あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

家弓家正氏の訃報を聞いて

2014年10月09日 21時05分12秒 | Weblog
 声優の家弓家正氏が亡くなった。
 前にも書いたことがあるかもしれないが、ぼくらの世代ははじめて「声優」というジャンルで芸能人を認識した世代だと思う。そのころはまだ声優は裏方であり、特にもてはやされる存在ではなかった。しかし生まれたときからテレビがあり、かつまたアメリカのテレビドラマ・ブームの中、アニメの創生期の中、ぼくたちは知らず知らずのうちに「声」に関心を持ったのである。ぼくにとってロバート・ボーンはナポレオン・ソロであり、それは矢島正明の声をしており、デヴィット・マッカラムはイリヤ・クリヤキンであり野沢那智の声をしていた。

 そんな中で家弓家正はダンディな脇役であった。考えてみるとあまり主役のイメージはない。広川太一郎が突拍子もない面白い主役のキャラクターであったのに対し、家弓家正はきっちり堅く、全く崩れないしっかりした脇役キャラだった。ついこの前も新作の深夜アニメで声を聞いたと思うが、あのころ活躍した多くの声優の人達がそれなりに老人の声になっているのに、家弓氏にはあまりそんな感じがしなかった気がする。それだけに訃報には少し驚いた。

 ぼくの家には、たぶんずいぶん早くからテレビがあった。というより、ぼくが小学校に上がるか上がらないかの頃の写真を見ると、家の中にはちゃぶ台の他には、ラジオとテレビとタンスとミシンしかない。扇風機も炬燵もない家だった。
 もちろんずっと白黒テレビで、アポロ11号の月面着陸の時、隣の家のカラーテレビを見せてもらいに行ったのを憶えている。あの中継は別にカラーだったわけではないのに何でだったのだろう? だからぼくの中ではアポロの月着陸はカラーとして刻みつけられている。
 実は隣と言ってもベニヤ板一枚で仕切られた長屋の隣室である。おそらく家賃が安かったからだろうが、本当に畑の中の一軒家(というか二軒長屋だが)を借りていたのだ。外壁は波トタン、当然トイレはくみ取り式だった。

 電話も無かった。しかしやはり電話がないと困ることもある。ほぼ畑の中だったので公衆電話も無い。それで隣の家の電話を借りていた。そのころはまだそういう「呼び出し電話」が残っていたのだ。
 今は逆に少なくなっているらしいが、その当時の小学校ではクラス毎に連絡表が作られ配布されていた。そこには電話番号を書かなくてはならなかったが、ぼくのところはもちろん隣家の電話番号で(呼)になっていた。
 それが珍しかったのだと思うが、クラスのいじめっ子グループが何度も何度もその電話番号にかけてきたことがあった。隣家はかかってきたら無視することは出来ないから、いちいちぼくの家に来てくれる。これには本当に困ったし、とても嫌だった。いま思うと本当に悪質ないたずらだったと思う。どうやってあのいたずらが収束したのか記憶がないが、たぶん大人たちがなんとかしてくれたのだろう。昭和40年代の想い出である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする