六年位前、左目がなんとなくおかしいことに気が付いた。その頃、よく加齢黄斑変性のことが新聞紙上で話題になっていた。碁盤の目の中に黒い点があり、周りの直線が歪んでいる絵が出ていた。それを知っていたので、片目をつぶった。 ん! おかしい!!! おかしぞ!!! 右目をつぶって見た。ものが歪んで見える。真ん中が見えない。 四月下旬の暖かい日であった。右目をつむって行き違う人の顔を見ると真っ黒になって見えない。 てっきり加齢黄斑変性だと思った。 ともかく眼科医に行かなければ、と翌日近くの眼科医に出かける。ものすごい患者の数。受付で目の症状を告げるそして二時間以上待った。やっと自分の名前が呼ばれた。目を見てもらえると思ったが、違った。検査である。検査は眼科なので当然視力検査から。眼底検査。-- 終わると、しばらくまた待つ。 やっと先生の検査である。現像した写真を見ながららの説明である。「黄斑部分に穴が開いている。」との説明。穴が開いているためにそこが見えない、とのこと。「原因は何ですか?」と、私は質問をした。回答は「年です」との一言。--むーーー。そんな返事なら素人の自分にもできる。実際その時には腹が立ったことを覚えている。 なぜ今の医者たちは「年です」とのかいとうが多いのか? それでは、「加齢黄斑円孔」とはどんな病気なのか? ---”眼底の中心にある黄斑部の網膜に孔(あな)があく病気である。物が見ずらい。高齢者に多い。---簡単に説明するとこういうことになる。 「手術をしますか? 100%は良くなりません。 80%くらいはよくなります。また、白内障にはなります。100%盲目にはなりません。」 「わかりました。手術をします。」自分は、手術に賭けようと思った。片目がだめでも右目がある。 手術まで半年ほど待たなければならない。あまり遅くなると、手術の甲斐がなくなるそうである。 10月の中頃だったと思う。 入院しました。 病室は10階でした。四人部屋でした。窓から眺めると山の端に沈む夕日が淀川の水に反射して夕焼けが一層美しい。翌日は手術でした。 1時間ほどで終わる予定でした。手術用の衣服に着替えて、部屋に入る。大きな部屋でした。やはり何となく陰気な感じでした。 担当の先生の執刀です。予定お時間は一時間でしたが二時間を回りました。手術室は寒い。眼に麻酔です。痛みは感じませんでした。 やっと終わり、目に眼帯。部屋に戻る。そこからが大変でした。 うつむいて寝ているのです。これがまたつらい。ずーーとうつむいて寝たことがない。 苦しい。あまりつらいときには、少し起き上がることが出来ましたが。やはり初めての経験です。 辛かったですね。 約三週間の入院生活でした。眼帯は取れましたが、左目は、薄いすりガラスを通して見ている感じです。これからずうっとこのような目で生活していか なくてはなりません。 今現在の状態です。 ① 視力は少しずつ落ちてきている。 おそらく、0.1~0.2位かな? 右目は、0.5位かな。 ② 視野が狭くなつている。 左からくるものが見にくい。 車などが来ると、時々ヒヤッとする。 ③ 白内障なっている。 これは、手術前に説明を受けていた。 ④ 焦点が合わない。 物を掛けるときに、かからない。 道を歩くときには、躓く。 ③以外は説明がなかった。 見ずらいこと、見ずらいこと。 やはり、手術をするということは、肉体にメスを入れるということである すなわち、神経を切断する。筋肉を切る、ということです。 今は、手術はしない方がよかったと思っている。将来は、京大の山中伸弥 先生が発見したiPS細胞による手術で良くなると思う。その頃には、自分はもうこの世には存在しないであろうが。 眼にはアクリルが入っているが、良くなるどころか、年々悪化している。今は、よくよく考えて、眼の手術に限らず手術をするべきであったと思う。神様からいただいた肉体に傷つけたことへのお詫びでもある。