのものだ。
満男の茶碗に入っていた松茸を見つけた寅さんが「あ、いい女! いい女だ」と子供に言う言葉とは思えないもので気を引いて、満男の松茸をパクってしまう。
満男が「あ!ずるい! 返してよォー!」と言うと、寅さんが「卑しいマネするんじゃない! お前わぁ~」とあべこべなことを言うのが何とも可笑しかった。

今回の寅さんは九州は大分を旅している。
最初の場所は臼杵の石仏で、寅さんは小道を歩いている。
僕も随分と昔に早朝の臼杵の石仏群を訪ねたことがあるのだが、早朝だったこともあり人は誰もおらず、周りの小道もひっそりとしていて、随分と風情のあるところだったことが思いだされ懐かしかった。
あまりの早朝で係りの方もおらず、無料で僕はじっくりと見学できたのだった。

少し奥まった場所にある湯平温泉で蛍子ちゃんたちと出会った寅さんは、湯平駅で恋愛談義をかわす。
そこで蛍子の連れのゆかりが「結構ファンがいるのよ、ほら、変な色気があるでしょ、この子」と蛍子を評する。
そうなのだ、田中裕子さんのあのぞくぞくっとする不思議な魅力は一体なんだろう。
若いのに、その身のこなしがやけに色っぽいのだ。 いいわあ~、田中裕子は!

散々三郎と蛍子の仲を取り持って奮闘してきた今回の寅さんなのだが、三郎と蛍子が結婚の約束をしたのを聞き旅に出かけることになってしまい、出かける前にちょっと薄笑いを浮かべながら、さくらに「やっぱり、二枚目はいいなあ…。ちょっぴり妬けるぜ」と言い残す。
やはり寅さんは蛍子に恋していたことが判るが、寅さんも三郎青年と同じ気持ちだったのだ。
秘かに思っているが、気持ちを素直に口に出して言えないのだ。
男のそんな純な気持ちの在り方を、少し前蛍子に言って聞かせた寅さんの言葉が思い起こされる。
田中裕子の魅力がプンプンだったが、三郎と蛍子の恋の進展がほとんど描かれていなかったのは残念だ。

後年になってこの作品が注目されるのは、沢田研二、田中裕子のふたりがこの共演を境に急激に恋仲になり、不倫になってしまって、すったもんだの後で数年後に結婚したことによる。
実生活でも三郎青年と蛍子ちゃんだったわけだ。

男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋

2022-04-03 08:13:21 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」 1982年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 いしだあゆみ 下絛正巳
   三崎千恵子 太宰久雄 佐藤蛾次郎 吉岡秀隆
   前田吟 笠智衆 柄本明 津嘉山正種
   杉山とく子 関敬六 片岡仁左衛門

ストーリー
葵祭でにぎわう京都、鴨川べりで休んでいた寅次郎は、ひとりの老人と知り合った。
孤独な感じの老人に寅次郎は声をかけ慰めたところ、老人はうれしくて先斗町の茶屋に寅次郎を誘った。
老人は加納という有名な陶芸家だった。
酒に酔い、翌朝、寅次郎は加納の家で目がさめ、その立派さにびっくりしてしまう。
そして加納家のお手伝い・かがりと会う。
かがりは丹後の生まれで、夫は五年前に病死、故郷に娘を置いてきていることを知った。
加納は弟子の蒲原とかがりが夫婦になることを望んだが、蒲原は他の女性と結婚するといい、それを聞いたかがりは丹後へ帰ってしまった。
旅に出た寅次郎、足がむいたのは丹後で、かがりは思いのほか元気だった。
その夜、偶然二人きりになってしまい、まんじりともしない一夜を過ごした。
そのことを気にしつつ、東京に帰った寅次郎が再び旅に出ようとした矢先、かがりがとらやを訪ねて来た。
帰りぎわに鎌倉の紫陽花で有名な寺で待っているという手紙をにぎらされた。
当日になると一人では心細いと、甥の満男を一緒に連れて出かけた。
満男を同行した寅次郎をみて、かがりの表情には落胆の色が浮かんだ。
かがりは胸のうちを寅次郎にぶちまけるチャンスもなく、そのまま丹後に帰ってしまった。
かがりは本当は寅次郎が好きだったのでは、と言うさくらに、あんな美人で賢い人が俺のようなヤクザを思うわけがないと言ってとらやを後に旅立っていった。
数日後、さくらのもとにかがりから故郷で元気に働いているとの便りが来た。
そのころ信州の古い宿場で寅次郎は加納の名をかたって瀬戸物を売っていた。
寅次郎の前にひょっこり姿をあらわしたのが寅次郎のさすらいの生活にひかれて旅に出た加納だった…。


寸評
僕は丹後地方へ3度ほど旅したことがある。
一度目は学生時代、丹後ちりめんの機織りの音がする海岸近くの田舎だった。
若い人の姿は見えず、随分と淋しい町だと思ったことがよみがえってくる。
二度目は親しくしていた近所の人と丹後半島の間人(たいざ)へカニを食べに行ったのだが、伊根の街並みは車で通り抜けただけだった。
三度目は会社の忘年会で、再び伊根を通り過ぎただけだったが、道の駅から伊根の船宿を遠望した。
舞台となった京都の鴨川べりも、五条坂も知った場所ではあるが、やはりかがりさんの田舎である伊根が懐かしいし、伊根の景色が清楚なかがりさんによく似合った。
あじさい寺や江の島のかがりさんより、伊根のかがりさんがステキだった。

かがりさんを訪ねて寅さんは「誰を怨むってわけにはいかないんだよなこういうことは。そりゃ、こっちが惚れてる分、向こうもこっちに惚れてくれりゃぁ、世の中に失恋なんていうのはなくなっちゃうからな。そうはいかないんだよ」 となぐさめるが、それは寅さんが幾度と体験してきた経験談でもある。
この時、かがりは寅さんにほのかな思いを抱いていたのだろうか。
そうだとすれば、赤い鼻緒の下駄を上げた時だろう。
何かをあげることで愛情の表現となることは、例えば「緋牡丹博徒 お竜参上」における今渡橋でのミカンにも見られるように度々モチーフとして描かれてきた。
笑顔を忘れていたかの様なかがりは、寅さんからもらった下駄を抱いてニッコリ微笑むのである。

寅さんはかがりの家に泊まることになるが、ここでの寅さんの様子はやけにシリアスである。
子供を寝かしつけに寝床に入ったかがりの素足が見える。
かがりは寅さんが寝ている部屋へ忍び入る。
窓を閉め、電気を消し、寅さんの横で彼を待つが、寅さんは寝たふりをしてそれに応えようとしない。
かがりさんの清楚な雰囲気からは想像できないような女性の情念がほとばしり出る場面だ。
あれれ・・・、これは喜劇映画じゃなかったのかと言いたくなるシリアスな場面だ。
結婚願望は強いのに、結局は結婚することを拒否してしまう寅次郎なのである。

寅さんはとらやを訪ねてきたかがりからそっと手紙を渡され、鎌倉のあじさい寺でデートする。
珍しく寅さんは女性の方から言い寄られたのである。
寅さんは常に片思いの恋をしているが、女性の方で寅さんへOKという意思表示をしたのは第十作「寅次郎夢枕」における、お千代坊の八千草薫以来ではないか。
満男はかがりと別れた寅さんが電車の中で涙を流すのを見る。
おそらく満男はこれから恋愛経験豊富な寅さんの影響を受けていくのだろうが、その最初の出来事だっただろう。
関西歌舞伎の重鎮、片岡仁左衛門がさすがのオーラを出していた。
彼の言う「こんなええもん作りたいとか、人に褒められようてなあほなこと考えてるうちは、ろくなもんでけんわ」とは我々の社会生活への警告でもあった。

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎

2022-04-02 08:49:44 | 映画
「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」 1981年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 松坂慶子 下絛正巳
   三崎千恵子 前田吟 太宰久雄 佐藤蛾次郎
   吉岡秀隆 正司照江 正司花江 初音礼子
   マキノ佐代子 関敬六 斉藤洋介 笑福亭松鶴
   大村崑 芦屋雁之助 笠智衆

ストーリー
気ままな旅ぐらしを続ける寅次郎は、瀬戸内海の小さな島で、ふみという女に出会った。
大阪、新世界界隈。
例によって神社でバイに精を出す寅の前を三人の芸者が通りかかった。
その中の一人に、あの島で会ったふみがいた。
数日後、柴又のとらやに、手紙が届いた。
ふみとのこと、ニ人で毎日楽しく過ごしているとの内容に、とらやの一同は深いため息をつくばかり。
ある日、寅はふみから十何年も前に生き別れになった弟がいることを聞いた。
「会いたいけど、会ったって嫌な顔されるだけよ」と言うふみに、たった二人の姉弟じやないかと会いに行くことを勧める寅。
二人はかすかな便りをたどって、ふみの弟、英男の勤め先を探しあてた。
しかし、英男はつい先月、心臓病で他界していた。
英男の恋人、信子から思い出話を聞き、涙を流すふみを寅はなぐさめる言葉もない。
その晩、寅の宿に酒に酔ったふみがやって来た。
「寅さん、泣いていい?」と寅の膝に頭をのせ、泣きながら寝入ってしまうふみ。
寅は、そんなふみに、掛布団をそっとかけると、部屋から出た。
翌朝、ふみの姿はなく、「寅さん、迷惑なら言ってくれればいいのに。これからどうして生きていくか、一人で考えます」との置手紙があった。
数日後のとらやでは、家族を集めて、寅が大阪の思い出話をしていた。
そこへ、突然ふみがとらやを訪ねてきた。
ふみは芸者をやめ、結婚して故郷の島で暮らすことを報告に来たのだ。
「お前ならきっといいおかみさんになれるよ」と哀しみをこらえて、明るく励ます寅次郎だった。


寸評
サブタイトルが示すように今回の舞台は大阪で、大阪人の僕はそれだけで感情移入してしまう。
大阪の芸人が多数登場して浪花情緒を出している中にあって、松坂慶子の大阪弁のイントネーションには少し違和感があったが、それでも見慣れた場所が出てきて嬉しくなってしまう。
先ずは通天閣がある新世界で、寅さんは初音礼子が経営する新世界ホテルに居ついているのだが、そこの息子が芦屋雁之助で寅さんの友人である。
雁之助の喜介も寅さん同様、いい年をしていつまでも「お母ちゃん、お母ちゃん」と言っているダメ男だ。
友人をいいことに宿賃を払わずに居ついているのだが、二人の掛け合いは愉快だ。
そこの亭主なのか、入り口のソファーにいつもいるのが笑福亭松鶴である。
酒飲みの芸が得意だった落語家だけに、コップ酒を持つ姿は板についている。

今回のマドンナ、松坂慶子と再開するのは石切りの参道である。
石切り神社は毎年初詣に出かける神社で、参道の様子も見慣れたものである。
松坂慶子と共に登場するのが芸者仲間の正司照江、花江のかしまし娘の次女と三女である。
彼女たちの賑やかなやり取りはお手の物である。

寅さんと松坂慶子のふみが出かけるのが生駒の宝山寺で、僕はこの神社もお参りしたことがある。
ケーブルカーにも乗ったし、参道の階段も上り下りした。
彼等は生駒遊園の前にあるレストランで、持参したお弁当を食べていたが、さすがにその店では持ち込みは許していなかったと思うのだが、そこは映画なのでケチは付けないでおこう。
南の宗右衛門町も出てくるが、僕は素通りするだけで宗右衛門町で遊んだことがない。

松坂慶子がマドンナと言っても今回のからみは深くはない。
瀬戸内海の島で出会い、大阪で再会するのだが、ふみの生き別れの弟の件がかなりしんみりと描かれて笑うどころではない。
運送会社の配車係長として大村崑も登場するが、しんみりムードには適役で笑いはとらない。
弟は亡くなっていて、おまけにその恋人だった女性が登場してきてお涙頂戴である。
寅さんの片思いが匂わされるのは、所々でふみの旦那さんと呼ばれ、否定しながらもまんざらでもない姿だけだ。
そんな気分になる通天閣ホテルの一件も、ふみの置手紙であっさりとケリがついているのである。

ふみは結婚することになった相手を伴って寅さんを訪ねてくるが、その必然性がどこにあったのか?
結婚相手の男の故郷である対馬に行くのだが、途中で寄るならともかく、大阪からは対馬の正反対に当たる東京まで来ているのである。
わざわざ結婚報告をしに来るだけのものが、その前に十分描かれていないのだ。
いつもならマドンナがとらやに登場して寅の片思いのひと騒動が起きるのだが、今回は結婚報告なのでその騒動はなく、寅とマドンアがとらやで再会してすぐに別れとなってしまう。
何か物足りなさを感じた結末で、寅さんが対馬にふみ夫婦を訪ねるラストがせめてもの救いか・・・。
大阪が舞台でなかったら不満が残る内容ではあった。

男はつらいよ 翔んでる寅次郎

2022-04-01 07:39:28 | 映画
「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」 1979年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 桃井かおり 布施明
   下絛正巳 三崎千恵子 太宰久雄 中村はやと
   佐藤蛾次郎 前田吟 笠智衆 松村達雄
   犬塚弘 桜井センリ 湯原昌幸 木暮実千代

ストーリー
北海道を旅する寅次郎、ひとり旅の娘・ひとみと知り合い、彼女が旅館のドラ息子の毒牙にかかろうとしているところを救ったことから、一夜の宿を共にすることになった。
ひとみはある会社の社長の息子との結婚をひかえており、何となく気が重く、そのことを寅次郎に話すと、寅次郎から賛沢だとたしなめられる。
数日後ひとみと邦夫の結婚式が豪華に行なわれていた。
しかし、人形のような花嫁姿に耐えきれなくなったひとみは、ウエディングドレスのまま式場を飛び出し、タクシーに乗ると、思わず、寅次郎から聞いていた“柴又”と言ってしまう。
寅次郎がひょっこり帰ってきたところへ、花嫁姿のひとみがやってきて、“とらや”一家は大騒ぎ。
やがて、ひとみの母・絹子がむかえに来るが、ひとみは頑として家に帰ろうとせず、気持が落ちつくまで、ひとまず“とらや”であずかることにした。
ひとみの家の者は、彼女が式場から逃げ出したのは、寅次郎のことが好きだからだと誤解していた。
その話を、ひとみは笑い話として報告するが、寅次郎の胸はときめくのだった。
ひとみを訪ねて邦夫がやってきたが、寅次郎は失恋も人生経験のひとつとなぐさめるのだった。
それから間もなく、邦夫は近くの自動車修理工場で働き出した。
彼はひとみを悪く言う父に反発、家を出て会社も辞め好きなひとみの住む町で暮らそうと決心したのだ。
邦夫の知らない一面を見てひとみは心を動かされ、改めて邦夫との結婚を決意する。
そして仲人を寅次郎に頼んできて、ひとみと邦夫の結婚式が、区民会館の一室で行なわれた。
寅次郎一世一代の仲人役は挨拶用紙をなくして、てんやわんやだったが、結婚式は、心から二人を祝う人々にかこまれて盛りあがり、ひとみの唯一の肉親として出席していた絹子も感激の涙をこらえることができなかった。
数日後、例によって、寅次郎は柴又を後に、旅にでるのだった。


寸評
いつもマドンナにフラれているばかりの寅さんは今回も一応フラれた形だが、どちらかと言えばマドンナに世話を焼いて奮闘する寅さんという感じである。
ちょっと浮世離れした田園調布のお嬢様を桃井かおりがけだるく演じている。
先ずは湯原昌幸の宿屋の若主人と繰り広げられるドタバタで笑わせる。
若主人の弱みに付け込むやり取りが、桃井かおりの言い回しもあって笑わせる。

今回の特徴は3回も結婚式の場面があることである。
そのかかりとして印刷工場の中村君の結婚式が描かれる。
貧しい中にも皆から祝福された幸せな結婚の象徴である。
旅先で知り合ったひとみも結婚式を挙げるが途中で逃げ出してしまう。
これが2度目の結婚式シーンである。
映画「卒業」ではないが、ウエディングドレスのまま飛び出し、とらやに居る寅さんの胸に飛び込んでくる。
ひとみは「ママの考えている幸せとは違う幸せが欲しいの」と言う。
ひとみさんの言ったこの言葉の意味を、面白さを保ちながら追及することが今回のテーマともいえる。

ひとみは親の大きな庇護の元から飛び出し、初めて自分の力だけで生きはじめる。
それで小さな幸せしか手に入らなくても、そのちっぽけな幸せは紛れもなく彼女が自分で手に入れたものであることに意味があり、それは新婦に逃げられた新郎の小柳邦男にも同じことが言えるのである。
人は自分が得ている小さな幸せに気がつかない。
小さな幸せを得ていることの幸福感を寅さんはひとみに言って聞かせる。
ひとみや邦男にたして、珍しく寅さんは大人なのである。
おいちゃんが珍しく面倒見たくないと言ったひとみだが徐々に変わり始める。
邦男も親の会社を辞めて自分の道を歩き始める。
しかし、ひとみにしても邦男にしてもどこか甘さが残る。
見ている僕たちは、世の中そんなに甘くはないぞとの気持ちがあるのだ。
上流階級のお坊ちゃま、お嬢様の甘さを感じてしまうのがこの作品の欠点だ。

結局、ひとみと邦男は結婚式を挙げることになる。
3度目の結婚式シーンだ。
邦男の妹役で戸川京子さんが出演しているのだが、彼女の披露宴でのスピーチはなかなかよかった。
邦男側からの唯一の出席者である。
ひとみ側からは母親の木暮実千代がただ一人遅れてやってくる。
僕は、博とさくらの結婚式を思い出していた。
いつもは振られてマドンナのもとを去っていく寅さんだが、あろうことか彼はこの結婚式で仲人を務めている。
祝辞の紙を失くしてアドリブでやる寅さんの挨拶が可笑しい。
渥美清の本領発揮だった。
虎屋の面々が山の手言葉に四苦八苦する姿も笑わせた。