朝は眼が覚めて、一日が始まる。当たり前のことですね。---- ? この当たり前のことが、当たり前ではないのです。 目が開く、手が動く、足が動く、息ができるーーーーー 食事ができる。お米を作ってくれた人、市場に運んでくれた人、販売店の人。そして、食事の支度をしてくれた人。様々な人に助けられてやっと 自分の口に入る。ありがたいことだ。 外へ出たら、空気がおいしい。青空が見える。歩きたいとおもったら、足が動いてくれる。口や鼻での呼吸で生きている。こうして、 70才の半ばまで生きてきた。いや、生かされてきた。人間は、自分一人では生きられない、生まれててすぐには、母のおっぱいにお 世話になる。 大きくなるまで、親に、先生に、先輩に、会社員になれば、また、先輩方や上司に世話になる。独り立ちするまで 世話になりっぱなしである。感謝感謝。--。 この体はどうか? 血が通う。神経があり、痛みもわかる。オールカラーに見える眼もある。歩くことも、走ることも、しゃがむこともできる。 眼は、人間にとって不必要なものは見えないように作ってもらえている。ウイルスやばい菌といった見えるとかえって困るものまでは見えないように 作って貰っている。 次の言葉は、かの有名なアインシュタイン博士の言葉です。 晩年に、『宇宙に意志あり』という言葉を残しています。 人間だけではありません。生きとし生きるもの、すべてがこの意志にによって生かされています。 それでは、この意志とは何なんでしょう? この意志によって、人は生まれ育ち、成長をしていきます。
宇宙意志の発動者は、「神」の存在しかありません。 一日が終わり、眠りにつき、また、目を覚まして一日が始まる。こうして、毎日毎日の繰り返しです。当然として、一日のなかに、苦しみや 悲しみや、うれしいことや楽しいことが、人それぞれにあります。そうした人それぞれの出来事が、宇宙意志の中の一コマではないのでは ないでしょうか。 宇宙意志(神)は、いつも一人一人の傍で見守ってくださる。苦しい時もあるかもしれないが、かならず、一生懸命に生きれば明かりが見える。 私は、朝覚めたときには、寝床の中で、まず、眼ざめをいただいたことを、神様とご先祖様にお礼を申し上げます。 そして、起床後、神様に向い祈り、お礼を述べ一日のご守護をお願いします。 また、ご先祖様に対しても、お礼を述べます。 一日が始まるの です。 一日が終われば、無事一日が終わったことのお礼を述べて、床に就く。これが、生かされているものにとっては、当然ではないないかと 思います。 何事も、すべてを感謝、感謝ですね。痛いことも、つらいことも!!!
宇宙意志の発動者は、「神」の存在しかありません。 一日が終わり、眠りにつき、また、目を覚まして一日が始まる。こうして、毎日毎日の繰り返しです。当然として、一日のなかに、苦しみや 悲しみや、うれしいことや楽しいことが、人それぞれにあります。そうした人それぞれの出来事が、宇宙意志の中の一コマではないのでは ないでしょうか。 宇宙意志(神)は、いつも一人一人の傍で見守ってくださる。苦しい時もあるかもしれないが、かならず、一生懸命に生きれば明かりが見える。 私は、朝覚めたときには、寝床の中で、まず、眼ざめをいただいたことを、神様とご先祖様にお礼を申し上げます。 そして、起床後、神様に向い祈り、お礼を述べ一日のご守護をお願いします。 また、ご先祖様に対しても、お礼を述べます。 一日が始まるの です。 一日が終われば、無事一日が終わったことのお礼を述べて、床に就く。これが、生かされているものにとっては、当然ではないないかと 思います。 何事も、すべてを感謝、感謝ですね。痛いことも、つらいことも!!!