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福島は南相馬のブロッコリー畑 収穫を終わったところ
3か月の時は必要だったのだろう。
気持ちが前に向き始めた。
きっかけは、数日前に突然、訪れた。
そうだ! 自分は統一教会のことをあのように言ったが、それでよかったんだ! と、
そういう実感が訪れたことが、私の気持ちを晴れさせた。
「 行ったことがありますか?(記者)
はい、行きました。(私)
統一教会と知っていたのですが?(記者)
はい、その関連ではないかとは、思っていました。(私)
行ったことを反省していますか?(記者)
反省しているとは…う~ん、言えません。(私)
もう誘われても行きませんか?(記者)
もう行きません、とは自分の性格上 言えません。(私)」
という記者クラブとのやり取りである。
昨年8月末に行われた「9月議会議案に関する記者会見」の場で、
そのほかに何かあれば? と市側から話を記者に振ったときに
つけたしのように聞かれた質問でのやり取りだった。
所沢市長、旧統一教会系と知りつつイベント出席 「反省はそんなにしていません」「もう行かないとは言えない」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
世間では昨年7月8日、安部さんが撃たれ、民主主義へのゆがんだ挑戦、とか、民主主義の破壊とか、すべてのメディア、すべての党首がその行為を批判をした。が、1か月もたつとメディアは安部さん批判、統一教会批判、そして本命とする自民党批判へと論点が移行されるようになっていた。
追及されるべきは犯人であるはずなのに、また、統一教会の何がどうよくないのかも解明されていないのに、安易な流れ、怖い傾向だと私はひそかにそれを見ていた。
2022年8月30日、市役所にて9月議会の議案について説明を終え、
ほかに何か? とふった時、
一応聞きますが、という感じで、その質問は私になされた。
私の前には7,8人の記者がずらっと並んで対峙している。
(記者)「市長は、世間で言われている行事に行かれたことはありますか?」
(私:心の内)
来たな、と思った。調べているのかしら? とも思ったが、どうもそういう感じでもなさそうだった。
覚えていません、ともいえば言えた。
しかし、嘘は言うまい。本当のことを言えばよい。自分はそうやって生きてきたのだから、と思い直した。
それに、今から1年前(2021年)のこと。あの時は統一教会は話題にもなっていなかった。
また、市長は多くの市民の集いに行ってお祝いしたり、励ましたり、その中から市民の活動を知って、
それを市政に生かしていくのも大切な仕事の一つであるのだ。
それにマスコミだって、この一件で急に問題視し始めているが、桜田淳子の合同結婚以降、何十年と無罪放免、
問題にも課題にもせず、何もしてこなかったじゃないか?!
(私)「はい、行きました。ピースロードといったかな? 今から1年くらい前の、昨年8月ころ、平和を願って自転車で進むイベントに呼ばれたので、平和は大切です。頑張ってください、というような挨拶をしました。」
驚いたように記者がみな、身を乗り出す。 やはり、知らなかったのだろう。
(記者)「 旧統一教会関連のイベントだと知っていたのですが? 」
(私:心の内)
知らないと言ったらうそになる。しかし、私の知っている信者は2人だけだ。それもその時いらしたのかどうか・・・は覚えていない。(私は世界平和統一家庭連合の信者さんを2人知っている。2人ともそれぞれほかの宗教や団体に属されていた時の知人だが、どうも宗派替えされたようだった。そのうちの1人の方が、『昔と違って、今はもうそんなことはないんですよ』と言っていた(らしい。)その宗教に属されてからは、私はその方とも会ったことがない。勧誘にうちに来られたとき、妻が聞いた。)
だから、30年前とは違って、新たに変わって出直したのだと理解していた。
(ところで、このイベントの招待状をくれたのは、また別の人であった。
記者からはいろんな質問が出た。行われたのは多摩湖のの東京都下の公園。
出席者を問う質問もあったが、知っている市民は一人くらいいたとは思う。
むしろ、そこには私の他にも数人の議員がいたのだったが、記者も何も調べていない質問なのだから、
言う必要はないと判断し、さすがに実行委員長だけは逃れられないだろうと思い、
実行委員長の名だけ言ってそれ以外の名は伏せた。)
(私)「 はい、その関連ではないかとは、思っていました。」
(記者)「 行ったことを反省していますか? 」
(私:心の内)
来たな! でも、なぜ、反省なのか? 1年前の、耳目を騒がせてもいなかった時のこと。
しかも、今もまだ、この宗教「世界平和統一家庭連合」の調査も途中であって、白黒言える状況ではないのに、
あの時点で、招待されていく、というのは市長の仕事の一つだといえる。
招かれたのも「ピースロード実行委員会」からだった。
しかも、私はその宗教の集まりにも一回もいったことがない。だれが信者かも知らない。(2人除いて)
むしろ、反省してますってひとまず言うこと自体が、言葉と行動に対して無責任だ。
(世間で国会議員がこぞって、反省してます、もう行きません!って言ってるけど、
あの人たちこそみっともない。 世話になったし親交もあっただろうに、自分が不利になると逃げに入る。
一人くらい、改めるべきは今後改めるが、恩義はある、とか言えないのか!)
マスコミだって 人に反省を求めるならば、質問前に「私たちも実は反省してるんですけど」くらい前置きしてもいいはずだ。
なんで鬼の首取ったように「反省していますか?」と聞けるのか・・・。
(私)「 反省しているとは・・・う~ん、言えません。」
多くの記者が身構える。言った後、私も上記のような理由を説明した。
そこで次の質問が出る。
(記者)「 今後は、もう誘われても行きませんか? 」
(私:心の内)
私はもうこのやり取りに辟易してしまった。
まるで小学校の学級会だ。 なんの下取材もしていない中、お決まりの質問にお決まりで答えて、無罪放免。
みんな反省みんなそのまま、その場をその時期をやり過ごす。
そうやって保身を図る。国会議員たちがみんなやっている、あれだ。
でも、もし市長の自分が、もう行かない、と言ったら、
それはあの人たち(市民)を切った、ということだ。
あの人たちは悪い人で、自分はそうではありません、こちら側の人間ですよと、市民を突き放したことになる。
自分の保身のために。
だから、関わりがなくても、行かない、とは言うべきではないのだ。
そして、自分はそういう(保身を第一にする)生き方は、きっと今までしてこなかった。
そういう生き方を軽蔑すら感じて生きてきたつもりだった。
・・・・・・・・・
もう行きません と言って保身完了・・・それが目の前に転がっていた。
・・・・・・・・・・
でもそれは違うのだ。
だから、答えた。
(私)「 もう行きません、とは自分の性格上 言えません。」
「自分の性格上」とあえて添えたのも、そういう意を含んだからだ。
しかし、もう翌日には、話題をさらって新聞紙面が大騒ぎになった。
ネット上は言わずもがな、テレビにも報道された。ミヤネ屋が取材したいと打診してきた。
反省していない、もう行かないとは言えない、
そんなこと言う政治家がいることが、滑稽で、珍しくって、面白かったということだろう。
ブンヤと呼ばれるマスコミには、「在野の」というか「ひねくれた」とでもいうか、
この精神をわかる人がたくさんいる、
と信じていたが、そうではなかった。
あとは、しばらくの間、世間から揶揄された。
そして、選挙近くなって、再びここぞとばかりに喧伝されて、
言いたいように批判されたのはご存じのとおりである。
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市長への手紙もたくさん来たので、
その返事には、
聖書の言葉を引用して
「小さくされた人々、そういう立場にいる人々を叩いてはいけない」と考えていることや、
「みんな大切な市民であって、みんな一緒に包摂されていく社会を目指すべきではないか」
というようなことを書いてお伝えしたつもりだった。
選挙最終日には、たった一度だけ このことに触れて、
「政治家というものは 小さくされた立場の人、少数派になっている人に むしろ近づいて手を差し伸べる」
ようでありたいのではないか、と訴えることができた。
選挙に敗れてちょうど3か月たって、
今、心から
あの時(記者会見のとき)心に従って思うことを話し、そう生きることができてよかった、
と思えるようになった。 晴天が広がった。
p.s.
マスコミに騒がれてのち、心配する友人から電話がたくさんきた。
みんな憂いてくれていた。 と同時に、藤本らしいともかならず加えて評してくれた。
自分はそれが心底ありがたかった。
また、お手紙もいただいた。
その中に、敗戦直後の小林秀雄の発言を思い出したと書いてくださる手紙もあった。
調べてみて、恐縮した。しかし、自分の気持ちをまさに言い当ててくれたようで、本当にうれしかった。
「朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや」
「さびしさに堪へたる人のまたもあれな 庵並べん 冬の山里」
とは きっとこういうことなんだと 改めて実感した。