ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

原発の本を読み 脱原発で思い出したこと その1

2024-02-06 08:41:10 | かんじたこと、つぶやき

雪が降って、今朝は雪かき。
近所の方々と顔を合わせて、いい一日の始まりである。



さて、

『なぜ日本は原発を止められないのか?』青木美希 著 を数日前に読みおえた。

結論としては、政・官・業・学が抜き差しならぬ関係で安全神話とともに進んでいき、

福島第1原発事故の後は、放射性廃棄物や使用済み核燃料の処理の行方など難題が見える中、

やめたほうがいいと感じているが、先まで道をつけられないので(廃止までの諸困難が見えるので)、

そのままでいる、と理解した。

戦前の、アメリカと戦えば負ける、とわかっていても誰も決めず、責任を取らないで進んでいった日本そのままである。

同様な本では『日本の原発、 どこで間違えたのか』内橋克人 著 も以前に読んだが、

共通していて驚くのが、

・地域振興で恩恵を受けるのは一世代だけ(元知事)

                     「なぜ日本は原発を止められないのか?」p123

・タナボタでいろんないいことがある…だけど、
 百年たって片輪が生まれてくるやら
・・・わかりませんよ・・(元敦賀市長)

                      「日本の原発、 どこで間違えたのか」p234

など、核心を突きながら捨て鉢というか自虐気味に発言をする首長が多い、ということ。

本当のことは言いましたよ、皆さんが考えてくださいよ、ということか。


自分は石巻での活動があって、市長就任後、脱原発首長会議にも参加し、東海村元村長の話を聞きに美浦村でも話を聞き、脱原発の考えを公に表明した。

事故を経験した世代が決めないでいつの世代が決められるのか?!

事故後、何年もの間、原発なしでも日本は十分やっていけたではないか!

という考えからだ。 

その後も自分は市として気候変動、地球温暖化抑止にも取り組んできたが、

だからといってCO2排出の少ない原発が必要というのは、逃げであり、

進むべき方向・本質は もっともっとの飽くなき欲望を少しでも抑えることにあるのだ、と考える。

あれもこれも、とすべてを満足する解はない。70点で御(おん)の字だ。

私は、子供や孫につけを残してまで自分が豊かさを享受しようとは絶対に思わない。


世の平穏のためには、決めない(先に送る)、という方法もあるのだと、市長になって発見した自分だったが、

この問題は違うと思う。

汚染水の海洋放出は続く。除染土も決まらない。みんな福島に押し付けたままだ。


政治(世の中)において、既定のものをゼロにするのは非常に困難な決定だ。

決めると反対運動が必ず起こる。(前原大臣の八ッ場ダム中止決定や所沢市のことも然りである)

それでも、忘れてはいけないし、解決もされていない。

やめるということを決めなければいけない、と思う。

自分は南相馬へこの3か月間で4往復した。
(8回の行き来のうち6回は高速を使わず、下道で7時間半かけた。)

途中、帰宅困難区域を通過するが、そこは本当にゴーストタウンなのだ。

国道6号をいわきの方から南相馬へ向かうとき、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、小高と北上するが、

大熊の途中から浪江まではほとんど真っ暗。沿道の店も廃墟。

国道をそれる道はバリケードで封鎖され、侵入できない。

街灯は煌々と灯っているし、信号も点滅している。

だが、家は真っ暗、町に住む人は誰もいない。 この光景は芯から寂寥として怖いものだ。

帰宅困難地域が解除されても浪江町なども7%しか帰っていないという。(9/30 2023現在)

帰宅困難地域を通過するときは、線量計は1マイクロシーベルトを超える。

また、もう全く大丈夫な南相馬であっても至るところに線量計があり、市の館には検査所もあり、

お米は(大丈夫なはずなのに)風評被害で売れないので飼料用にしかならないなど、

いまだ解決なんてされていないのだ。(漁業の人たちも大変だ。)

南相馬市の各施設には線量計が今もある 放射線が常に意識のうちにある
当時、所沢でも0,23
マイクロシーベルトを超える場合、付近の土を除染したが、
幸い0,23マイクロシーベルトは越すことはない


生涯学習センターにある食品検査室 今も行われている


大熊町にある大きなショッピングモール  全員、作業着姿の男性です。
女性はほとんど見かけません。  どういうことかわかりますか?




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ブロッコリー収穫作業と 南相馬と この3か月と

2024-02-05 12:01:43 | かんじたこと、つぶやき

選挙から3か月ほどの、ちょうど1月の15日ころだったか、

前の記事にも記したように、気持ちが吹っ切れたというか、前に向かい始めたと実感するようになった。

それまでは気持ちはずっと選挙のことに拘泥(こうでい)していて、時間は止まったままだった。
(でも、能登地震の被災者のことを思うと、そんなの何でもない。
         被災者の方々こそ時間があの時のまま止まっているのだと思う。)

写真は箱入れ前のブロッコリー 24個/箱に入れる大きさ

その3か月の間に、自分は「原点に戻る」つもりで、福島は南相馬の農園でブロッコリーの収穫の手伝いに参加させていただいた。

「東日本大震災と原発事故、あの時誰もが感じたあの思いを決して忘れず、「人と人の絆」・・・・・そんな所沢、日本で行こう!」

何度語ったであろうあの言葉、市長を志した原点に戻ることで、自分を振り返って今後を展開していきたい。

そんな気持ちだったのである。

寺本教育委員のご紹介で、身分は隠して、私は南相馬の篤農家、福田さんの農園に入らせていただけた。

11月19日に南相馬に入って、最終は1月12日まで、

その間、お葬式が入ったり、いろいろで、所沢に戻ることも多く、正味20日間くらいしか手伝えなかったが、働かせていただいた。


ブロッコリー畑 南相馬は被災者の移住先として小開発がされていて 人口増

      畑や田んぼの中に大きな新築住宅が結構ある

ブロッコリーの収穫は、機械ではできない。

刈るか否か、判断しながら畝を進み、出荷できる大きさのものは適切な長さに包丁で切り、
周りの葉を削いで、リヤカーに乗せられた4つのかごに順次それを入れていく。

1台のリヤカーを真ん中に、リヤカーの車輪の内側3列を担当する引き手の1人と、リヤカーの左わき2列、右わき2列の畝を担当する2人、計3人で収穫しながら前へ前へと進んでいく。

1台のリヤカーが進むと合計7列の畝の収穫がなされていく。

リヤカーを引く福田さん この時は一人 ふつうは両脇に1人ずつ付く

畑は広い。成長は気候任せ。

ゆえに最盛期になると人手が必要になるのだ。

   リヤカーの上のかごがいっぱいになると軽トラの荷台に移す

とるべきか否か、その判断が難しい。とると判断しても、適切な長さで切ることも難しかった。

私以外の皆さんは、福田さん親子に親戚知人、新規就農者もおられるが、仕事はみな正確で速い。

強豪ソフトボールチームのような一糸乱れぬ動きで作業は進んでいく。

私が迷っているとリヤカーはどんどん前に行ってしまう。

自分の脳裏には常に運動会の音楽が流れていた。 心が急(せ)いた。

それでも青空の下の作業は、汗もかき、すがすがしいものだった。

息子さんと新規就農の方を除けば、みな70歳代以上の方々だが、正確で速い。

ブロッコリーでいっぱいの籠も平気で持ち運ぶ。


リヤカーの上のかごは、いっぱいになると軽トラの荷台に移され、それがいっぱいになると

「おーし、けぇんべぇ」

福田さんの号令で農地での作業は終わりとなる。

農家に帰って、小屋で一息、コーヒーやおいしい菓子やミカン、

その日に出される柿やチョコなどを食べながら談笑して、しっかり休憩する。

多才な黒木さん手作りのケーキ 奇しくも自分の誕生日に提供された

そののち、今度は軽トラの上のブロッコリーを発泡スチロールの箱に詰めていく。

農家の庭での作業となる。

その際、大きさによって、ひと箱16個入り、20個入り、24個入りのどれに値するか判断しつつ、

形をそろえながら、詰めていくのであるが、これもまた正確さと速さが求められるのだ。

だが、これもまた、私は遅く、ほかの人より処理する箱数が、10箱分以上少ない。

さらに、途中で小便に行きたくなる。 そうするとさらに差が出る。迷惑がかかる。

ジャンバーを上に重ね着して、しまいにはカイロも付けた。

それでも行きたくなる。作業中足踏みしながらこらえる。

自分は今まで小便は したいときに行ける環境だったのだろうか? 

冬の日陰の作業ではあるが、改めて感じた尿意の存在には、自分は本当に閉口してしまった。

  これから発泡スチロールの箱に仕分けする前

そして、収穫したブロッコリーが発泡スチロールの箱にすべて詰められたら、
それをトラックでJAに運んで終わりとなる。自分はそこには同行しない。

この工程を午前に一回、午後に一回。

新年は1月7日から従事したが、お世話になった方のお葬式で一時帰宅。

最盛期を終え、しかも、安値が続いているようで毎日の従事は不要とのことで、

12日をもって終了となった。

正味20日間ほどの参加ではあったが、福田さんには寛大な心持ちの中で大変お世話になりました。

また、皆さんには、よそからの参加者を温かく迎えていただき、時に叱咤していただき、感謝しています。

スーパーでブロッコリーを見ると、それ以来、必ず手に取って、値段を見ては「高値になれ!」と念じています。


本当は、貢献をして役に立って、南相馬を後にしたかったところでした。

実は所沢の市長をしていたんです。そんなことも最後は正直に明かして、きちんと帰りたかったでした。

が、現実は足手まといになること多く、戦力にはなれず、

それゆえ身分など明かすこともできず、消沈して所沢に戻ったことにはなりました。


ああ、自分は、他人とペースを乱さず、正確に速くやるってことが、昔から苦手だったんだ!

いわゆる職人に求められる質に欠けていた、ということを改めて思い出しました。


p.s.その後、政府はブロッコリーを「指定野菜」(現在は14
品目あって国民生活に欠かせない野菜。
価格が下落した時など支えてもらえる。)に令和8年から追加することが決まったそうで、
うれしく思っています。


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立川→国分寺→小平→東村山→そして小平 と歩いて、小平で飲む

2024-02-02 22:13:34 | かんじたこと、つぶやき

バッテリーを交換してもらうため、車を立川近くのディラーに預ける。

私の車はそこで購入し、すでに23年目に入った。

走行距離は22万kmを超えたが、よく頑張って走ってくれる

そのまま帰るのも何なので、

その後、玉川上水に沿って東へ向かい、小平まで歩いてみた。

ひたすら北東に進めばよい。


ディラー近くにあった立川市立若葉小学校はずいぶんと建物の立派な小学校。

国分寺や国立は文教都市といわれるが、立川のここも高級そうな学校に見える。

そのうちに五日市街道に出たので、東へ進む。

通りの両脇は豪農が多く、道に面しておうちもケヤキもみな立派である。

〇〇農園 コクベジ(国分寺ベジタブル)の表示もあって、直売所もあり、東京の野菜を売り込んでいる感じ。

JAがそれをブランド化して後押ししているようだ。

街道両側、母屋があって屋敷林、そして畑が伸びる。

所沢市で言えば 道と家屋と畑の配置は中富と似ている。(中富は屋敷林だけでなく、畑の向こうに林がある)

さて、東西に延びる街道から途中、畑に入って
赤道(あかみち)らしき土の道を北上したら、

創価小学校にでた。

さらに、東へ、そして北へと歩いているうち玉川上水にぶつかった。

玉川上水の脇の道は、車が通れない。ゆえに、轍(わだち)も全くない

ゆえに歩いていて平らで、土だから足にもよい。

散歩や通勤、通学で多くの人が歩いている。

また、道の真ん中に木が生えていても、そんなことは問題ない。


川に沿った土の道を東へ東へ、津田塾の南面を抜け、津田町3丁目へ。

この辺は、所沢市の榎町か松葉町のような邸宅が並ぶ。

さらに東へ、小平に入って上水新町、仲町、学園西町を抜けて北上して東村山市萩山へ。

         途中でいいお宅がありました。


小平市役所近くの西武のバス停。すごいの作らなくても、これでいいんだと思いますが。

萩山実務学校の脇を抜けて、萩山駅付近まで出て、そこから緑道を歩いて小平駅まで到達した。

この緑道は何だったんだろう? 両脇より2mくらい高くなっている。

小平の駅の北側へ行ったら、またこんな張り紙が・・・。
駅近くはみんなこの問題。大土地所有者(または不動産屋)と業者の欲でみんな高層化しようとする。50年後は解体キチンとできるのか。
小平の北口は結構大きな邸宅もある住宅街なのだが。


焼き鳥 「鳥勝」焼き鳥もいいし、鳥鍋が100円! 

  小平南口の「よっちゃん」 佇まいがとても気になっていて・・・


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あの時は あれで良し!

2024-01-18 15:52:50 | かんじたこと、つぶやき


   福島は南相馬のブロッコリー畑 収穫を終わったところ

3か月の時は必要だったのだろう。


気持ちが前に向き始めた。

きっかけは、数日前に突然、訪れた。

そうだ! 自分は統一教会のことをあのように言ったが、それでよかったんだ! と、

そういう実感が訪れたことが、私の気持ちを晴れさせた。



 行ったことがありますか?(記者)

  はい、行きました。(私)

  統一教会と知っていたのですが?(記者)

  はい、その関連ではないかとは、思っていました。(私)

  行ったことを反省していますか?(記者)

  反省しているとは…う~ん、言えません。(私)

  もう誘われても行きませんか?(記者)

  もう行きません、とは自分の性格上 言えません(私)

という記者クラブとのやり取りである。

昨年8月末に行われた「9月議会議案に関する記者会見」の場で、
そのほかに何かあれば? と市側から話を記者に振ったときに
つけたしのように聞かれた質問でのやり取りだった。
所沢市長、旧統一教会系と知りつつイベント出席 「反省はそんなにしていません」「もう行かないとは言えない」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

世間では昨年7月8日、安部さんが撃たれ、民主主義へのゆがんだ挑戦、とか、民主主義の破壊とか、すべてのメディア、すべての党首がその行為を批判をした。が、1か月もたつとメディアは安部さん批判、統一教会批判、そして本命とする自民党批判へと論点が移行されるようになっていた。

追及されるべきは犯人であるはずなのに、また、統一教会の何がどうよくないのかも解明されていないのに、安易な流れ、怖い傾向だと私はひそかにそれを見ていた。

2022年8月30日、市役所にて9月議会の議案について説明を終え、
ほかに何か? とふった時、
一応聞きますが、という感じで、その質問は私になされた。

私の前には7,8人の記者がずらっと並んで対峙している。

(記者)市長は、世間で言われている行事に行かれたことはありますか?


(私:心の内)
来たな、と思った。調べているのかしら? とも思ったが、どうもそういう感じでもなさそうだった。
覚えていません、ともいえば言えた。
しかし、嘘は言うまい。本当のことを言えばよい。自分はそうやって生きてきたのだから、と思い直した。
それに、今から1年前(2021年)のこと。あの時は統一教会は話題にもなっていなかった。
また、市長は多くの市民の集いに行ってお祝いしたり、励ましたり、その中から市民の活動を知って、
それを市政に生かしていくのも大切な仕事の一つであるのだ。
それにマスコミだって、この一件で急に問題視し始めているが、桜田淳子の合同結婚以降、何十年と無罪放免、
問題にも課題にもせず、何もしてこなかったじゃないか?!


(私)「はい、行きました。ピースロードといったかな? 今から1年くらい前の、昨年8月ころ、平和を願って自転車で進むイベントに呼ばれたので、平和は大切です。頑張ってください、というような挨拶をしました。」

驚いたように記者がみな、身を乗り出す。 やはり、知らなかったのだろう。


(記者) 統一教会関連のイベントだと知っていたのですが? 

(私:心の内)
知らないと言ったらうそになる。しかし、私の知っている信者は2人だけだ。それもその時いらしたのかどうか・・・は覚えていない。(私は世界平和統一家庭連合の信者さんを2人知っている。2人ともそれぞれほかの宗教や団体に属されていた時の知人だが、どうも宗派替えされたようだった。そのうちの1人の方が、『昔と違って、今はもうそんなことはないんですよ』と言っていた(らしい。)その宗教に属されてからは、私はその方とも会ったことがない。勧誘にうちに来られたとき、妻が聞いた。)

だから、30年前とは違って、新たに変わって出直したのだと理解していた。

(ところで、このイベントの招待状をくれたのは、また別の人であった。
記者からはいろんな質問が出た。行われたのは多摩湖のの東京都下の公園。
出席者を問う質問もあったが、知っている市民は一人くらいいたとは思う。
むしろ、そこには私の他にも数人の議員がいたのだったが、記者も何も調べていない質問なのだから、
言う必要はないと判断し、さすがに実行委員長だけは逃れられないだろうと思い、
実行委員長の名だけ言ってそれ以外の名は伏せた。)

(私)「 はい、その関連ではないかとは、思っていました

(記者) 行ったことを反省していますか? 

(私:心の内)
来たな! でも、なぜ、反省なのか? 1年前の、耳目を騒がせてもいなかった時のこと。


しかも、今もまだ、この宗教「世界平和統一家庭連合」の調査も途中であって、白黒言える状況ではないのに、

あの時点で、招待されていく、というのは市長の仕事の一つだといえる。

招かれたのも「ピースロード実行委員会」からだった。

しかも、私はその宗教の集まりにも一回もいったことがない。だれが信者かも知らない。(2人除いて)

むしろ、反省してますってひとまず言うこと自体が、言葉と行動に対して無責任だ。
(世間で国会議員がこぞって、反省してます、もう行きません!って言ってるけど、
あの人たちこそみっともない。 世話になったし親交もあっただろうに、自分が不利になると逃げに入る。
一人くらい、改めるべきは今後改めるが、恩義はある、とか言えないのか!)

マスコミだって 人に反省を求めるならば、質問前に「私たちも実は反省してるんですけど」くらい前置きしてもいいはずだ。

なんで鬼の首取ったように「反省していますか?」と聞けるのか・・・。


(私)「 反省しているとは・・・う~ん、言えません。」

多くの記者が身構える。
言った後、私も上記のような理由を説明した。

そこで次の質問が出る。

(記者) 今後は、もう誘われても行きませんか? 

(私:心の内)
私はもうこのやり取りに辟易してしまった。

まるで小学校の学級会だ。 なんの下取材もしていない中、お決まりの質問にお決まりで答えて、無罪放免。
みんな反省みんなそのまま、その場をその時期をやり過ごす。
そうやって保身を図る。国会議員たちがみんなやっている、あれだ。

でも、もし市長の自分が、もう行かない、と言ったら、

それはあの人たち(市民)を切った、ということだ。

あの人たちは悪い人で、自分はそうではありません、こちら側の人間ですよと、市民を突き放したことになる。
自分の保身のために。
だから、関わりがなくても、行かない、とは言うべきではないのだ。

そして、自分はそういう(保身を第一にする)生き方は、きっと今までしてこなかった。
そういう生き方を軽蔑すら感じて生きてきたつもりだった。
・・・・・・・・・

もう行きません と言って保身完了・・・それが目の前に転がっていた。

・・・・・・・・・・
でもそれは違うのだ。

だから、答えた。

(私)「 もう行きません、とは自分の性格上 言えません。」

「自分の性格上」とあえて添えたのも、そういう意を含んだからだ。

しかし、もう翌日には、話題をさらって新聞紙面が大騒ぎになった。
ネット上は言わずもがな、テレビにも報道された。ミヤネ屋が取材したいと打診してきた。 

反省していない、もう行かないとは言えない、
そんなこと言う政治家がいることが、滑稽で、珍しくって、面白かったということだろう。

ブンヤと呼ばれるマスコミには、「在野の」というか「ひねくれた」とでもいうか、
この精神をわかる人がたくさんいる、
と信じていたが、そうではなかった。

あとは、しばらくの間、世間から揶揄された。

そして、選挙近くなって、再びここぞとばかりに喧伝されて、

言いたいように批判されたのはご存じのとおりである。



    
   


市長への手紙もたくさん来たので、

その返事には、
聖書の言葉を引用して
「小さくされた人々、そういう立場にいる人々を叩いてはいけない」と考えていることや、
「みんな大切な市民であって、みんな一緒に包摂されていく社会を目指すべきではないか」
というようなことを書いてお伝えしたつもりだった。

選挙最終日には、たった一度だけ このことに触れて、
「政治家というものは 小さくされた立場の人、少数派になっている人に むしろ近づいて手を差し伸べる」
ようでありたいのではないか、と訴えることができた。

選挙に敗れてちょうど3か月たって、

今、心から

あの時(記者会見のとき)心に従って思うことを話し、そう生きることができてよかった、

と思えるようになった。 晴天が広がった。

p.s.

マスコミに騒がれてのち、心配する友人から電話がたくさんきた。

みんな憂いてくれていた。 と同時に、藤本らしいともかならず加えて評してくれた。

自分はそれが心底ありがたかった。

また、お手紙もいただいた。

その中に、敗戦直後の小林秀雄の発言を思い出したと書いてくださる手紙もあった。

調べてみて、恐縮した。しかし、自分の気持ちをまさに言い当ててくれたようで、本当にうれしかった。

「朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや」

「さびしさに堪へたる
人のまたもあれな 庵並べん 冬の山里」

とは きっとこういうことなんだと 改めて実感した。


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念願だった立石で1人飲み

2024-01-17 21:03:32 | かんじたこと、つぶやき

このところ本を読むことも進まなiい

南相馬では寒くて読書どころではなかった。

所沢では、時の進みは緩慢になり、時の浪費が習いとなる。

「時」と同じく「金銭」の浪費も慎しまねばならぬ。

ゆえにこの3か月間、ほとんど何も動かなかった。

しかし、今日は映画に行くか、立石で飲むかで選択した。

決心したのが14時過ぎていたので、下町を歩いて、立石で飲むことに重点を据えた。

やることが決まると読書も進む。

電車で読書し、歩くために新小岩で降りた。

  
       中川を渡る 遠くにスカイツリーが見える

西小岩は中川に迫る頃、道が下町らしく右往左往した。

細い小路をあえて進むと数回曲がって行きどまる。

それでこそ下町だ。

中川まで20分。 中川を渡っても、さらに20分、立石に6時に着く。

   
  中川の脇はさすがゼロメートル地帯だ 宅地は道路よりさらに低い

目指す『うちだ』に入る。

ここは、注文の仕方が独特らしい。

隣の方に注文の仕方を聞き、あぶら、レバ、モツ煮、お新香を注文。

酒は焼酎の梅シロップ足しで5杯いただく。

  
  手前から 焼酎梅シロップ添え もつ煮 アブラとレバ焼き

隣の方に色々と聞く。

酔ったなと思われると『はい、最後』と言われるのだそうだが、自分も5杯で「最後」を宣告された。

客はほとんどが一人で来て、一人で帰る。

店では酔い過ぎをよしとせず、大声で話すと店員に注意される。

お客様は神様である、そういう社会にあって、生産者が主導権を握っている。

そのありようが心地よい。


   お隣の常連さんにいろいろ聞いて楽しかった!

アブラとは我が贔屓の店、池袋『千登利」のカシラに同じ。

焼きも茹でもある。 時間にして1時間強。

うまい、安い!

しこたま飲んで3000円で店を後にする。まだ入れずに待っている人もいる。

    

その後、向かいの店でおでんを食べて、1杯飲んだ。


       向かいのおでん屋で一杯飲んで 1300円

おでん屋を出たときには、すでに「うちだ」は店じまいに取り掛かっていた。

腹はいっぱいになったので、歩いてお花茶屋まで約20分歩き、

  立石にも再開発が迫っている きれいな街にはなるが、
  あえてビルにして人口を増やす必要はあるのだろうか?


葛飾区役所近くのバス停に椅子が 普通の椅子である 移動可能だった

さすが東京 植樹マスの大きさはきちんと1,2mとってある


     お花茶屋駅を京成で帰途につく

そこから京成電鉄に乗って日暮里を経て、池袋へ。小手指には9時半には着いた。

何の生産的、社会的な貢献もしない一日であったが、今は疲れが心地よい。

15792歩も歩くこともできました。


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『NO選挙 NO LIFE』 へ行ったら「NO SEAT」 2三振1安打

2023-12-29 22:24:55 | かんじたこと、つぶやき

選挙戦は、地上と仮想空間で行われるようになった。

わたしは、FBとブログは行っていたが、ツイッター{X}は、匿名空間でもあり、現職としては
匿名の批判にいちいち反論する時間がもてないので、全く参加していなかった。
だが、昨今の40代以下の人々はツイッターで情報収集するらしく、
そこであることないことブチまかれたと私は今総括している。
事実、)今までの選挙では)選挙中にブログを見る人が数倍に膨れ上がるのだが、
今回はブログの閲覧数がいつもより増えなかった。
普段所沢において活動などしていないがまじめな30代、40代の方々は
そこで判断されてしまったと思う。

さて、今日は、久々に外へ出ようと 映画「NO 選挙 NO LIFE」 を目当てに、
田端へ参じた。


しかし、こともあろうか? 満席で入れなかった。 小さな劇場だけど、こんなの初めて。

[NO選挙 NO LIFE NO SEAT] 

すみません。満席です。


申し訳なさそうに言う職員さんににっこりと応じて、劇場を後にした。

仕方がない。 歩こう!

そして、赤羽の 「立ち飲みのおでんや(丸健水産)」 に行って、帰ろう!

田端から都電沿いに荒川遊園に寄りながら、堀船というところを通り、

東十条で銭湯「やなぎ湯」に入り、(すごく混んでいた。弘法の湯が惜しまれてならない。)


赤羽に近づいてからは少し西にそれて角打ち「三益酒店」(日本酒2種類焼酎1種類、ホヤさし、カキのオリーブ煮)(計2000円)に寄って、

その後 所期の目的「丸健水産」おでんやに向かった。


今日は、途中で多くの子ども連れの親子に出会う。

こどもというのは、いい。 そのたびに頑張れ、すくすく育て と念じる。

で、既に2万歩を超えたところで、赤羽駅に着いたのだったが、

お目当ての「丸健水産(おでん屋)」はこのところずっとお休みなのだった。

仕方なく、「かぶら屋」にて1600円。

ここで2空振りなので、最後はひとふり当ててやろうと、

県議会の時から御世話になった秋津「野島」へ。

有難くやっていて、やっと気持ちのあるところに落ち着いて目的を達することができました。

御店の方はあいにくおられなかったけど、バイトさんにお礼をことづけて、

本日の本懐を遂げることとなりました。 なお、本日のあるいた歩数は24337歩。

電車の中では本も読めて、今日はこれで良しとしよう!


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3年遅れの甲子園大会 思うより動く

2023-11-30 11:51:06 | かんじたこと、つぶやき

テレビをつけたら 「3年遅れの甲子園大会」 が開かれたことが報じられていた。

一瞬、いまさら、と感じたが、

聞けば、元球児がクラウドファンディングで資金を集め開催にこぎつけたという。

髪が伸び、体は太って、ゴロをトンネルしても、腰の切れ緩慢な投球動作になってしまっても、

楽しく、真剣に野球をしている姿が映され、私は思いを改めた。


コロナ禍の2020年の夏といえば、まだコロナの実態が分からなかったころだった。

3密の回避が叫ばれ、しかし、換気こそ重要なのであって、外での作業はそれほど恐れなくともよい(体育はマスクなし)と国も示していたのだったが、

全ての物事は中止に追い込まれていた。

学生の部活動も、練習は行われていたが、案の定、、全国大会は早々に中止が決まってしまったのだった。

あの時、私は「責任」について、考えていた。

大会には「主催者」がいて、その「最高責任者」がいる。

何かが起これば、その人に全ての責任がかぶせられる。

『オレが責任をとる』と言って大会をしたとしても、1人でも感染者が出れば、

そしてその学生が万が一にも重症になってしまえば
(実際、当時も特に子どもは重症にはならないと言われていたが)、

責任なんて取れないじゃないか、ということになる。

私は
「完璧なんてありえない。80点でいいのだ。どちらがより重大か、比較して選択すれば良しとしなければ、社会は死に体(思考停止)に陥ってしまう」と考えていた。


また、責任をひとりの人間にあずけること自体が無理なのだ、

と考えるようになっていた。

そこで、まずは、思いを同じくする市職員、ダイヤプラン(狭山、入間、飯能、日高市)の仲間の市、そして西部消防組合の職員、そして、市民の署名をあつめた。、

そして、高校生の部活動に対しては、大野知事に「工夫して開催してくれること」を要請した。

決定権は教育委員会にあるから、あえて知事部局をまきこむ形をとったのだ。

もちろん、県教委にも提出した。


また、高野連については、友人が役員をしているので、署名をもって知事とは別に伺った。

また、所沢市(中学生)に関しては、大会開催のお願いをし続けるとともに、合唱部などは練習においても1週間に一回PCR検査を市で引き受けることで、練習を安全に確保するよう提案もした。(吹奏楽、柔道部、剣道部くらいまで対象を広げる覚悟をした)
・・・・・・校長先生方にもどう思うか意見を聞いてもらったが、賛成意見を言う人は少数だったらしい・・・・・

結果としては、高校野球(高野連)だけが、(7回で終了の)代替大会を8月に開催してくれたのだった。

さて、1か月前に行われた市長選に当たって、そのことを実績(チラシ)に記したら、

「なんで野球だけなんだ?」という批判や、

「オマエが市長をやってる当の所沢市の中学生の大会はだめだったじゃないか!」

という批判が寄せられた。



そこで話を戻したい。

3年遅れであっても、元球児が、

クラウドファディングして呼び掛けて、甲子園が開かれたこと が素晴らしいのである。

思うだけでなく動いたことが素晴らしいのだ。

市はやれなかった、高校も野球だけだった。

結果はそうだったかもしれない。

しかし、自分は動いた、思いをともにする人も動いた。

そして、それぞれの責任者が苦渋の判断をそれぞれにしたのだ。

だから悔いは微塵もない。

※ 2011年4月、石巻にボランティアに駆け付けた時も、なぜ石巻なのか? という迷いが実は自分自身の中にはあったものだ。単に友人が先にボランティアしていて誘ってくれたから、それだけの理由なのだから。しかし、やってみて、縁というのはそんなもの、人生は全て理路整然と説明できるものでもない(アカウンタビリティなんのその)、多くの若者、おじさんたちが現地でボランティア活動していて、動く者の時代が来た、そう心底感じることになったのだ。
そして、そのことで市長になる決意をすることとなる。
自分自身の人生も変わっていったのであった。


批判は誰にもできる。 しかし、動いた者にはかなわないのだ。

2020,5月27日 西高校長で高野連役員の赤嶺校長先生に


2020,5月29日 大野知事にダイヤ5市の市長さんと

県教育長に

県高等学校体育連盟に

実績「教育・子ども編」ブログ版
https://blog.goo.ne.jp/zenntatosannpei/e/08587f461debe63912947f5e932189a4


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12年間お世話になりました 

2023-11-03 17:43:28 | かんじたこと、つぶやき

市長の任期が終わって5日目を迎えました。

この12年間、たぶん平均月2日間くらいしか休みがとれない感じ、でしたから、

こんなに休んでしまっていいのか? と思いつつ、

あっという間の5日間でありました。


「動け!所沢 紡ごう! 絆」 

東日本大震災と原発事故 誰もが感じたあの思いを決して忘れず


人と人の絆 自然との調和・共生 を大切にしていこう

思うより 批評をするより 自ら動く 実践者となろう

そして、実践者を大切にする そんな日本 所沢でいこう!

と訴えて

市を動かしてまいりました。

土を耕し、種をまき、水をやって肥やしをやって、

芽が出て、本葉になって、花が咲いて、実を結んだ事業もありますし、

やっと双葉になった事業、これから花が咲く事業、さあこれからと掌中に握ったままの種もあります。

(それらはみんな 職員や市民がコツコツと仕事を重ねて、汗をかいて応援してくれて、やってくれました。)


しかし、もういい、チェンジ とのことであります。

片づけをして昔のチラシや書類を見返してみますと

市議、県議の時から思いは一貫、変わっていませんでした。

また、市長になってからの公約も2期目からは結構似ていまして、

それでよい と思いますし、

市政は一日にして成らず なのだ とも感じています。

市長選2期目には 『未来(あす)を見つめ 今を動く』

市長選3期目には 『善きふるさとを未来の子どもたちに』

表現は違いますが、思いは一緒。

行きすぎた市場原理や資本主義、表出し始めた気候変動を前に 今の大人が変わろう 動こう

今だけ自分だけ所沢だけでなく (昔大人に言われた)人に優しく自分に厳しく に立ち返って

人と人の関係も寛容でおおらかで行こう 支え合っていこう 

そんな思いを表し、市政に当たってまいりました。

そして、4期目の挑戦に当たっては 『みんなが主役 輝くマチへ』

少子高齢化ですべてのものが縮んでいく社会 

そうした中にあって みんなにとって大切なモノ 大切なコトは 

みんなで考え みんなで悩み みんなで汗して

みんなで守り 育てていかなければ なくなってしまう・・・・そういう思いが芽生えてきて、

額に汗して膝つき合わせた市民参画の必要 を訴えました。(いや、演説ではあまり訴えられませんでした)


振り返ってみますと、

自分は常に 世の中これでいいのか?! と悩みながら生きてきました。

流れに乗ることは一度となく それで社会は善くなるのかと(ここは「善」でなくてはなりません)

常に 自問して過ごしてきました。

だから、自分が市長になってからの職員は大変だったと思います。

それについては2つ前の記事に記したとおりで 感謝しています。

私のことを知ってくれている市民からは、それを評価いただき応援、支えていただきました。

保身に走らず 行動できたのは そういう皆さまのおかげです。

ありがとうございました。

所謂 保守系にあって、福祉 教育 環境のために頑張りたい。(保守は土木をするという型があるが)

充分とはいえないかもしれませんが、それでも努めてまいりました。

私は、枠や型では言い表せない政治姿勢で 進んできたと自負しています。

(他人を評価する時もそうであり 私は柴山衆議院議員を「自民党だから」と推薦したことは一度もなく、
常に「人で選んでください」と訴えてきたことを今さらながら思い出しました)


しかし、選挙に当たっては、枠と型で語られてしまったようです。(構図化された)

ずいぶん悪役に仕立てられました。

SNSをはじめインターネット配信のマスコミも動員されたようです。

過去の発言の一部分切り取りとつなぎ合わせによりストーリーを作られ、

本質を伝えられることなく、紙芝居は作られてしまいました。

取材など一度もなく、署名もない記事でありますが、威力を発揮したと思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3791c40e46640cee9858cacb51a5b2eef1b44290
たとえばこれ デイリー新潮

(そのほか、選挙開始2ヵ月前くらいから、エアコンの住民投票がこれから始まるような記事が意図的に掲載されて、市長への手紙が全国各地から来てみたり、不思議な現象がありました。

今思うと、それもサイバー戦争の準備段階として行われていたのだと思います。)

選挙の一か月ほど前、実は 市民意識調査による「市への愛着度」は過去最高値を記録し、

埼玉都民と揶揄(やゆ)され、所沢ナンテ、埼玉ナンテ と卑下しがちな所沢の市民が

「シビックプライド(わがマチへの誇り」を感じてくれるようなったかなぁ」と私は喜んでいました。

が、

選挙で 所沢で苦しんでいる皆さん、変えましょう! とダメ出しをされて、

きっとあらゆる社会の不満や不安、怨念が呼び起こされたのか、とも考えます。

これが私の分析です。


選挙では敗れました。

政策では よい政策をしてきた、という気持ちが今もあります。

だから、心は恬淡(てんたん)としています。

今までご支援いただいた皆様 (天国に旅立ってしまわれた多くの方々も含め)

本当にありがとうございました。

みなさまのご健勝ご多幸を心から祈念いたします。

そして、全ての市民の皆さま、所沢はいいマチです。 子どもたちにとってのふるさとです。

善きふるさととなるよう 今の大人が連帯して 膝つきあわせ汗かいて 

みんなにとって大切なモノ、コト (社会的共通資本・コモンズ) を守り、育てて

善きふるさと を伝えてまいりましょう。 大震災以降、時代のテーマは 継承 でありますから。

市民皆様のご健勝ご多幸を心から祈念し、ご挨拶にかえさせていただきます。

      令和5年11月3日(金) 午後5時40分 

                            藤本正人 

追伸:今から3年前の今日、市政施行70周年記念式典が行われ、
所沢駅のトトロの発車ベル、サツキとメイの像 ができ、6日にはところざわサクラタウンがグランドオープンしました。
時がたつのは早いものです。





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誠心誠意 市のために働いてまいりました どうぞよろしくお願いします 

2023-10-14 23:55:00 | かんじたこと、つぶやき

12年間をかけて、地を耕し、種をまいて、肥やしをやって、

市民の新たな幸せのため 私は働いてきたつもりです。

気候変動がこれほど厳しく、少子高齢化がこれほど迫っている日本では、

価値観を変えて動かねば 立ちいきません。

私の、そうした考え方にも、市職員は何度も聞いて、思い直して、地道に歩みを進めてくれました。

所沢市ほどの大きな市だと、方向を変えて動くまでにそれなりの時間が必要なものです。

それでも職員は理解しようと努め、理解し、計画に位置付け、限られた財源の中で予算化して、

地域市民の理解を取り付け、動いてくれました。


ところざわサクラタウン、所沢駅前のまちづくり、開智学園、

道路、そして、精神障害施策に光を当て、障害者施策を大事にして、

教育や子ども施策にも力を尽くし、みどりや自然の充実も図る。


すでに芽を出し花開きつつある施策もたくさんあります。

でも、まだまだこれから 芽を出して成長していく施策も たくさん控えています。


これから種を蒔くものもあります。


さて、このところ、働く世代の人口増が市政の論点 のように語られますが、

他の市から分捕るのではなく、今いる方を大切にして、

働く世代、子ども、お年寄りが調和するマチづくりが大切なんだと思います。

34万4千市民の新たな幸せ実現のため、職員や市民の皆様と力を合わせて、

頑張ってまいります。

市民の皆さま、今まで本当にありがとうございました。









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明石市長と口論? とんでもない 私は彼に親しみと敬意をもっていました

2023-10-09 15:46:12 | かんじたこと、つぶやき


  写真は 糀谷八幡 秋の大祭の時の鏑流馬神事

元明石市長が 私と政策論で口論をして これはだめだ だから所沢に行って(私を)倒そう と思ったのだと話されているそうだ。


が、それは違う。 私は明石市長と政策討論などしたこともないし、

むしろ敬意と親しみを持ってきた。 そして、


明石市長がテレビで攻撃されていた時、

「はやまらないでくださいね(やめてやる!なんて言ってはだめですよ)」

と手紙を書こうと思ったほどだ。

親しみと敬意を持っているというのは、私のブログのこのページを見ていただければわかります。

明石市に行って、特例市長会の皆さんと視察、懇談したときのブログです。

最後の写真までお読みいただければわかるはずです。(最後のほうに書いてあります)

https://blog.goo.ne.jp/zenntatosannpei/e/17da19c4757e60bc881d2bf5947199c4
その後、所沢市は明石のよい点を学び、市で弁護士を採用しました。
(明石市は市役所の中に「法テラス」を入れていた)

法律家に見解をきかねば、うまく動けない案件が市の仕事にも増えているからです。

でもなんで明石市長さんはそんなでっちあげを言うのだろう。

そうでもしないと 明石市長が所沢市の選挙に入ってくる、その言い訳がたたなかったからなんだろう・・・。

とても残念でなりません。


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県議会の議員提出議案について反対意見を出しました

2023-10-09 12:34:04 | かんじたこと、つぶやき


県議会が議員自ら条例を作って、それを可決しようとしているらしい。


委員会で可決され、あとは13日の本会議で可決されれば決定だ。

委員会での決定は、なんの力もない。 本会議こそ決定 となる。

意見がある市民県民は、12日までに意見を県議会に届けるのがよいと思う。

または、県会議員各位に電話やFAXなどするしかない。

ツィッターはこちら

埼玉県議会公式 X QRコード

県議会自体は、意見を募集するページがホームページ上にはないようなので、私はここに意見を送った。


https://www.pref.saitama.lg.jp/e1601/gikai-mail.html ここのページの「お問い合わせフォーム」に意見しました

または、メールでこちらへ a6250-03@pref.saitama.lg.jp 県議会調査課


さて、私の意見は、

市民生活の こと細かい部分に法律(条例)が手を突っ込むべきではない、

に尽きる。


世の中には、「そうだけれどもそうでもない」ことがたくさんある。

それをマナーとか道徳とか常識とかでそっとオブラートに包んで、よい方向にし向け、社会は成り立ってきた。

法律(条例)の出番は最後の最後である。 慎重であるべきなのだ。

・短時間でも子どもに留守番させる ・子どもだけで登下校させる ・子ども同士で公園で遊ばせる


・子どもだけを家に残しごみを捨てに行く ・子どもにお使いを頼む  (子ども=小3以下)

も定義すれば、虐待なのだそうだ。 違和感をぬぐえない。 条例の暴走だ。

議会は権力の持ち主だ。

自分で条例も作れるし、市長部局や知事部局が作った条例や予算案を

可決も否決もできる権力を持つ。 

だから良識と慎重な態度が求められるのだ。

(もう一つの論点は 言葉や想定する場面の定義があいまいで詳細が詰められていないこと、
また、市民や市(基礎自治体)にも、どう思いますか、支障ありませんか、などの事前の調査はなかった
ということも触れて意見をしました。)

13日まで時間はある。 議会は慎重になるべきである。



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作ってくれる 直してくれる 会社が続々決定!

2023-07-09 15:15:07 | かんじたこと、つぶやき


    この写真は昨年度 三ケ島中体育館床改修 工事終了時

「私たちの周りは誰かの仕事で成り立っている」


「お金の向こうに人がいる」

いろんな言葉で表現してきましたが、

いずれにしても子どもたちの学校を工事する会社が決まって、これからしっかり頑張ってもらいます。(6月分)

作る会社の職人さんたちも、

学校に関する仕事は(地元のおらが学校だったりすればするほど)武者震いして襟も正して 精魂込めて

仕事を完成してくれるものです。


学校には、顔写真入りで「こういう人が作ってくれるよ」と子どもたちに伝えていきたいと思っています。

子ども達よ、感謝の気持ちを忘れないように。

作ってくれる皆さん、よろしくお願いいたします!

明峰小学校、若狭小学校トイレ2巡目洋式化 ・・・・・・1億1330万円 明豊建設

上山口中学空調改修工事              ・・・・・・2167万円   キノシタ
所沢・北・清進小学校体育館トイレ洋式化     ・・・・・・1億483万円  平岩建設
小手指・三ケ島・若狭小学校体育館トイレ洋式化・・・・9570万円  本橋工務店
美原・柳瀬・狭山ヶ丘中学校体育館トイレ洋式化・・・・9185万円  本橋組
南陵中学校校舎内装木質化工事 3・4階  ・・・・・・1億967万円 本橋組

また、そのほかの工事も始まります。

第1学校給食センター受水槽ほか改修工事     ・・・・・・2億2726万円 糟谷設備
所沢駅ふれあい通り線その5(アンダーパスの一部)・・・・・・・  2億8259万円 西武建設
所沢駅歩行者デッキ(ワルツとモールをつなぐデッキ)・・・・・・・  4億8950万円 西武建設
吾妻まちづくりセンターエレベーター改修・・・・・・・・・・3355万円 リニューアルトーヨー
道路のミラー設置工事 その1・・・・・・・・・・・・・・・・・・252万円   三洋安全

関連記事 私の考え
買い物とは、仕事への感謝であり、応援である。 - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき (goo.ne.jp)
三ケ島中学校体育館を訪問 床が改修される!  - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき (goo.ne.jp)
カルチャーパーク完成間近か・・・私たちを取り巻く全てのものは、誰かの仕事の結果である。  - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき (goo.ne.jp)


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温泉で読書

2023-06-28 15:38:35 | かんじたこと、つぶやき

申し訳ありませんが、6月27日(火)仕事は16時に終了し、温泉 に泊まってきました。

そして、28日午前中に仕事に復帰いたしました。 つまり、いただいたお休みは合計4時間の時間休ということです。

我ながら、頑張っているなあ、とは思います。

34万4千市民の中で、所沢市のことを1番 考え続けてきた自負はあります。


5月からの総会と懇親会の嵐も過ぎました。

6月議会も終わりました。

土曜日は、第二幼稚園の関係の皆様ともお会いして、話し合いをしました。

火曜日は、所沢の未来のかかった件で要人の皆様と話し合いました。



少しホッとしました。


温泉には、普段、ぽっと時間が空いたら、電話して、素泊まり上等 で行きます。それで十分幸せです。

自分は本当に温泉が好きで、大学時代から一人で行くことがありましたが、

このごろは唯一の息抜き、

熱い湯につかって、本を読むことで、身体と心をリフレッシュすることができました。


   とても熱いお湯です 源泉かけ流し  一人本を読みながら


 昨日から読み始めた本です   お湯で少しふやけました




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世界農業遺産認定 に向けて 調査団を迎える

2023-06-23 21:29:54 | かんじたこと、つぶやき

6月22日(木)

本日、落ち葉堆肥農法が 世界農業遺産になるための FAO(世界食糧農業機関)調査団が来て、

調査を受けた。


日中は、実践農業者(川越市、三芳町の農家)などや、その景観を見ていただくべく 市職員も同行、

夜は、その歓迎会で 川越の料亭「山屋」にお招きし、みんなで労をねぎらい、伝統文化を堪能した。

三富の開拓 とは 江戸時代 川越藩主 柳沢吉保公が 新田開発(すすき原のような原野を畑に換えていく作業)を

三富地区で行ったもので、


屋敷(屋敷林)、畑、雑木林を 縦に順番に配置し、短冊状に1区画5haほどで横に展開した開拓であり、

上富(三芳町)、中富(所沢市)、下富地区(所沢市)と今もそのかたちを残している。

雑木林で落ち葉掃きをして、糞尿など加えて堆肥化し、それを畑に使っていく、有機農業である。

すでに化学肥料全盛であるが、今もその農法は 生きている。

   ※ 三富の開発について詳しくは 三富地域の歴史 - 埼玉県 (saitama.lg.jp)


その農法と景観と、それを世界農業遺産認定により見直し、ブランドとして生かしていきたい。

これが私たちの願いであった。(三芳町、川越市、ふじみ野市、所沢市、埼玉県、JAいるまの)

世界農業遺産に認定されるか否か、は7月半ばには判明するという。


固唾(かたず)をのんで 見守りたい。


              山屋 にて

         FAO調査団 の 李先生(左) と

  上富囃子保存会の皆様   重松流とはやはり違うものだった

 

 

 

 

 

 


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健康寿命・平均余命が出た

2023-06-13 17:36:29 | かんじたこと、つぶやき

最新の(令和3年度)の本市の平均寿命、健康寿命、平均余命がでました。

併せて県内自治体の順位も出ました。

本市は、「健康寿命 男女ともに県内一位」 を目標に掲げ、私の公約にもしていますが、

実際の年齢はより健康に、より長くなっていますが、

順位はまた下がってしまいました。

なかなか難しいものですね。

さて、本市は、令和3年度

健康寿命(65歳になった人が介護度2になるまで)は 

 男性 83.49歳(83.36歳)   女性86.09歳(85.
92歳)(()は令和2年度)
県内順位  12位 (9位)          15位  (17位) 

ちなみに 健康長寿県内一を掲げた平成27年は


       男性  82.79歳         女性  86.35歳
           (4位)               (16位)    でした。 

平均余命(65歳になった人は何歳まで生きるか)

    男性   85.20歳(順位不明)  女性   89.67歳   でした。

つまり、65歳まで生きた人は、普通に、男性85,20歳、女性89,67歳までは 生きる。

 ということなんですね。また、

県による
平均寿命は(生まれた人が何歳まで生きるか・すべての住民対象)

     男性   81.64歳(20位)   女性   87.56歳(13位)  でした。

平均寿命は 0歳で亡くなる人、途中でなくなる人もカウントされますので、平均余命より短いです。

ただし、国の算定方法による(県のと違い、日本人限定)平均寿命(生まれた人すべて対象)は

     男性   81,9歳            女性   87,9歳    でして

なんと、県内順位は 同率5位)          (同率1位)  なんでした。

これをどう解釈すればよいのか?

国の計算方法だと県内1位になるなら、本市は他市に比べ介護認定が2になるのが容易なのか?! とも思いましたが、県の算定方法だとそうでもないですから・・・。

いずれにしても、健康寿命は延びています。

皆さん、お年をとったら、

1、たんぱく質(肉・魚)を取る  1.筋肉を落とさない 1.歩く、出かける

1.出逢う、遊ぶ、学ぶ らしいですよ。 

歩いて健康、ポイントや食事券や野菜がもらえる「トコトコ健康マイレージ」も募集中。
所沢市ホームページ 「トコトコ健幸マイレージ」 参加者募集中! (city.tokorozawa.saitama.jp)

参加お待ちしています。



写真と本文は関係ありませんが・・・この表紙のチェック欄、本当にそう思います


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